スリービルボード | さとこむら手帖 -尾上さとこブログ-
こんにちは。お元気ですか?
私が担当しているFM COCOLO「FRUITS O'SUNDAY」では、「シトラスシネマ」というコーナーがあり、
毎週一作品おすすめの映画をご紹介しているのですが、
先週の作品がこちらでした。
『スリービルボード』。

アカデミー賞にも作品賞・脚本賞などにノミネートされている注目作です。 

映画を見始めたころに感じる人物像から段々と逸れてゆく登場人物たち。
「こういう人なのであろう」という予測や、私たちの先入観を、
どんどん裏切りながら話は進んでいって、最後まで?マークを私たちに投げかける。
さらに、この現象と映画のタイトルが見終わったあとに、重なるわけです。
スリービルボード 看板も3つなら、次の3人にも順に焦点があてられてゆく。
娘を失い悲しみにくれるお母さんのミルドレッド、
名指しで職務怠慢を訴える言葉を書かれたウィロビー署長、
ひたすら暴力的なディクソン。
でも果たして、それだけだっただろうか。いや、そうではないのではないか。
看板というのは、目にみえるものだけれど、人にも、そうではない部分が裏側にはある。
そんなことを言っているようにも思えてきます。
自分の人生にも、「そうだよね、それって難しいけど大事なことだよね」と語りかけられるものがあって、
オレンジジュースのシーンに凝縮。
一杯の「オレンジジュース」をみるたびに、この映画を思い出しそうです。
あと、アバの「チキチータ」。