こんにちは【運の法則】でラクに開運:青樹庵です。
昨日、「天中殺と足踏みの違い」について、コメントで、「そこのところを聞きたかった」何人かの方から。
プロの悪いところは、この程度は分かってもらえるだろうという思いこみです。コメントをいただくと、勝手な思いこみに気づきます。
他にも知りたいと思っている方もたくさん居るかもしれない。答えを公開すれば他の方もなっとくできる。これがコメントの良いところですよね。
コメントは、記事の続きなんですよ。ありがとうございます。
さて、今回のテーマ、人間を2つに分けると、身体→見える部分、現実的なもの 心→見えない部分、 精神的なもの が有ります。
「わたしは大きなことを望んでいるのではない。平和で平穏に暮らしたいだけです」ったって、あなた、それってものすごい大慾ですよ。
そもそも、そんなことを云う人にかぎって、毎日をだらーっと過ごしています。
あたえられた仕事なら、その仕事だけやる。目立たなくていいから平凡な人生をおくりたい。
意欲が無い人の人生を見ていると、平凡にはちがいないけど、平穏とは行かずに問題をかかえては苦労しています。
つまりですね、人生なんて大波小波がつきものなんですよ。
苦労が無い人生をのぞむのは、死んでからぜったいに天国で幸せになりたい。と同じくらいの高望みです。
なにが云いたいかと申しますと、
世の中で目立つほど活躍しても、ひっそりと暮らしても、大小の差は有りますが、
「運命の波はだれにも等しく来る」ということです。
なやみが出ても、なんで自分だけ?とか自虐的にならないこと。
かつやくしている人は、今げんざい、運の波に乗っているだけ。世間で見える姿は輝いていますが、かくれた面でも幸運とはかぎりませんし。
たしかに、運は不公平ではありますが、凹んでグチばかり云っていると、ますます不運をまねいてしまいます。
最初に書いた通り、人間には、見える部分と、見えない部分があります。
見える部分の現実面を変えられなくても、見えない部分の「心の持ちよう」で、人はけっこう幸せに生きられるものですからね(^^;
もっと見る → ツキはこういう時に来る
青樹でした。