占い師とは妙な仕事だとときどき思います。
ご相談に来た人の星を見ると、
その人がこれまでどんな人生をあるいてきたか、だいたい想像がついてしまいます。
げんじつ的には生活は千差万別ですから、経営者なのかお勤めをしているのか、
東京のどこでどうやって暮らしているのか、そこまでわかるワケではありません。
そういうものではなく、
親縁が濃いのかうすいのか、きょうだい縁は有るのか無いのか、結婚運はどうなのか、
出世したい人なのか、お金儲けがしたいのか、
人生がスムースに来たのか、苦労したのか、だいたいの大きな流れが見えるのです。
そこで困るのはこの世のいわゆる幸せというものと、運命から見る幸せがかならずしも一致していないことです。
ほとんど逆ですよ。どん底に居る人はつい先に幸せが待っていますし、絶好調の先は崖だったり。
まあ、幸せで言うことなしの人は相談に来ませんけど。
たとえば、なんらかの事情で早くに親と別れた人が居たとします。
多感な年令で悲しい思いをしなければならなかった人ほど、わかれた親にたいする思いはふかく、こころにキズを持つわけです。
これが親しい人ならば一緒になってナミダをぬぐう場面なのですが、
占い師の口から出るコトバは「その悲しみがあったから今のあなたがいるのですよ。むしろ良かったかも」と、こうなるわけです。
いかにも無慈悲に聞こえます。
でも、その人の星からは、
「親がいれば運が上がらない」という答がすでに出ていて、占い師にはそれが見えているのです。
目の前にいるその人は裕福なくらしをしているのが判ります。
もし、成人まで親がそばに居たら、その後の人生は苦労がおおかったはずです。
そして今、家庭のもんだいで迷って相談に来ています。
占いは単に「癒し」ではなく、こんごの道をまよわずに進めるようにアドバイスすることだと思います。
一緒になって悲しんでいては正確な占いはできません。
人の苦しみは自分の苦しみ、人の悲しみは自分の悲しみになってしまう人には占い師はつとまりません。
その点、医者に似ています。患者と同じ目線で苦しんでいたら病気は治せませんですよ。
どうしたら家庭のもんだいが解決できるか、客観的な目で見なければ、せいかくなアドバイスをできるはずが無いですから。
たまには苦いコトバで背中を押すばあいもあります。
おなじメンタルな分野ですが、ヒーリングや癒やしとは、根本的にちがいますね。
今より未来をかんがえてアドバイスしますから。
でも癒されたくて来る人には徹底的に癒します。外科も心療内科も有る総合病院のようなところですかね。
そういう中に長いことどっぷり浸かっていると、自分の日常的なもんだいなど気にもならなくなります。
運命に対して鈍感になるんですね。
もしかしたら、他人さまから見て不幸なできごとが起きたとしても、本人は気が付かないなんてことも有るかもしれません。
占い師とは変な仕事だとあらためて思います。
もっと見る → みんな持っている「病のタネ」
青樹でした。
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