今回は、2階建て車両の導入ということで、小田急20000形とJR東海371系を取り上げます。
この2種の車両は、それまで小田急の3000形SSE車で新宿-御殿場間を運転していた急行「あさぎり」について、車両の置き換えと特急格上げのために登場した車両です。合わせて、それまでの片乗り入れを相互乗り入れの形態に変更し、運転区間も沼津まで延伸することとなりました。
相互乗り入れということで、両者の基本的な仕様が共通化され、

・1編成7連、通常のボギー車とすること。
・2両は2階建て車両とし、2階部分に特別席を設けること。

などが決まりました。

特筆すべきは、「2階建て車両の採用」「特別車(グリーン車)の採用」です。特に後者は、小田急にとっては初めてのことで、大手私鉄全体でも2例目となっています。
2階建て車両の採用は、当時観光バスでもダブルデッカーやハイデッカーが人気を博しており、それにあやかって眺望を重視したことが理由です。そしてその2階部分を特別車両に充てたのは、眺望の優れた空間を優等車として売り出そうというのが狙いでした。
その特別席には贅が尽くされ、横3列のゆったりしたシートに、この時代の標準装備ともいえるシートテレビを備えていました。加えて、室内にはマガジンラックを設け、観光案内誌や一般雑誌、新聞などを置いていました。これは実は、1階部分に非常口を設けた関係で2階部分の客室に出っ張りが生じるので、それを有効活用した結果でもあります。
2階建て車両以外の5両の平屋建ての普通席も、371系は「ワイドビュー」に恥じない大きな側窓からの解放感溢れる車窓を売りとし、20000形は同社の10000形HiSE同様、ハイデッカー構造の床で眺望の良さをアピールしていました。また、2階建て車両のデッキ部分にはサービスコーナーを設け、車内販売など乗客サービスの拠点として活用されました。特に特別席は、小田急の「走る喫茶室」の伝統に範を取ったシートサービスが実施されることになり、これはJRの特急列車としては異例なサービスでもありました(シートサービスは東海道・山陽新幹線で昭和末期~平成初期に『ひかり』の、平成初期に一部の『のぞみ』の、いずれもグリーン車で行われた例があるくらい)。
とはいえ、両者の間には細かい仕様の差異はありました。
それは平屋建て車両の構造もそうですが、もうひとつは、2階建て車両の1階部分についての差異。371系は2両とも普通席(椅子席)としたのに対し、20000形は2両のうち1両をセミコンパートメントにしていました。これは、20000形は沼津直通だけではなく箱根方面への列車にも使用するので、グループ客への対応のためでもありました。
また2階建て車両のデッキにも差異があり、床面高さが通常と同じ371系では、階段などの配置によって、およそ鉄道車両らしからぬ空間が構成されていたのが思い出されます。
ただし、メカニックは両者ともVVVFインバーター制御方式は採用されず、「枯れた技術」でもある直流電動機を搭載する方式でした(20000形は通常の抵抗制御、371系は添加界磁励磁制御)。これは、まだ当時はVVVFインバーター制御装置のイニシャルコストが高価だったことで、VVVFインバーター制御による省エネ効果は発進・停止の機会が多い通勤車でこそ最大限に発揮でき、その機会が少ない特急用では省エネ効果が少なく、従って特急用車両には搭載する価値がないと考えられたことが理由です。

両者は平成2(1990)年度にそれぞれ落成し(20000形2編成、371系1編成)、年度末となる平成3(1991)年3月のダイヤ改正から、特急「あさぎり」として4往復が新宿-沼津間を走り始めました。車両運用は、1→4→5→8号が20000形、2→3→6→7号が371系でした。ただし371系は1編成しかないため、同系が検査入場などをする際には、「あさぎり」の全てが20000形で運転されることになっていました。
ちなみに、20000形は2編成が製造され、1編成を「あさぎり」に常時充当し、もう1編成は箱根特急に充当していました。管理人は20000形使用の箱根特急に何度か乗車した経験がありますが、いつ乗っても普通席は沢山乗っていてもグリーン席はガラ空き…ということが多かったような気がします。その後製造された小田急のロマンスカーには、グリーン車に相当するアッパークラスを設けた車両は現れていませんから、箱根特急にはアッパークラスの文化は根付かなかったのかもしれません。
沼津へ到達した「あさぎり」は瞬く間に人気列車となり、その特急券はプラチナチケットと化しました。特に贅を尽くしたグリーン車は人気を呼び、予約はグリーン車から埋まっていくほどでした。バブルのころは新幹線などがグリーン車から席が埋まっていったという逸話が残っていますが、当時の旺盛な消費需要の一端がうかがえる話です。
両系列の就役と入れ替わるように、それまで「あさぎり」で最後の活躍を続けてきた3000形も、遂に定期運用を退き、昭和32(1957)年から実に34年にわたるSE→SSE車の活躍にも終止符が打たれました。SSE車自身も、翌平成4(1992)年までに全ての車両が退役しています。

こうして運転体制が確立され、人気を博した「あさぎり」ですが、晩年は景気低迷に伴う行楽客・ゴルフ客の減少などにより、乗車率の落ち込みが顕著となっていました。そのため、「あさぎり」も車内販売を停止したり、グリーン車のシートテレビを撤去するなど、余剰なサービスが削り取られていきました。その他には、平成21(2009)年から「あさぎり」の特急券がJR東日本の「みどりの窓口」で買えなくなるという、販売チャンネルの縮小もあり、乗客減に歯止めがかからなくなってしまいました。
結局、平成24(2012)年3月、「あさぎり」は御殿場までの運行に戻り、使用車両も小田急の60000形に変更されました。これによって、20000形と371系は定期運用を失っています。
その後20000形は1編成のうち3両が富士急行へ譲渡、371系は団体用に改造されるという話もあったものの実現せず、何度かの臨時列車としての運行を経た後、結局20000形と同じ富士急行へ3両が譲渡されることになりました。

バブル期に同じ使命を帯びて華々しく登場した2つの車両が、その20年後に退役を余儀なくされた。
その要因は色々あるのでしょうが、最大の理由は景気低迷に伴う行楽客の減少、また西伊豆という観光地が首都圏からの時間的距離により、思ったよりも人気が出なかったことによると思われます。そういう意味では、この両系列もまた、バブル崩壊の荒波を被った不運な車両という評価ができるかもしれません。

次回は、同じように観光特急としての使命を帯びて登場した、JR東日本の251系を取り上げます。

その7(№3187.)へ続く