今年3月の改編でなくなった系統といえば、両国駅-東京リハビリテーション病院間の「墨38」があります。
この系統は、平成3年に墨田区の肝煎りで走り出した歴史の浅い系統で、当初は千住(営業所コードH)と青戸(同Z)の共管でした。その後南千住(同K)の単独所管に変更され、最終的にはZがはとバスに運営を委託されたことにもよるのか、都営バス本体からは切り離され、Zの単独所管となっていました。

在りし日の両国駅↓


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墨38の乗り場 末期には1時間に1本もなかった

そしてこちらが、廃止予告の看板。


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こういう看板はいつ見ても悲しい

バスの行先表示↓



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とうきょうスカイツリー駅を経由していた

今にして思えば、両国(両国国技館)とスカイツリーという、墨田区の誇る2大観光スポットを結ぶのですから、育て方次第では観光路線として脱皮させることもできたのでは…と思ってしまいます。
ただ、この系統は毎年のように赤字を垂れ流し、その赤字の一部を墨田区が補填していたそうです。しかし、路線の収支が一向に上向かなかったためか、墨田区は遂に補助金をカットしたとか。そのため廃止が決定したとのこと。

両国駅を発車すると、すぐ左折して京葉道路(国道14号)に出ます。その後すぐまた左折して清澄通りに入って「門33」と合流、その後「草24」→「業10」のルートで本所吾妻橋~スカイツリーへ。
スカイツリーを過ぎると独自区間となり、片側1車線の道路を通って、東武曳舟駅手前のガードをくぐります。その後は左折して明治通りに入って東向島広小路。その先は白鬚橋を渡るのではなく、白鬚橋手前の交差点で特徴的な右折をするなどして、終点・東京都リハビリテーション病院へ到着。
終点は水神大橋へ連なる陸橋の袂にあるので、両国駅からの便はその陸橋をくぐってUターンする形でバス停に到着していました。


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東京都リハビリテーション病院バス停

管理人はこの系統には何度か乗ったことがありますが、初めて乗ったときは両国駅を19時台に発車する便だったのですが、ここに到着して管理人を降ろした後(このとき終点まで乗った乗客は管理人1人だけだった)、すぐに「回送」の表示を出して走り去ってしまったのは面食らいました。
後で分かったことですが、この系統は両国駅折り返しでダイヤが組まれていて、リハビリテーション病院に着いたあとは、食入か回送になっていたようです。
ただ、この場所は他の交通機関が全くないかと言えばそうではなく、写真の正面に向かってずっと歩いていけば(徒歩7~8分くらい?)東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅に出られますし、水神大橋を徒歩で渡ってしまえば「荒川区立第三中学校前」バス停まで行くことができるので(鐘ヶ淵駅と同じくらいの距離・時間)、全くの「陸の孤島」というわけではありません。

こちらにも「墨38」廃止の告知が↓


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何とも…。

現在「墨38」がなくなって、この病院へのアクセスはどうなっているのか、という問題がありますが、このバス停からちょっと歩いた先の「梅若橋コミュニティセンター前」を発着する「南千48」(亀戸駅-南千住駅)を亀戸発着から錦糸町発着に建て替えた「錦40」が運転を開始していますので、利便性の喪失は最小限に抑えられています。
ちなみに、「墨38」廃止が3月末日(31日)、「錦40」運転開始が3月30日(『南千48』は前日をもって運行終了)となったため、3月30・31の両日は、両系統が踵を接して走る姿が見られました。
これは、地味な系統に終始したまま廃止される「墨38」への、せめてもの餞(はなむけ)だったのかもしれません…と見るのは感傷的過ぎるでしょうか。

廃止後の東京都リハビリテーション病院バス停は、こうなっていました↓


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バス停の設備は残るが標記類は消されている

これは4月の撮影ですが、無地になったバス停ポールに残る「みんくる」が、何ともいえない物悲しさを醸し出しています。この写真を撮影してから3ヶ月経過しているので、ことによるとこれらの設備はもう撤去されてしまったかもしれません。鉄道とは異なり、バスの廃線跡はすぐに痕跡がなくなりますからね。

墨田区の系統として生まれ、墨田区の系統としてその生涯を閉じた「墨38」。
都バスの並み居る看板系統・ドル箱系統に比べれば遥かに地味な生涯でしたが、その在りし日の姿を記録しておくのも、バス愛好家の務めだと思っています。
今後は「錦40」が看板系統に発展することを期待しましょう。