今回から「グリーン車の豪華仕様化」について取り上げます。
バブル期の車両の、大きな特徴の一つである「グリーン車の豪華仕様化」は、前回触れた新幹線100系を別にすれば、JR北海道キハ183系、JR九州783系電車が先鞭をつけたものといえます。
そして登場年次が早いのがキハ183系。実はこの車両は、JR北海道の発足前に投入されていました。

世の中は空前の好景気を謳歌していたのですが、そのころの国鉄は、不毛な労使対立と膨大な累積債務が重くのしかかり、経営健全化のためには分割・民営化という荒療治を経なければならないという認識が、ほとんど国民的合意になっていました。
そこで当時の総理中曽根康弘は、国鉄の分割・民営化の道筋を付けるのですが、その際、北海道・四国・九州の3つの会社、所謂「三島会社」は経営基盤が脆弱で収益性が本州の会社より低くなるであろうことが予想されたため、国鉄のあるうちにできるだけの設備投資をしておき、それを新会社に承継しようという方策がとられました。その方策に従って、昭和61(1986)年、北海道・四国・九州向けに、まとまった両数の新車が投入されています。
今回取り上げるキハ183系も、そのような方策の一環として北海道に投入されたものです。

ところで、皆様ご存知のとおり、キハ183系そのものは、既に量産車が昭和56(1981)年から投入が開始されており、5年も前のリピートオーダーかとも思えます。
しかし実際には、形式は同じで番代区分こそなされたものの(従来型が0番代、新たに投入されたのが500番代)、車体構造、外板塗色、内装、果ては走り装置のエンジンの出力まで、全てが以前の車両とは異なっています。
このキハ183系500番代は、それまで気動車ではほぼタブーだった、白色系の外板塗色を纏って現れ、ワインレッド+クリームの国鉄特急カラーを堅持する従来型とは一線を画していました。
そして500番代グループの白眉は、何といってもグリーン車のキロ182-500。普通車よりも客室の床面を上げたハイデッカー構造とし、しかも側窓にカーブドガラスを採用し、屋根のカーブにかかるところまで窓を大きく取った、開放感溢れる構造となりました。ハイデッカー構造は、当時の観光バスのトレンドのひとつだったもので、着席時の目線が高くなることでもたらされる優越感が売りでした。ただ鉄道車両の場合、バスとは異なり数十センチ床面が上がったとしても、劇的に眺望がよくなるわけではありませんから、この車両の場合は、むしろ開放感の演出と、北海道ならではの雄大な車窓を堪能してほしいという狙いがあったものとみられます。
ただし、座席配置に関しては、従来型との互換性を確保し、突発的な運用振替に対応させるためか、従来型を踏襲した横4列となっており(後に横3列に改造)、定員も従来型と同じでした。
それでも居住性や眺望は、当時くたびれ果てていたキハ80系のグリーン車・キロ80をはるかに凌駕する素晴らしいものでした。
以上はグリーン車ですが、普通車についても体質改善が図られており、側窓の拡大や座席の改良(従来型よりもシートピッチ・リクライニングの角度とも拡大)などがなされ、普通車の居住性も改善されています。
これら500番代車は、昭和61(1986)年11月の国鉄最後のダイヤ改正から、主に札幌-釧路間の「おおぞら」に投入され、好評を博しました。

500番代車の登場により、北海道の気動車特急でも内装に格差が生じたため、JR北海道発足後、その格差を解消する改造工事を施しています。
具体的には、従来型グリーン車のリニューアルですが、これは横4列だった座席を横3列に改め、各座席に液晶型シートテレビを設置することなどを改造メニューとしたものでした。こちらの「ハイグレードグリーン車」は、主に函館-札幌間の「北斗」に投入されました。

平成3(1991)年には、当時モノクラスだった札幌-帯広間の「とかち」にグリーン車の連結計画が浮上します。そのための車両として、2階をグリーン席、1階部を普通個室とした特異な2階建て車両、キサロハ182-550が4両登場しています。
この車両は、在来線サイズの狭い車両限界の中で通路を確保する必要から、2階部が変則的な1+2配列となっていました。1階部の通路の真上に座席が配されるのですが、そこに1人掛け座席が4席。あとは2人掛け座席が10列(20席)という構成でした。この車もご多分にもれず、グリーン席には各座席に液晶型シートテレビが設置されました(後に撤去)。
こちらは平成3年7月から「とかち」改め「スーパーとかち」として活躍を始め、後には「おおぞら」にも投入され、好評を博しました。
しかし、後にキハ283系が出てくると、付随車を組み込んだキハ183系編成は、その足の遅さが問題になってきます。そのため、平成13(2001)年限りでこの車両は編成を外されてしまいます。その後はしばらく留置され続け、一部では夜行急行「はまなす」への連結も噂されるなどしましたが、結局12年の留置期間を経て一度も復活することはなく、平成25(2013)年に、あえなく全車廃車となってしまいました。実働期間は僅か10年という、薄幸かつ不遇の車両でもありました。

キロ182など、183系グリーン車の後に登場した、キハ281系やキハ283系などのグリーン車は、横3列という仕様こそ踏襲していますが、各座席の液晶型シートテレビの設置はなく、183系グリーン車からも撤去されました。
今にして思えば、雄大な車窓を堪能できる北海道のこと、乗客にとって最も魅力的な映像メニューが「車窓そのもの」だったということなのでしょう。そりゃあんな小さな画面を見ているくらいなら、車窓を見た方がいいに決まっています。もっとも最近は、スマートフォンやタブレットといった携帯型情報端末がかなり人口に膾炙しており、そのようなものを列車内で見ている人も多いので、座席でわざわざビデオ番組を流す意味がなくなっているともいえます。
それでも、現在のJR北海道には、キロ182-500に端を発する「豪華なグリーン車」の伝統が残っているように思います。

次回は、JR九州の特急電車。JRグループで真っ先に投入された新型特急車両を取り上げます。

-その4(№3166.)に続く-