今年3月に廃止された、両国駅~東京リハビリテーション病院間の「墨38」。
その系統の終点だった「東京都リハビリテーション病院」バス停が廃止後どうなったのかについては、以前にも取り上げたことがありますが、今日(11月22日)、管理人は気になったので言って参りました。南千住駅東口から「錦40」に乗って。

「錦40」に乗って、水神大橋で隅田川を渡ってすぐ、東京都リハビリテーション病院の建物が見えます。
そして坂を下りるとそこに「梅若橋コミュニティセンター前」というバス停があるのでそこで下車、そこから今来た道を戻っていきますと…。


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あった!

ちなみに、横の坂道は「錦40」が通る道です。

バス停のポール自体は残っていますが、廃止直後には残っていたベンチと上屋はなくなっていました。
今年4月の時点ではこうなっていましたので、比較してみてください↓


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廃止直後(平成27年4月に撮影・以前の記事から転載)

ポールのてっぺんに残る「みんくる」が、4月のとき以上に色褪せてしまっています。

この後管理人は、白鬚橋を目指して歩いたのですが、そこでこんなものを見つけました。


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榎本武揚の銅像

説明文もあったのですが、かすれていて殆ど読み取ることができませんでした。とにかく、墨田区のこのあたりにはゆかりがある方なのだそうです。
榎本といえば、徳川幕府の幕臣から明治政府に参画したほぼ唯一の人物で、北海道開拓使や駐露全権公使(このとき樺太千島交換条約を締結している)を務め、内閣制度発足後は逓信大臣などを歴任したとか。さらには今日の東京農大の前身にあたる学校なども作ったとのこと(詳細は こちら)。
教科書ではあまり詳しく紹介されていなかったのですが、沢山の偉業を成し遂げた方なのですね。

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