今回から、「バブルの帝王」たちを個別に取り上げていく「各論」と参ります。
「バブルの帝王」の中でも、その中の「帝王の中の帝王」、即ち「The King of Kings」といえば、やはり新幹線100系だと思います。
100系は既に様々なところで取り上げられ、当ブログでも何度か取り上げていますが、今回は接客設備を中心に言及することにします。

100系は、試作編成16連1本が昭和60(1985)年に落成しています。
何といっても100系の特徴は、①優等車の豪華仕様化、②2階建て構造の採用、③個室の採用という、当時の「バブルの帝王」にみられた特徴を全て備えていることです。グリーン車は0系よりも背もたれの丈が大きくなり、より高級感が増しました。また0系のオールM方式を改めてT車を組み込む方向に転換された結果、2両の2階建て車両を組み込むことになりました。この2両の2階建て車両は、2階を食堂・1階を厨房として贅を尽くした食堂車と、眺望に配慮したグリーン車に充てられています。
ただ、100系試作車の落成当初は、まだ2階建て車両のグリーン車の1階部分の仕様について、詳細が確定しておらず、試運転時はがらんどうになった1階部分に、死重の水タンクを搭載していました。それも夏ごろまでに客室が整えられ、1~3人用の個室が用意されました。ただこのころの個室は、後の量産車の1人用個室と変わらないスペースを複数人向けとして整備されたため、少々狭苦しさを感じるものでもありました。
100系でさらに特筆されるのが、グリーン車の座席や個室で音楽などの放送サービスが開始されたことです。これは航空機や高速バスのエンターテインメントサービスに範を取ったものと思われますが、お堅い国鉄としては珍しいサービスでした。ただ、グリーン車座席ではイヤホンを持参する必要があり(車内販売でも売っていた)、普通席だとFMラジオを持ち込まないと聴取することができなかったため、航空機や高速バスに比べると一歩譲るものではありました。
以上は優等車(グリーン車)ですが、普通車も勿論改善が行われており、その最たるものはシートピッチの拡大でした。0系は1000番代以前が940mm、2000番代でも980mmでしたが、100系は1000mmの壁を突破して1040mmとし、3人掛けの席も回転が可能な仕様となっています。
100系試作車は昭和60年10月から、当時の看板列車だった「Wひかり」こと東京-博多間の直通「ひかり」3・28号に限定投入され、その特急券は瞬く間にプラチナチケットと化します。加えて食堂車も、始発駅発車直後から通路に行列ができるという盛況ぶりが話題になりました。

100系が本領を発揮したのは、その翌年からです。
昭和61(1986)年4月ころ、グリーン車1両を組み込んだ12連が4本現れ、「こだま」で足慣らしを始めました(当時は『こだま』に12連が存在した)。そして2階建て車両など4両を組み込んで試作車同様の編成を組み、その年の11月から「Wひかり」に投入されます。
試作編成との差異は、座席1列に1枚の小窓が、座席2列に1枚の大窓に変更されたことと、個室の割付の変更。側窓の大窓化は眺望の向上をもたらし、個室も2人・3人用個室が広くなったことなどで、どちらも好評を博しました(試作編成も量産編成と同じ割付に改造)。
国鉄民営化直前の昭和62(1987)年3月には、さらに2編成が増備され、充当列車が増やされています。

100系編成(X編成)7本は全てJR東海が承継しましたが、同社では国鉄から引き継いだ0系の置き換えの必要に迫られていました。
そこで100系の増備となったのですが、JR東海が増備した編成は、食堂車を2階建てグリーン車に変え、このグリーン車の1階部分を「カフェテリア」と称する巨大な売店車とした編成でした(G編成)。昭和63(1988)年に3編成が登場しましたが、この3編成は個室の割付がX編成と同じ1~3人用でした。翌年増備された編成から、個室の割付をさらに偏向して4人用個室が登場、先行した3編成も後に改造されています。
この結果、X編成とG編成では、食堂車の有無と個室の割付が異なることになりました。
G編成は平成4(1992)年までの間に、実に50編成もの多数が製造されています。

他方、同じように国鉄から0系を承継したJR西日本も、0系の置き換えのため100系の投入を計画しますが、編成内容はX・G編成とは全く異なるものでした。1編成当たり4両ある付随車を全て2階建て車両として中間に組み込み、1両を食堂車、残る3両を2階はグリーン席・1階を普通席という合造車仕様にしています。
こちらは、グリーン車の個室こそないものの、0系とは全く異なる落ち着きあるグリーン車の内装と、X編成以上に贅を尽くした食堂車の内装に特色がありました。
この編成で特筆されるのは、グリーン席と1階普通席でのみビデオ視聴サービスを提供したことで、座席備え付けのシートテレビで視聴が可能になっていました。ただ、東京-博多の全区間で視聴が可能かと言えばそうではなく、山陽区間の新大阪以西に限られていました。このビデオサービスの実施については、JR東海とJR西日本との間で、かなりの綱引きがあったようですが、早くもJR分社による「壁」が顕在化したような感じがしたものです。
この「JR西日本オリジナル仕様」の100系は、編成中に2階建て車両を4両も連ねるという、威圧感満点のいでたちで現れ、JR西日本はこの編成に「グランドひかり」の愛称をつけています。「グランドひかり」編成は部内では「V編成」と呼称されましたが、今にして思えば「V」とはまさしく「Victory」の「V」。東海道・山陽新幹線の頂点に君臨する豪華編成であったことは、記憶しておくべきでしょう。
V編成は、平成元(1989)年の3月ダイヤ改正でデビューし、その後平成4(1992)年までに、9本が出揃い、国鉄から承継したJR東海所属のX編成と共に、東京-博多間直通「Wひかり」の運用をほぼ掌握しています。

今にして思えば、100系のX・G・Vの3姉妹が最も輝いていたのが、平成3(1991)~5(1993)年であったと思われてなりません。
その後は、実用一辺倒の300系、あるいは700系といった後継車たちに、居場所を追われてしまうのですが、景気後退が鮮明になって来たのが平成5年ころであったことを考えると、100系の盛衰は「バブルとともにあった」ことが言えると思います。そういう意味では、まさに100系はまごうことなき「バブルの申し子」。100系を「帝王の中の帝王」であったと評することは、当然だといえるでしょう。

次回以降は、グリーン車の豪華仕様化の例として、JR北海道などの実例を見ていくことにいたします。

-その3に続く-