日本とトルコ | 私の見えない世界

私の見えない世界

ある日突然、『私ね、空に光の玉が見えるの』と娘からカミングアウトされ、それから必死にいろいろ調べ始めた私。
私の、もしかしたらあなたも見えない世界、娘の目を通した世界のことを書いていきます。

先日大地震が起きたトルコが、

 

親日国であることを知る方は多いと思います。

 

そして、その理由もご存じかもしれません。

 

今日はそのことを書きたいと思います。

 

 

明治22年、トルコは親善使節団を

 

日本に派遣しました。

 

その使節団が乗っていた船を

 

エルトゥールル号といいます。

 

エルトゥールル号が、日本の横浜港に

 

到着したのが翌年6月7日(偶然にも娘の誕生日)。

 

使節団は明治天皇に謁見し、

 

勲章を受け取ります。そして、

 

その約3か月後に帰国の途につきます。

 

翌日、エルトゥールル号は和歌山県沖を

 

航海していたときに台風に遭遇し、

 

猛烈な波浪と強風のために岩礁に激突、

 

船舶が爆発します。

 

その結果、587人もの方が亡くなり、

 

生存者もわずか69名という大海難事故と

 

なりました。

 

この遭難に際し、当時の島民は、

 

不眠不休で生存者の救助、看護、

 

また、遺体捜索、引き上げにあたりました。

 

69名の生存者は、より高度な治療を受けるため

 

神戸に移送され、明治天皇は侍医を派遣、

 

皇后陛下は看護師13名を神戸に遣わしました。

 

その献身的な治療のおかげで、

 

助け出された69名は誰一人として

 

命を落とすことなく、イスタンブールに

 

帰国しました。

 

エルトゥールル号の遭難は、大変な悲劇では

 

ありましたが、日本の官民を挙げての

 

救援活動はトルコ本国に伝えられ、

 

トルコ国民の心の中に日本に対する親愛と

 

感謝の念を根付かせるきっかけになりました。

 

 

話はそれで終わりません。

 

 

エルトゥールル号の遭難から95年後、

 

今度はトルコが日本を救います。

 

イラン・イラク戦争が続いていた

 

1985年3月17日、イラクのフセイン大統領が

 

「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶ

 

飛行機を無差別に攻撃する」

 

という声明を発表しました。

 

イランに住んでいた日本人は、慌てて

 

出国をしようと試みましたが、

 

どの飛行機も満席で搭乗することが

 

できませんでした。

 

世界各国は自国民を救出するために

 

救援機を出しましたが、

 

日本からの救援機の派遣は、

 

航行の安全が確保できないとの理由で

 

見送られ、

 

空港にいた日本人は途方に暮れていました。

 

そんな時、救いの手を差し伸べてくれたのが

 

トルコです。

 

トルコから駆けつけた救援機2機により、

 

日本人215名全員がイランを脱出することに

 

成功しました。

 

タイムリミットのわずか1時間前のことでした。

 

当時、テヘランには多くのトルコ人も

 

在住していましたが、

 

航空機を日本人に提供し、

 

トルコ人は陸路で避難をしたそうです。

 

この話は、映画にもなっています。

 

 

 私には、イスタンブールに住む
 
トルコ人の友人がいます。

 

今回の大地震で、彼女のことが心配になり、

 

連絡を取りました。

 

彼女は無事でした。

 

でも、彼女の友人は複数、亡くなったそうです。

 

私は、駐日トルコ大使館が寄付を

 

受け付けていると聞き早速、募金をしました。

 

 

もし、

 

今回の話に心を動かされた方がいたら。

 

そしてもし、

 

募金をするだけの余裕がある方がいたら。

 

下の大使館のページをみていただけたらと

 

思います。

 

 

 

私も、大金は募金できないけれど、

 

 少しでも、寒い中凍えているトルコ人の元に

 

 暖かい衣類や、温かい食べ物が

 

届くよう、祈っています。

 

 

※こちらの内容は一部、以下のページからお借りしました。