平成23(2011)年の時点で、「雷鳥」から485系が撤退し、大阪-金沢・富山間の特急は全て「サンダーバード」になりました。この時点で、北陸特急は「北越」を除いて全て681・683系に統一されています。
その間にも、北陸新幹線長野-金沢間の建設工事が着々と進められていきます。平成25(2013)年には開業区間の駅名(飯山・上越妙高・糸魚川・黒部宇奈月温泉・富山・信高岡・金沢)や列車名も決まり、併せて並行在来線の第三セクター転換と「はくたか」「北越」廃止、「サンダーバード」「しらさぎ」の金沢以東廃止がアナウンスされました。
平成26(2014)年には、9月限りで「サンダーバード」「しらさぎ」から車内販売がなくなることがアナウンスされました。「サンダーバード」の前身の「雷鳥」、「しらさぎ」から食堂車がなくなって30年、今度は車内販売もなくなることになりました。食堂車の休廃止は、列車のスピードアップや駅弁など他の選択肢の多様化によるものでしたが、車内販売の廃止は、コンビニエンスストア等の普及に伴い売り上げが減少したことによるものでした。ことによると、「列車内で飲食物を買い求める」という行為そのものが、廃れ始めているのかもしれません。鉄道旅行の様式も変わってきていることを如実に思い知らされるニュースでもありました。

前後しますが、平成25年10月、JR東日本・西日本両社から、北陸新幹線の列車名は、以下のとおりに決まったとのアナウンスがありました。

速達型 「かがやき」
途中駅停車型 「はくたか」
金沢-富山間シャトル列車 「つるぎ」
東京-長野間の列車 「あさま」

命名の経緯は 以前の記事 で述べましたが、いずれも順当に決まったと思います。一部では別の愛称を期待する声もありましたが…。
そして、新幹線開業といえば、避けられないのが在来線特急の廃止。今回は「はくたか」「北越」が廃止されることになりました。
「はくたか」は、平成9(1997)年の運転開始以降、北越急行の稼ぎ頭となっていた列車ですが、列車廃止となると北越急行が稼ぎ頭を失ってしまうため、同社の対応が注目されていました。結局、自社の681・683系は手放すことにしたのですが、途中十日町だけに停車する「超快速スノーラビット」の運転開始を発表しています。
「北越」は、もはや北陸でも唯一の、全国的に見ても「白鳥」(新青森・青森-函館)と2系統しかない485系の定期特急となり、希少価値が出てきました。管理人は平成23(2011)年6月、富山への旅の帰りに「北越」を利用したことがありますが、グリーン車は管理人1人だけ、普通車もガラガラという、惨憺たる乗車率でした。これはやはり、東京への新幹線乗り継ぎ客が「はくたか」に流れたからでしょう。実際、管理人の乗車した「北越」の前に富山駅を発車した「はくたか」には、大量の乗車がありましたから。
あとは管理人が心配だったのが、金沢-富山間をJRから切り離すのを決定したこと。これによって、「サンダーバード」「しらさぎ」が富山に行かなくなり、大阪・名古屋-富山間の利便性が低下したのは事実です。金沢-富山間はJRのままで残しても採算は取れたと思いますが、色々な政治的思惑があったのでしょうか。

北陸新幹線開業に伴う列車体系の刷新として、新しい特急を運転することになりました。これらの特急については次回に取り上げますが、北陸新幹線開業と引き換えに「はくたか」が廃止されるのに伴い、「はくたか」に使用されていた681・683系が、「はくたか」廃止後に「しらさぎ」に転用されることが決定し、開業を間近に控えた平成26(2014)年の秋ごろから、順次帯色の変更などが行われました。そのため「はくたか」の末期には、本来ありえないはずのオレンジ色の帯を巻いた車両が、越後湯沢に顔を出したこともあります。北越急行所属の編成は、既にJR西日本に移籍することが発表されていましたが、「はくたか」運転終了まで、JR西日本所属車両とは異なる外板塗色を守り通しました。北越急行所属の編成は、ダイヤ改正前日の最終「はくたか」上下列車に充当され、有終の美を飾っています。

平成27(2015)年3月14日、北陸新幹線長野-金沢間が開業し、東京から「かがやき」「はくたか」が達しました。それと引き換えに金沢以東の並行在来線区間が第三セクターに転換され、北陸線金沢以東から和倉温泉方面以外の特急列車が全て消えました。「はくたか」「北越」がごっそり消えた旧北陸線の金沢以東の区間は、時刻表で見るとすっかり寂しくなってしまいました。
そして「はくたか」用681・683系は予定どおり「しらさぎ」に転用され、北越急行所属の編成も、外板塗色は従来のままで「しらさぎ」に充当され、異彩を放っています。
これと引き換えに、新幹線開業まで「しらさぎ」運用に従事していた683系2000番代は、全車運用を離脱しました。この車両は、紀勢線などに転用され、381系など国鉄型車両の置き換えに供されるようで、既に交流機器を外され直流専用車(289系?)に改造されたという目撃情報も、ネットには上がってきています。しかし今のところ、JR西日本からの正式なアナウンスはありません

↑の太字部分について、今日(4月28日)JR西日本からの正式なリリースが出ました。

また、「北越」廃止により、昭和39(1964)年の「雷鳥」「しらさぎ」運転開始以来、半世紀にわたって北陸特急劇場の主要アクターを務めてきた485系には、遂に特急としてのキャスティングがなくなってしまいました。ただし485系へのキャスティングそのものが完全になくなったわけではなく、糸魚川-新潟間の快速列車1往復が残りました。この列車は往年の急行「ひめかわ」(青海・糸魚川-新潟間を越後線経由で運転していた)を彷彿とさせる列車ですが、恐らくこれが485系最後の定期運用になるのではないかと思われます。半世紀にわたって北陸特急劇場の主要アクターを務め上げてきた485系に、最後の花道として用意されたのが、この快速運用へのキャスティングだった…と見るのは、思い入れが過ぎるでしょうか。
思い入れついでにもう一言。北陸新幹線開業の3月14日は、東北・上越新幹線が上野に達した昭和60(1985)年の同じ日から数えて、ぴったり30年の節目にあたります。管理人は、これにも何か運命的なものを感じてしまいました。

次回は、北陸新幹線開業後の、在来線の「北陸特急劇場」の変容を概観します。

※ 予告編とは多少違えますが、今回の記事を「前編」とし、次回の記事を「後編」とします。

-その17(№3116.)に続く-