今回は日比谷線直通列車の、東急側の折返し駅の変遷を取り上げます。
日比谷線への乗り入れは、東急側よりも東武側の方が乗客の流れが大きいことは周知のとおりです。そのため、東武側は当初の北越谷から、昭和41(1966)年には早くも北春日部まで伸び、その15年後の昭和56(1981)年には、東武動物公園まで伸びています。ただ、東武動物公園まで伸びたとはいえ、優等列車の直通はなく、日比谷線直通列車は全て各駅停車となっています。沿線からは優等列車の直通の要望が何度となく出されましたが、その要望は、平成15(2003)年の半蔵門線への乗り入れ開始の際にかなえられました。

では、東急側はどうだったのか?
東横線内での折返しが可能な駅は、昭和39(1964)年当時で田園調布・新丸子・元住吉・日吉・菊名。その他には祐天寺や妙蓮寺も上下線間の渡り線がありましたが、区間列車の折返し駅としては車庫のある元住吉を除けば、田園調布と日吉が主だったといえます。
そのような中で、日比谷線直通列車の折返し駅は日吉とされ、それが昭和63(1988)年に菊名に延伸されるまで、24年間にわたって不動でした。
日比谷線からの直通列車がなぜ日吉以遠に行かなかったかについては、当時の相互直通運転に共通した形態だったという事情があると思われます。すなわち、このころまでに実現した相互直通運転は、いずれも乗り入れ先路線の終点までは行かず(あの都営浅草線ですら、京成側は東中山までだった)、途中駅で折り返すことが原則だったもので、その原則に沿ったものでしょう。
もちろん、当時は日吉折り返しの区間列車もあったことから、日吉駅が輸送量の落ちる「段」となっていたことも理由かもしれません。
それよりも、日吉駅が運転取り扱い上、もっともやりやすかった駅というのもあるかと思います。田園調布は当時折返し線があるにはありましたが、有効長が短いものでしたし、新丸子も然り。元住吉は車庫があり出入庫と輻輳する。運転取り扱いという面から見れば、折返しが容易な日吉駅に決まったのも、必然のように思えてきます。

折返し駅の変更が行われたのは、昭和63(1988)年のことでした。
この年から、将来の都心直通線(現目黒線)受け入れに向けた、日吉駅の改良工事が開始されました。そのため、日吉駅にあった副本線と折返し線が使用できなくなり、折返し駅を3駅先の菊名に変更したものです。
菊名駅は、低い場所にあり大雨が降ると冠水しやすかったことから、昭和40年代に改良工事が行われ、昭和47(1972)年に副本線と折返し線を擁する駅に生まれ変わっています。折返し線ができた後でも、営業列車がここを使用することは殆どなかったのですが、このとき初めて、折返し線が有効活用できたことになります。
ともあれ、これで営団3000系や東急7000系(初代)の前面に「菊名」の行先が表示されるようになります。また、綱島・大倉山・菊名では日比谷線直通列車が利用できるようになり、これらの駅の利便性がアップしました。
日吉駅の改良工事は平成3(1991)年に完成、副本線と折返し線も再度使用可能になったため、日比谷線直通列車の折返し駅は、この年に日吉駅に戻されています。ただ、朝夕ラッシュ時の通勤通学需要に応えるためか、朝晩は菊名折り返しで残されました。
ちなみに、平成6(1994)年ごろには、営団の車両による菊名発元住吉行きという、珍しい列車が走っていました。これは車両交換の意味も兼ねたもので、平日夕方に菊名に着いた営団車が元住吉行きとして折り返し、しばらく元住吉の車庫で休憩してから東急車による北千住行きと車両交換の形を取って北千住に向かうというもので、営団車による東急線内運用でした。この列車はこの年の「鉄道ピクトリアル」増刊の東急特集に載っていたものですが、その後消滅してしまいました。平成18(2006)年の元住吉駅高架化に伴うものと思われます。

東急の日比谷線直通列車は、平成13(2001)年3月に15分間隔(4本/時)から30分間隔(2本/時)に減便されますが、朝夕が菊名・日中が日吉という折返し駅は変わらないままでした。
このころ、目蒲線の目黒方と田園調布-武蔵小杉間を改良した「目黒線」は既に開業し、武蔵小杉までの運転をしていましたが、この路線は日吉までの延伸を予定していました。武蔵小杉開業になったのは元住吉駅付近の線増計画が固まらなかったためですが、同駅の高架化などで目処がついたため、遂に平成19(2007)年、目黒線の受け入れを前提とした日吉駅の再改良工事に着手します。具体的には副本線を使用停止にし、ホームゲートの設置などを行うものですが、これによって日吉駅の副本線・折り返し設備が使用できなくなりました。そのため、この年の8月、再度日比谷線直通列車の折返し駅が菊名に変更され、現在に至っています。

なお、上記とは別に、出入庫を兼ねた「元住吉行き」というのもありましたが、これは平成18(2006)年の元住吉付近高架化により、元住吉駅から車庫へ直に出入りができなくなってしまったため、1駅手前の武蔵小杉発着に変更されています。もちろん営団車→メトロ車による元住吉行きも存在したのですが、メトロ車による武蔵小杉行きは、土曜・休日の朝1本だけとなり、非常にレアな運用となっています。
同様に、東急車による「元住吉発菊名行き(折返し日比谷線直通列車)」についても、日吉発に変更されています。これは、元住吉の車庫から下り線日吉方に直に合流できる線路を作ったため、下り出庫となる列車に関しては日吉駅始発としたためです。

現在は、一部の武蔵小杉行き(大半は出入庫がらみ)を除いては、日比谷線直通列車は全て菊名行きとなっています。
そして、この体制で終焉を迎えることになりました。

日吉駅に関しては、折返し線をそのまま延伸する形で、相鉄とつながる新線が建設されようとしています。これが完成すれば、日比谷線が乗り入れていた当時とは日吉駅は大きく変わってしまうのでしょう。日比谷線直通列車は来年3月に姿を消しますが、まだまだ日吉駅は変化を続けていくようです。

-その10へ続く-