今回から全15回に分けて、VVVF制御車両の四半世紀の歩みを取り上げたいと思います。よろしくお付き合いの程を。

メンテナンスが不要で、速度制御が容易、なおかつ消費電力量の少ない電車を作りたい。それは、鉄道技術者の長年の夢でもありました。

電車の駆動・制御方式は、初期の吊り掛け駆動・抵抗制御から始まります(これを便宜上『第1世代』とする)。
この方式は、原理が単純で構造が簡単という利点があるのですが、主電動機を車軸に載せ掛ける(それで吊り掛けといわれる)ことで、大出力化を図ろうとすると軸重が重くなるという根本的な限界がありました。それで1950年代前半には、第1世代の限界を克服したカルダン駆動方式が実用化されますが、制御方式は依然として抵抗制御のままでした。これは「第2世代」といえるでしょう。
第1世代・第2世代の制御方式である抵抗制御方式は、主電動機に与える電気エネルギーを調節することで速度を調節するのですが、使用されない電気エネルギーが熱になって逃げていってしまうため、エネルギー効率の面から問題になります。抵抗器から出る熱を車内の暖房用として再利用しようという試みがあったのも事実ですが(東急初代5000系など)、温度調節が難しくその試みは頓挫しています。
もうひとつ、第2世代でも限界が露呈するのは、当時積極的に建設が進められていた地下鉄道でした。第2世代までは抵抗器からの盛大な発熱が不可避であるため、トンネルに熱が籠りやすくなってしまうので、地下鉄道には不向きな制御方式となってしまいます。
そこで今度は、一部の鉄道会社がチョッパ制御という制御方式を採用します(第3世代)。これは、速度の制御に抵抗器を使用していたのを、「チョッパ装置」という、電気の流量を微細に変えられる装置を用いるもので、抵抗器が不要となるため、発熱がなくなりトンネル内の温度上昇が抑えられる利点がありました。「チョッパ装置」とは、簡単に言えば電流のオンオフを短い時間に繰り返し、あたかも電流を「切り刻む」かのように電気の流量をコントロールするものです。ちなみに、チョッパ装置というときの「チョッパ」=chopperには、英語で「切り刻む者」の意味があり、プロレス技の「空手チョップ」と語源を同じくしています。
その他、抵抗器を使用しながら消費電力量を抑えた、界磁添加励磁制御という方式もあります。これも事実上の第3世代といってよいでしょう。

このようにして、第3世代まで進化した電車の駆動・制御方式ですが、そこで使われる電動機は、一貫して直流電動機でした。
直流電動機は、回転数(スピード)を制御することが容易であるという特性から、鉄道車両には最適とされてきましたが、大きな弱点がひとつありました。それは、電動機の回転する側(電機子)は、電気を送るために刷子(ブラシ)を電機子の整流子に当てていますが、このように接触する部分が存在することから、回転によりブラシと整流子が摩耗するので定期的に交換する必要があるばかりでなく、良い接触状態に保つためのメンテナンスが不可避でした。

ところで、産業界では交流電動機が使用されてきました。
交流電動機は、直流電動機のように回転部分に接触する部分がないため、交換その他のメンテナンスが不要であり、これを鉄道車両に採用できないかということは、かなり前から鉄道技術者が考えていたようです。
もっとも、交流電動機を使用する電車そのものは、これまでにも全く存在しなかったわけではなく、スイスやドイツなどでは早い時期から使用されていました。しかし、スピードのコントロールが困難であったため、この段階ではそれほど広く普及することはありませんでした。

交流電動機の場合、スピード(回転数)をコントロールするためには、電圧と周波数を調節してやる必要があります。しかし、当初はそれらを自由にコントロールできる技術の裏付けがなく、交流電動機を鉄道車両に採用することは依然として困難でした。
それでも採用例が全くなかったわけではなく、インバーターの使用で電圧や周波数をコントロールして交流電動機(誘導電動機)を駆動させる、世界初の実用車両が登場します。この車両は昭和47(1972)年、米国クリーブランド空港鉄道線で営業運転に供され、世界で初めてのインバーター電車の営業運転となっています。
ただ、世界初の栄誉に浴したものの、故障や不具合が多発していたようで、営業運転開始後僅か2年後には、廃車になっています。

その後も交流電動機の鉄道車両への採用に向けた動きは途切れたわけではなく、現にヨーロッパなどでは路面電車や地下鉄用電車への採用が始まり、その動向は日本にも伝わってきました。
前述したとおり、交流電動機を鉄道車両で使用するには、電圧や周波数が自由にコントロールできなければなりませんが、エレクトロニクス技術の長足の進歩に伴い、遂にそれが可能になりつつありました。具体的には、電力用の半導体サイリスタ素子が大電流・高電圧を入り切りできるまでに開発が進んだことと、コントロールする技術が確立したことによります。主制御回路のスイッチング素子としてGTO(ゲートターンオフ)サイリスタを組み込み、マイクロコンピューター(マイコン)を活用することで、直流電動機と同じように電動機の回転を制御できるようになりました。
これがVVVFインバーター装置といわれるもので、インバーターによって電圧(Voltage)と周波数(Frequency)を自在に(Variable)制御できる道筋がつき、これを搭載すれば交流電動機が鉄道車両に使える道筋がついたことになります。
ちなみに、VVVFとは「Variable Voltage, Variable Frequency」の頭文字を取ったもので、日本語だと「可変電圧可変周波数」となります。

そのような状況の下、遂に昭和53(1978)年、日立製作所は現車の走行試験を実現させます。具体的には、営団地下鉄(当時)の6000系一次試作車(現在北綾瀬支線で『ハイフン車』と呼ばれている3連)に、VVVF制御装置と三相交流誘導電動機を搭載して走行試験を行いました。その翌年には試験が終了し、6000系は抵抗制御に再改造されて北綾瀬支線に投入されます。
当時第3世代・チョッパ車の導入を強力に進めていた営団地下鉄が、早期にVVVFインバーター制御方式の試験に協力していたのは驚くべき史実ですが、これは、将来の鉄道技術の発展のために協力したという意味合いが強かったようです。

その後、現車試験は、日立製作所でも継続され、また大阪市交通局では将来の「ミニ地下鉄」への採用をにらんだ試験が行われたりしています。
次回は、日本のVVVF車がどのように実用化されていったか、その軌跡をたどろうと思います。

その2(№2013.)へ続く

※ 当記事は09/06付の投稿としています。