羅刹女 | 不思議なことはあったほうがいい

 『今昔物語集』巻13にある話。

 法空という僧が、「世を厭いて仙の道を求めむと思ふ心忽ちにおこりて」、法隆寺を飛び出ると、故郷・下野あたりの山中に分け入った。すると「五色の苔をもちて上に葺き、扉とし隔てとし板敷・敷物」としたような素敵な洞窟を見つけたので、そこで修行しようと決めた。それからしばらくは法華経三昧であったが、いつしか不思議な美女があらわれ「甘美」な食事おにぎりを世話してくれるようになる。誰じゃ? と問われて、女答える、「われはこれ人にはあらず、羅刹女なり」

 あるとき陀羅尼を宗とする良賢という僧がフラリとやってきて共同生活が始まる。良賢、美女を見て、里の女がお世話に通ってきているのかなあと勘違い、「忽ちに愛欲の心をおこす」。女はその心の乱れを察知すると、「破戒無慚の者、寂静清浄の所に来たれり。まさに厳罰を与えてその命を断たむ!」

 間に入った法空がそこまでせんでもいいじゃろう、というので、女は本性である鬼の姿を現すと「良賢を堤げて、数日を経て出づる道を一時に人里にゐて出でて、棄て置きてかへりたまひぬ」。良賢は自分はまだまだ凡夫であるなあと、心を入れ替えて熱心な法華経者となりました、「これが守護の善神なりと知るべきなりとぞ語り伝えたるとか」

 

 ボクが小学生低学年のとき生まれて初めて買った妖怪書籍は、小学館入門百科シリーズの、水木しげる『妖怪入門世界編』で(『なんでも入門』じゃないのが俺らしい、今は『世界の妖怪百科』という新版がでておる)、その中にインドの妖怪「ラクサーシャ」というのがいるが「青みどりやどくどくしい黄色の体をしていて、目は長く裂け、爪には毒をふくんでいる。そして、人間の肉や馬の肉を常食としている」 と、今でもいるように描いてあるので、やたら怖くて印象に残っておったのだった。

 これこそ、我が羅刹女のことだったのだ!(正しくはラクサーシャは男で、女はラクシャーシーという)


 これは種族名なので、個々別々に物語や伝説があるらしいのだが、例えば『ラーマーナヤ』ランバーという羅刹女の伝説。

 ヴィシュバーミトラという王様があるときヴァシシタという大仙人の飼っていた魔法の牛が欲しくてならず、力ずくで奪おうとしたが、牛の魔力で撃退された。それで、バラモンとはすごいもんだ、わしもバラモンになりたーい! そこで、洞窟に篭って、がんばって苦行に苦行を重ね、やがて評判の修行者として有名になる。

……ダメ王子がさまざまな苦行の末に神をもしのぐ力をもってしまい、神が恐れて刺客を派遣する……というと、これまたわが小学生時代のバイブル『キン肉マン』みたいであるが、やはり、そういうことになった。ヴィシュバーミトラの威力の自分に及ぶことを恐れたインドラ神(帝釈天)が、彼を堕落させるべく、アプサラスランバーを彼が修行している洞窟へ派遣する。これがまたすこぶるの美人!! ところが、ヴィシュバーミトラはその前に一度、メーナカという天女の誘惑に負けたことがあったので、こんどこそは失敗するまじとの勢いで大喝、すでに相当の仙力を身につけていたので、ランバーを魔法で石にしてやっつけてしまった。それでもちょっとキレすぎたなーと反省し、以後、心静かに修行を続けついにはバラモンとなるに至ったのであった。

 このランバーこそ、羅刹族の女なのであった。


 以前、「むかで
」の回で触れた話に、
夜叉族の王クベーラ=毘沙門、スリランカ領有をめぐって異母兄弟ラーヴァナ争い大敗した、というのがあったが、このラーヴァナこそ、「ラーマーナヤ」の主役ラーマの最大のライバルなのであった。暴虐なるラーヴァナはラーマの妻・シータを攫ってゆくが、手を出すことができなかった。

 それは、以前、カイラス山で、この上ない美女に遭遇し、いやがる彼女を無理矢理犯すが、じつは彼女こそこのランバーで、なんと、クベーラの息子・ナラクーバラの妻でもあった。怒ったナラクーバラの呪いによって、いやがる女を無理やり手篭めにすることが出来なくなったのだ。もし禁を破れば頭は七つに裂けちぎれるであろう云々。

 このラーヴァナこそは羅刹の王である。夜叉と羅刹とは親戚だったわけだ。


 例によってそうしたインド神話は仏典にとりいれられ、羅刹もオシャカサンに感化されて、残虐な鬼神から、仏教を守る天部へ転進する、そう悪魔超人が正義超人になったように!!


 『法華経陀羅尼品(第二十六)』によるならば、まず薬師・勇施両菩薩がすすんで法華経伝道者を守護するための呪をオシャカサンに奉った。それをうけて武神・多聞天(=毘沙門天)と同僚の持国天もガードマンになることを誓って呪を奉った。すると、バスに乗り遅れるな!とばかりに、鬼子母神と、十人の羅刹女も、病魔や鬼神にたいして防壁になろうと、呪を奉った。このときの十羅刹女の筆頭こそ、藍婆=ランバーであった云々。

「…尓時有羅刹女等。一名藍婆。二名毘藍婆。三名曲歯。四名華歯。五名黒歯。六名多髪。七名無厭足。八名持瓔珞。九名皐諦。十名奪一切衆生精気。是十羅刹女。…」


 以来、羅刹天は、毘沙門の手下のような立場で、日月・天地・東西南北とそのナナメの十二方位を守る十二天の一人となり、西南の守護神となったのであった。ちなみに二十八宿星座ではさそり座さそり座の尻尾を意味し、この星の下に生まれた人は「害毒」の性質あり、とても猛々しい性格であるという。ちなみちなみでさそり座の頭側は元の親分・インドラを意味するそうな…。

 冒頭の話は、羅刹の守護善神であることを語る話だが、同時に陀羅尼=真言密教より法華経のがすぐれているよ、という宣伝でもあったのだなあ。


 で、毘沙門天つながりというと鞍馬寺を思い浮かべるが(「鬼鹿毛 」)、この鞍馬寺にまつわる『今昔物語集』の話(巻17)。


 ある修行の僧、夜中に薪をくべて火を焚いていると、見知らぬ女が傍によりそい、一緒に火をくべる。実は彼女、羅刹鬼が女の姿になって、僧を妨害しにきたのであった。

 「あやしい女だなあ。よーし見てろ!」と、乱暴にも手にした金杖をその焚き火につけて焼けさせて、そいつを女の胸に押し当てた! ギャーードンッ で、そのすきに僧は逃げ隠れたが、鬼は怒り狂い、僧をあっさり捕まえた。大口あけて食っちまおうとしたそのとき…「心を至して毘沙門天を念じたてまつりて、「われを助けたまへ」と申すその時に、その朽木俄かに倒れて、鬼を打ち圧して殺しつ」。ホっ。

 翌朝、鬼の死骸を確認した僧は「泣く泣く毘沙門天を礼拝したてまつりて、その寺を出て他所に行きにけり」…

 

 この女は、羅刹鬼が女に化けていたということであるから、羅刹女ではなく男・羅刹だったかもしれないが、わからんのは最後のところで、なんで僧が寺を出なくてはならなかったか??

 ……実は愛を誓い合った男女があった、やむをえぬ事情で男は出家したが、女はあきらめきれずに追いかける、お願い考えなおしてよ、ダメだよ、何よわからずや、なんてやっているうち間違って女を殺してしまう。とはいっても、それは仏法を守り抜くために仕方のないことであったと、同僚の僧達も同情し、事件は追求されなかったが、さすがに寺にはいづらくなって……とかなんとか小説になりそうである。

 

 昔々、仏法の守護神になりますといいながら、僧の邪魔をするとは矛盾であるが、羅刹とは個人名でなく族名だから、中にはオシャカサンだのビシャモンだのカンケーナイネ、っていうのがいたのかもしれないが、いや、これは羅刹が修行僧にあえて与えた試練、通過儀礼なのではなかろうか?


 修行中の僧に愛欲・情欲の誘惑をもたらす女、それをふりきればヨクヤッタ、気がいってしまえば堕落だ破戒だ未熟だと責められる。そういう説話はすこぶる多く、代表的なのはあの「道成寺 」。

 清姫は安珍を想い追いかけるうち大蛇になったが、その蛇(古い思想の自然神)と、僧を守る毘沙門=ムカデ(新しい思想の技術神)の対立という構図は、ちょっとアアソウデスカと見過ごすわけにゆかぬ関係性があることに気づく。

 また、尼さんが女人禁制の聖地へゆこうとしてゆけず、その登山口などで石に化した姥石伝説、愛しい男を想いさすらい石になった『曽我物語』虎御前、領布ふりつつ岸壁で化石になった松浦作用姫の別バージョンなど、ランガーの話が源流にあるかもしれない。


 どっちにしても、愛欲・情欲あってこそ生命は繁栄するのであるから、それを否定するという発想はボク的には好みではない。だいたい、男女のイザコザなんて大半は男のほうが悪いに決まっているんだ。(←テヘ)



補……同じく『今昔物語集』巻七は震旦部であるが、同様に羅刹女に修行の邪魔をされカンケイしてしまった僧の話がある。ここでは羅刹女はすっかり色ボケして呆けた僧を、棲家に持って帰って食おうと思い、担いで空を飛んでゆく、すると地上の寺から法華経読誦する音声が聞こえ、吾に返った僧も唱和すると、俄かに体重が重くなって羅刹女は僧を手放してしまう。ドシーンと落ちたそこは元の場所より二千里の遠方で、結局、そこの寺に助けられて故郷へ戻った。…これらの話は全て『法華験記』にも話があるが、アルジジョウで未見なので……


「羅刹」の陰陽道化→妖怪化=「赤舌