今回は、これまで見てきた「都市新バス」がもたらしたものとは何だったのかについて、論じてみたいと思います。

もともと、「都市新バス」のコンセプトは、以下のようなものでした。

1 バスロケーションシステムを整備し、運行中のバスの現在地や停留所ごとの接近表示を行う。
2 バス専用レーン設置、バス停の上屋設置などを行う。
3 ハイグレードな専用車を用意し、旅客サービスを向上する。

というように、「都市新バス」とは、バスの運行システム全体を整備するものです。
このようなコンセプトを具現化した嚆矢と言えるものは、名古屋市の「基幹バス」でした。これはバス走行専用レーンを道路の中央に置き、路肩の駐車車両の影響を受けさせないようにしたもので、「都市新バス」のコンセプトを最も徹底したものとなっています。
この「基幹バス」のような、バス走行専用レーンを道路の中央に置くという形態は、かつての路面電車の再来ともいえ、さらに一歩進めてBRT(バス高速輸送システム)への脱皮の可能性すらも秘めたものともいえます。
しかし、東京では流石にここまで徹底した整備はできなかったのか、バスロケーションシステムなど地上設備の整備や専用車両の投入という方向での改善が行われてきました。
これまで都営バスの「都市新バス」を見てきましたが、これらは言うなれば「都営バス流の『都市新バス』」と評すべきものです。
勿論、都営バスのそれに近い「都市新バス」は、都営バスだけの専売特許というわけではなく、昭和61(1986)年ころには東急バス(東京急行電鉄)でも、類似のシステムが目黒駅~二子玉川園(当時)・砧本村及び渋谷駅~田園調布駅の2つの路線で導入されています(※)。

※=東急バスには乗客の求めに応じて随時ルートを変更する(デマンドサービス)「コーチ」というシステム及びそれに基づいた路線も存在しましたが、このシステムは今回の「都市新バス」とは異なるコンセプトによると考えられるため、当連載では取り上げません。

なお、昭和63(1988)年、当時の運輸省が定義した都市新バスシステムの事業内容の例示では、バス専用レーンの設置と合わせて、バス車両については乗客サービスの向上に資する車両を導入し、バス停留所においてはシェルター化やバス接近表示の設置を行った上、バスの運行システム全体を整備する事業と位置づけられています。

さて、都01から都08まで8系統が誕生した都営バスの「都市新バス」ですが、平成6(1994)年に誕生した「里23」改め「都08」が誕生して以降、新たな「都市新バス」は登場していません。
これにはいろいろな要因があろうかと思いますが、ざっと挙げると、以下のことが要因として指摘できようかと思います。

1 ノンステップバスの普及などにより、都市新バス仕様と一般路線バス仕様とで車両の差異がなくなったこと。一般仕様車が都市新バス仕様車に追いついてしまった。
2 インターネットの発達により、一般路線でもバスの現在位置や待ち時間などが容易にわかるようになったこと。
3 地下鉄網の整備により、それまでドル箱路線あるいはテコ入れのしがいがある有望路線とされてきた路線が廃止されたり減便されたりしたこと。

もともと「都市新バス」のコンセプトが「バスの運行システムの改善とサービスのグレードアップ」にあったとすれば、一般系統でそれが実現されてしまえば、極論すれば一般系統全てにおいて「都市新バス」のコンセプトが実現できてしまうことにもなります。そういう状況になったとすると、もはや「都市新バス」は一般系統に追いつかれてしまうことにもなり、独自の存在意義はなくなってしまうことにすらなります。
ということは。
「都市新バス」とは、いずれ一般系統全ての底上げがなされた暁には、必然的に消えることを運命づけられた、バスの運行システムやサービスレベル改善の過渡期に現れた形態ではないのか。いささか過激に結論づけることが許されるなら、そのようなこともいえるかと思います。そうではない「都市新バス」はもはや、限りなく路面電車やLRT(次世代型路面電車)に近い、BRTのようなものしかないのではないかと思います。
そうだとすると、20年前から現在に至るまで都営バスの「都市新バス」新路線が現れないのは、都交通局がテコ入れを止めたからではなく、既に一般系統における運行システムやサービスレベル改善が、都市新バスのそれに追いついてしまった。そういうことではないかと思います。

それと、上記とは別の問題となりうるのが、地下鉄網の整備によるバス路線網の変質です。既に「都03」の項で述べたとおり、新宿~四谷間がカットされ、しかも四谷発着の便数も1時間あたり1~2本という、もはや「都市新バス」を名乗るにはおこがましいほどの凋落ぶりとなっています。「都03」の事例は極端としても、「都01」の場合も平成9(1997)年の溜池山王駅開業とか、「都02」にとっての都営大江戸線全線開業(平成12(2000)年)とか、既存の「都市新バス」に影響を与えた事例も多くなっています。
そのような状況下では、もはや「テコ入れのしがいのある路線」というのは、それほど残っておらず、あとは今更テコ入れの必要がない旧来のドル箱路線と(田87や新小21、王40など)、需要が限られる不採算路線とのいずれかという、「二極化」が顕著になってしまい、都市新バス化によるテコ入れが難しくなったのではないか。そういうことも言えようかと思います。

結局、「都市新バス」のシステムは、バスの輸送システムの劇的な改善をもたらし、また車両のグレードアップも相まって利用者の支持を受け、バスの乗客も戻ってきたというプラス面をもたらしたと言えます。ただ、その反面、一般系統の改善が図られてきた過程で、一般系統の改善が都市新バスのそれに追いついてしまい、都市新バス独自のアドバンテージをなくした。そのように言えるのではないでしょうか。
勿論、だからといって、都市新バスの功績は些かも色褪せるものではありません。

次回は、最終回として、これからの「都市新バス」を含めた東京のバスの未来を予想してみたいと思います。

-その12(№2749.)に続く-