まなちゃんの病歴をまとめました! | まなちゃんを救う会

まなちゃんの病歴をまとめました!


平成17年6月28日
前日に胎内で心拍が弱くなったため、これ以上は胎内でもたないとの医師の判断から、急遽帝王切開によって産まれる。出生時体重2920グラム。産まれてみれば普通の元気な女の子で、心臓の異常は見られなかった。


9月中旬
それまで順調に増えていた体重が、あまり増えなくなってくる。母乳で育つ子は、ミルクで育つ子に比べて育ちが遅い、愛はおっぱいの飲み方が下手だから・・・といったことを言われていたので、両親は体調不良とは思っていなかった。それから一週間くらいで咳をし始めて、抱っこをすると「エ、エッ」と苦しそうな声を出すようになる。風邪を心配して体温を測ると35度台しかないことが多く、まだ暑い季節にもかかわらず、手足はいつも冷たくしっとりと汗ばんでいた。


9月下旬
咳が止まらないため、近所の小児科をこまめに受診する。風邪の診断のもとに、風邪薬と食欲増進剤を飲むが、おっぱいの飲みが極端に弱くなってくる。頑張って飲んでも、吐き戻すことが多くなり、体重の増加は止まった。体は丸々としていたが、後にそれはむくみだということがわかった。おっぱいが飲めないため、一日中機嫌が悪く、ぐったりとしているようになった。


10月7日
おっぱいをくわえても、飲めずに激しく泣くようになり、様子がおかしいので市内の夜間診療にかかる。その時は浣腸してもらい、一時的に食欲も回復した。


10月12日
夕方、駅前に買い物に出たところで、突然噴水のように吐く。あわてていつもかかっている小児科を受診。吐き止めを処方されるが、これを飲んでも吐くようならば、夜間でも病院へ行くように勧められる。その日の23時過ぎにまた吐いたため、日本医科大学付属多摩永山病院の夜間救急診療にかかる。最初はこれまで通り風邪と診断されたが、念のために撮ったレントゲンで、心臓が大きくなっていることがわかり、昼間に再度受診して検査するように言われる。


10月14日
検査のため日医大病院を再度受診する。レントゲンで心臓肥大が確認され、心エコー、心電図を撮った結果、心臓が通常の1/6程度しか動いていない、重度の心不全を起こしていることがわかり、緊急入院になる。その後の再検査で「拡張型心筋症」の疑いとの診断を受ける。ここで見つからなければ、一週間もしないうちに死んでいただろうと主治医に言われるほど、愛の状態は悪くなっていた。心不全により体の循環が悪くなっていて、愛の体には大量の水分が溜まってしまっていた。そこで利尿剤を大量投与して、体に溜まった水分を引くことで、体重が600グラムも減り、咳、吐き気といった症状は改善され、一命を取り留めた。


10月24日
心不全の状態を少しでも改善するための内科的治療を開始する。第一段階としてインヒベース(ACE阻害剤)とアスピリンを飲み始める。これらは体の循環をよくする働きがあり、それによって心臓が過度に働かないようにするねらいがある。愛は副作用として咳き込む症状が出たため、薬の量はそれほど増えなかった。


10月31日
内科的治療の第二段階として、アーチスト(βブロッカー)を飲み始める。これは心臓の動きを弱める薬で、愛の心臓の負担を軽くするために使われた。一度にたくさん投与すると、心臓が止まってしまう恐れがあるため、体調を見ながらゆっくりと増量していく計画が立てられた。この頃、愛は少し風邪を引いてしまったため、インヒベースもアーチストも増量されない期間が長くなって両親はやきもきしていた。風邪を引くと一気に心臓が悪くなると言われたが、愛は体力があったのか、心臓が悪くなることなく、風邪を治すことができた。


11月中旬
心臓の動きがよくなる様子が無く、心臓移植の可能性が出てくるかもしれないと主治医に言われる。移植医療について、両親なりに調べ始める。


12月中旬
薬が順調に増えていく一方で、心臓の状態が思ったよりもよくならず、主治医から、このままでは来年のクリスマスを家族三人で迎えることは難しいだろうとの説明を受ける。移植しか助かる方法が無いため、愛の心臓がどの程度の期間持ち堪えられるか検査をして、本当に移植対象者かどうかの判断をするための検査の計画を立て始める。この時点では、両親はまだ移植に踏み切る決断はできていなかった。


12月下旬
クリスマスの外泊を許可され、2ヶ月ぶりに一時帰宅する。その時に体調が悪くなることがなかったため、退院に向けて経過観察が始まる。


12月29日
退院。


1月11日
日本医科大学病院(千駄木)にカテーテル検査のために再入院。検査の結果、余命半年との診断を受け、移植を受けるための本格的な準備を始める。


1月18日~現在
退院。自宅療養が始まる。週に一度、検査のために日本医科大学多摩永山病院に通院。