Seiji-Yの憂楽帳2 -4ページ目

シンシア(Cynthia)

作詞・作曲;吉田拓郎(1974年)


 なつかしい人や 町をたずねて

 汽車を降りてみても

 目に写るものは 時の流れだけ

 心がくだけてゆく

  帰ってゆく場所もないのなら

  行きずりのふれあいで

  なぐさめあうのもいいさ

 シンシア そんな時 シンシア 君の声が

 戻っておいでよと唄ってる

  君の部屋のカーテンやカーペットは

  色あせてはいないかい


 (一部抜粋)


これは、南沙織さんの大ファンであった拓郎が、彼女に捧げた曲です。


 http://ytu.be/0oYXUYyKZ9s

  


  


制服

作詞;岡本おさみ 作曲;吉田拓郎(1973年)


 (省略)


 家を出る前の晩は赤飯など食べて 家族揃って泣き笑いしたのかい

 里心だけはまだ田舎の家に置き それでも家を出てくる魅力に負けて


 どうですか東京って奴に会ってみて どうですか東京って奴のご挨拶の仕方は

 みんな押し黙ったままのこの人ごみは

 そうこれが都会って奴のご挨拶の仕方なんだよ


 初めから都会に出ていかなければ いつまでも都会でなくてすんだのに

 きれいに暮してゆける土地は どこか他のところのような気もするよ


 今はまだ驚いていることだけですむけれど もうすぐ判るさ驚かなくてもすむさ

 駆け引きのうまい男ばかり出世して きれいな腹の男はもう拗ねてしまってる


 これからきみは日曜日だけを待つんだね

 悲しみの唄がなぜ街に流れるかも判ってきて

 使うのに容易く稼ぐのに辛い そんな給料の苦さも知ってしまうんだろうね


 (一部抜粋)


田舎(滋賀)から東京に出てきた私には、涙の出てくる曲です。


 http://ytu.be/s0Wf9r6bvkw


 

あゝ青春

作詞;松本 隆 作曲;吉田拓郎(1975年)


 ひとつひとりじゃ淋しすぎる  ふたりじゃ息さえもつまる部屋

 みっつ見果てぬ夢に破れ  酔いつぶれ夜風と踊る街

 哀しみばかりかぞえて  今日も暮れてゆく

 あゝ青春は燃える陽炎か  あゝ青春は燃える陽炎か


 いつつ生きてる後味悪さ  胸にかみしめれば泣ける海

 やっつやめるさ抱きあっても  こころは遠ざかる安い宿

 眠れぬ夜をかぞえて  日々は過ぎてゆく

 あゝ青春は燃える陽炎か  あゝ青春は燃える陽炎か


これは、1975年のつま恋コンサート、1979年の篠島コンサートのオープニングで歌った曲です。


http://ytu.be/FTHVJyeszcY



今日までそして明日から

作詞、作曲;吉田拓郎(1970年)

   私は今日まで生きてみました
   時には誰かに裏切られて
   時には誰かと手をとり合って
   私は今日まで生きてみました
   そして今 私は思っています
   明日からもこうして生きていくだろうと

   私には私の行き方がある
   それは おそらく 自分というものを
   知るところから始まるものでしょう
   けれど それにしたって
   どこでどう変ってしまうか
   そうです わからないまま生きていく
   明日からのそんな私です

   (一部抜粋)


拓郎が、メジャー・デビューした年に発表した曲です。私がカラオケに行って最後に歌う曲でもあります。


http://www.shudo-u.ac.jp/news/2008/8a21710000000zx1.html


http://ytu.be/Aj2OB3zWkK4


http://jp.youtube.com/watch?v=rh76yCwMy7s&eurl=http://ytu.be/rh76yCwMy7s


http://ytu.be/B5Ol2r549RY

歌酔曲(かようきょく)

作詞・作曲;吉田拓郎(1972)

   心のかたすみに
   閉ざされていたやさしさを
   あなたが思い出させてくれた
   フ~ム
   短い夜だった
   話すことよりそばにいる
   それだけで たしかめ合う二人
   街は二つの影を 深い眠りの中に
   他人の目には うつらないように
   やさしく やさしく包む
   ア~ア~
   ふれ合った口唇に恋と言う名の
   ささやきをあなたが思い出させてくれた
   フ~ム・・・・・

   忘れかけてた人の心の
   ぬくもりをせめて今は感じていたい
   それがそれが愛さ
   ア~ア~生きている
   もつれあい もがきながら
   今日もまたどこかで
   息ずいている 生命フ~ム



拓郎の初期の曲なんですね。私は中学生で、男子バレーボール部で活動していました。

札幌オリンピックとミュンヘンオリンピックが開催された年です。


http://ytu.be/MSAh-rYIPvk

すなおになれば

作詞・作曲;吉田拓郎(1988年)

   人は誰でも 失った何かが
   なにげない毎日に 戻ってこないかと

   扉を開けたまま 夢を待ちわびる
   人生はそこから 出る時に動きだす

   すれ違う者は 言葉を失くし
   かわいた町で ただようだけか
   風の時代は過ぎ去っても
   あふれるものは同じなのに

   輝いておくれ やさしい人たち
   ふり返るなら ほほえんでおくれ
   時の流れに別れを告げて
   はるかな愛の旅に出ないか

   I love you more than I can sey
   素直になれば
   今のままでいても 悪くはないが
   もっと もっと 自分らしく
   もっと もっと 心のままに

(一部抜粋)


サッポロ・ドライのCMソングにもなりました。自分に素直に生きて行かないと、必ず後悔するものです。


http://ytu.be/6Y2kjERe72g





ビートルズが教えてくれた

作詞;岡本おさみ  作曲;吉田拓郎 (1973)

   勲章を与えてくれるなら
   女王陛下からもらってしまおう
   女王陛下はいい女だから
   つきあってみたいと思う
   それも自由だとビートルズは 教えてくれた
   くれるものはもらってしまえ
   欲しいものはものにしたい
   その代わり捨てるのも勝手さ
   もらうも捨てるも勝手さ

   ビートルズが襲えてくれた
   ビートルズが教えてくれた
   ビートルズが
   
   人が幸せになるのを
   批判する権利は誰にもない
   みんな幸せになっていいんだ
   人に迷惑さえかけなければね

   (一部抜粋)



究極の人生観だと思います。


http://jp.youtube.com/watch?v=mI1lmi_846Y&NR=1

王様達のハイキング

作詞・作曲;吉田拓郎(1982年)


  あいつは危険な奴だなんて どいつのセリフ

  仮面をかぶった偽善者よりは まともな方だよ

  人間だから 人生だから 

  そうさ 自分の気持になるべくすなおに 振る舞いたいだけ

  Oh,oh,oh 王様達のハイキング


  時には危ない危ない橋も渡ってみたい

  やばい話に顔をそむける それもいいけど

  家へ帰れば一人でモヤモヤ

  そんなハケ口のない毎日ばかりじゃ 息がつまるよ

  Oh,oh,oh 王様達のハイキング


    太陽は どこから登ってくる  北風は どこから吹いてくる

    僕等は 何を信じるのか  僕等は どこへ行くのだろうか


  綺麗な言葉はその気になれば作れるものさ

  作った言葉が洪水のように 押し寄せてくる

  けとばしちまえ 吹きとばしちまえ

  人が勝手に作ったレールをはみ出せ 気ままに歩け

  Oh,oh,oh 王様達のハイキング


  (一部抜粋)


自分の人生は、自分で決めたいですね。


エピソード

 私は、早稲田大学創立100周年の代の野球部の新人監督をしていました。もう時効になりますから申し上げますが、私達の代の春季リーグ戦の配球のサインは私が出していて2位でした。秋季リーグ戦は、主将が出していて優勝しました。興味深いエピソードでしょう。

 ちなみに、1980年代の早稲田の優勝は、この1回だけなんです。

 それから、入学年度の春季リーグ戦から卒業年度の秋季リーグ戦までの8シーズン、早慶戦で全て勝ち点を挙げたのは、私達の代だけだそうです。現在2年生の斎藤君の代は2度目を達成する期待が大ですね。

この次はこの街で(都道府県)

 かなり前の話になりますが、セイヤングの放送で、拓郎がレコード(当時)で販売されていないライヴの曲で、「この次はこの街で(都道府県)」という曲を流したのをご存知ですか?私の好きな曲のひとつです。
 それから、友人がオールナイトニッポンの放送で、たまたま拓郎が浅田美代子さんと結婚する前に、勝手に最終回にしてしまった放送を録音していたので、ダビングしてもらったのですが、どこかへ行ってしまいました。今となっては貴重なテープでしたが、残念です。その放送では、拓郎は浅田美代子さんと結婚することを否定していて、マスコミに対して怒りをぶつけていたのですが、どういうわけか結婚しちゃいましたね。さすが、拓郎です。


http://ytu.be/dv1rYcqccTM


http://ytu.be/Kllgh-CfSrE