しばらく更新が止まってしまって失礼いたしました。今回から再開します。

これまで10000系列の話題が続いてきましたが、10000と来れば次は20000ですよね…ってかなり強引か(^_^;)

2000系は急増する通勤通学客を日比谷線に運ぶべく大活躍してきました。昭和44(1969)年12月には千代田線北千住-大手町間が開業し、日比谷線のバイパス効果が期待されましたが、こちらには常磐線からの太い流れがあったため、両線とも混雑を募らせただけでした。かえって、その2年後には日比谷線列車が8連化され、2000系も中間車2両を組み込んで8連化されました。
しかし、流石に昭和の末期にもなると、2000系に冷房がなかったことが問題となってきます。当初は冷房改造も検討されたそうですが、車体構造や床下機器の関係から冷房化が困難なことがわかり、東武は新型車輌の投入を決断します。この車両こそ、現在日比谷線直通列車で活躍する20000系です。

20000系は、車体は10030系に準じた軽量ステンレスとされ、ビードの少ない軽快なスタイルとされました。ただし10000系列と異なり18m・3扉のためデザインには工夫が施され、扉間は2連窓を2組連ねた形になっています。メカニックはAFEチョッパ制御ですが6M2TとMT比率を高く取り、勿論冷房も装備。内装は10030系に準じ、明るいクリーム系の化粧板に黄緑色の座席となっています。
管理人がこの車両を初めて見たとき、「なんと明るい車両なんだ!」と思いました。2000系は蛍光灯が2両を除いてグローブ付で暗く、しかも内装もクリーム色が濃かったので、特に地下では暗く見えたのですね。それが白っぽい壁に鮮やかな黄緑の座席、照明にもグローブがなくなり照度が増したのですから、そりゃ体感以上に明るくなったということなのでしょう。

20000系はまず、2編成が昭和63(1988)年に投入されました。ちなみに、当時の日比谷線は営団が3000系、東急が7000系(初代)でしたが、後にいずれも03系・1000系に置き換えられます。20000系も初代の日比谷線直通用車両である2000系の置換え用ですが、20000系の登場は営団や東急に先駆けたものでした。
20000系は利用者に好評をもって迎えられるのですが、淘汰される2000系のうち、8連化のために組み込んだ2両は昭和46(1971)年製で、当時車齢が20年を超えていなかったため、有効活用が図られることになります。これが「あの」2080系なのですが…。(2080系についてはあとの記事で取り上げます)
20000系は13編成が揃ったところで、一旦増備が中断されました。代わって平成4(1992)年から投入された編成は、03系5扉車のように、両端の2両を5扉にする多扉車として製造されました。この車両は、50番代で区別され、20050系と呼ばれます。
20050系の20000系からの変更点は以下のとおり。

・メカニックをAFEチョッパからVVVFインバーターに変更。MT比率は変更なし。
・正面・側面の行先表示を幕からLEDに変更。
・座席モケットの色を黄緑から茶色に、化粧板の色調も白に変更。
・車内案内表示器(LCDディスプレイ)を搭載。

とこのように、新機軸を盛り込んだ意欲的な車両になっています。
ちなみに、この20050系は、東武の通勤車では初めての、量産型VVVFインバーター制御車なんですよね。特急車の100系が平成2(1990)年の登場ですから、通勤車での本格的採用は、100系登場の2年後ということになります。
20050系は、全部で8編成が投入されました。

一方、2000系ですが、20000系・20050系の投入によって数を減らしていき、最終的には平成5(1993)年、全ての車両が日比谷線直通運用から撤退することになりました。最後には「さよなら運転」が行われ有終の美を飾っていますが、車両として残っているものは、静態保存も含めて1両たりともありません。ただし、電機品は伊予鉄道などに転用され、今なお使われています。

平成9(1997)年には、東武線からの日比谷線直通列車増発のため、3編成が追加増備されました。この車両は、全車3扉ではありますが、20050系を全車3扉化したような車両で、車号は70番代とされ、20070系と呼称されます。
20070系は、扉の数と補助電源にIGBTを採用した以外はほぼ20050系と同一ですが、唯一異なるのが、車内案内表示装置がLCDディスプレイではなく、後の30000系に搭載されることになるものと同じ、LEDのスクロール式の表示だったことです。これは、20050系のLCDに不具合が多発していたことから仕様を変更したものですが、こちらは目立った不具合の話は聞きません。
他方、20050系のディスプレイは、東武鉄道の制服を着たキャラクターが出てきたり、乗り入れ先の営団地下鉄では「営団地下鉄をご利用いただきありがとうございます」などという表示され、制服も営団のそれに変わったキャラクターが頭を下げたりという芸の細かさだったのですが、なぜか一部画面が黒くなるなどの不具合が多発し、平成11(1999)年ころから順次撤去され、ただの広告枠になってしまいました。同じディスプレイは9050系にも搭載していたのですが、やはりこちらも不具合が多発し、取り外されてしまったようです。その後9050系は、副都心線向け乗入れ対応改造を受けた際、50000系列と同じLEDスクロール式の車内案内表示装置が復活しています。
20050系も平成22(2010)年ころから、50000系列と同じLEDスクロール式の車内案内表示装置を復活させています。

これら20000系列は総勢192両(8連×24本)が揃い、何らの区別なく日比谷線直通列車に使用されています。平成25(2013)年3月には日比谷線と東急東横線との相互直通運転が廃止されましたが、そのあおりなのか、東武車による日比谷線内の運用が激増しています。それまではレア行先だった、中目黒方面からの「北千住行き」や「南千住行き」が、普通に見られるようになっています。他方、東武側の乗入れ区間も南栗橋まで延伸され、03系ともども、20000系列が南栗橋まで顔を出しています。南栗橋には営業運転で顔を出す機会は少なかったのですが、3月以降その機会は激増しました。

このように、活躍が続く20000系列ですが、初期車は製造から既に四半世紀を経ています。そこで、代替車やリニューアルの噂も絶えないのですが、今のところ、東武からは何らのアナウンスもありません。
最近、20000系の椅子がバケット型に変更されたりしていますが、いずれ抜本的なリニューアルは避けられないでしょう。どうなるか、注目していきたいものですね。

その12(№2581.)に続く

※ 当記事は10/15付の投稿とします。