その12(№1917.)から続く


前回触れたとおり、気動車特急のエリアは限定されたものとなり、分立したJRの中でも、東日本と九州には発足当初気動車特急は走っていませんでした。


では、JR発足後初めて登場した気動車特急はどこか。


実は、発足当時気動車特急が存在しなかったJR九州で、名鉄のパノラマカーのような前面展望のできる構造の先頭車を両端に配した3両編成が登場、当初は「オランダ村特急」として博多-佐世保間に登場しました。

ただこの車両は、メカニックがJR北海道のキハ183系と同じとされ、形式も183系1000番代とされています。


この車両については改めて取り上げますが、純然たる新型気動車を投入したのはどこなのか?


それが、観光特急「ひだ」「南紀」を運転していたJR東海だったわけです。

この両列車に使用されていた車両が、あのキハ80系でしたから、経年を考えれば当然のことだったのですが、JR東海として初めて投入した在来線の特急用車両だけに、設計もかなり「気合の入った」ものとなり、その後のJR東海の特急用車両にもこの車両のコンセプトが反映されています。

この車両こそ、JR発足後の初の新形式の特急用気動車・キハ85系ですが、この車両にはそれまでの国鉄標準型特急車両とは一線を画した、様々な特徴があります。

最大の特徴は、それまでの「国鉄型エンジン」から脱却し、外国産のエンジンを採用したことです。そのエンジンは、米国カミンズ社製のもので1基あたり350PSの強馬力を誇り、しかもそれを2基搭載するため、350×2=700PSで、かつて「しなの」に使われていた181系の500PSを凌駕しています。しかもこちらは、車体が軽量ステンレス製のため軽くなっており、単位重量あたりの出力ではさらに181系との差が大きくなります。実際、この車両を使用する列車に乗車していますと、発進からの加速は電車とまるで遜色のないもので、あっという間にトップスピードに達するパワーを誇っています。かつての国鉄型気動車は、発進の際にエンジンを最大限に吹かし、黒煙を盛大に巻き上げて初めて「よっこらしょ」というように発進するもので、どうしても電車に比べ鈍重なイメージが否めなかったものです。しかし、キハ85系ではそのような鈍重な感じが一切なくなり、電車と遜色ない、否電車を凌駕するパワーを見せています。

ただ、冷房装置は機関直結型とされ、電源装置を必要としないので編成組成の自由度は増したのですが、その一方で冷房使用時にはエンジンに負荷をかけてしまうことになります。その点は、変速機の改善でカバーされております。


内装も国鉄型とは異なり、窓を拡大し、さらに床を通路から20cm嵩上げして眺望に配慮しています。そして座席も改善され、シートピッチ1000mmのフルリクライニングシートとなりました。キハ80系はシートピッチ910mm、座席も回転クロスシートですから、長足の進歩を遂げたことになります。もっとも、グリーン車は横4列、しかも普通車との合造型とされ、その点ではやや後退した観もありますが、座席形状の改良により、座り心地そのものはむしろ改善されています。


こうして、先頭車キハ85(貫通型と非貫通型)、中間車キハ84、半室グリーン車キロハ84が用意され、平成元(1989)年2月から高山線の特急「ひだ」1往復に充当されます。当然のことながら、ワイドな眺望と改善された居住性が乗客から好評を得て、キハ80系使用列車と格差が見られるようになりました。キハ85系はそのワイドな眺望から「ワイドビュー」の愛称をいただくようになり、「ワイドビューひだ」と案内されるようになります。なお、これ以後「ワイドビュー」は、JR東海の在来線特急のブランドともなっています。

そこでJR東海は、翌平成2(1990)年3月10日のダイヤ改正をめどにキハ85系を追加投入し、「ひだ」を全てキハ85系に統一、あわせて名古屋発着の高山線優等列車を「ひだ」に統一、急行「のりくら」が姿を消しています。このときは大阪-飛騨古川間の急行「たかやま」は急行のまま存置されましたが、やはり最高速度と車両の内装の格差はいかんともしがたく、平成11(1999)年にこれもキハ85系に置き換えられ、「ひだ」の一員となっています。


キハ85系登場後も名鉄から高山線に乗り入れていた「北アルプス」ですが、こちらも名鉄キハ8000系の性能や設備が明らかにキハ85系に劣るため、名鉄では平成3(1991)年にメカニックをキハ85系を共通とした兄弟車・キハ8500系を投入して置き換えました。既にその前年、キハ8000系の富山乗り入れは解消されてしまい、運転区間も飛騨古川までになりましたが、キハ8500系に置き換えられたことで、キハ85系との併結が可能になり、美濃太田以遠で「ひだ」との併結が行われるようになります。しかしキハ8500系の投入の効果も長くは続かず、その10年後、「北アルプス」は廃止され、車両は会津鉄道へ譲渡さてしまいます。しかし最近、会津鉄道でもキハ8500系が引退してしまったのは残念なことでした。


「ひだ」がキハ85系に統一された後、いよいよキハ80系の現役稼動車も限られてきました。北海道では波動用に普通車だけの編成を何本か用意していましたが、定期列車としての運用は「南紀」だけとなり、いよいよ完全引退へのカウントダウンが始まります。

「南紀」用のキハ80系は、手入れも行き届き、しかも国鉄時代末期に185系の転換クロスシートに換装された車両などが最後の活躍をしていましたが、いかんせん経年が無視できなくなってきました。

そこで、いよいよ「南紀」もキハ80系の置き換えを決断、キハ85系が投入されることになりますが、編成内容は変更され、「ひだ」では半室だったグリーン車を全室にして、しかも横3列の豪華仕様とした新形式・キロ85を用意しました。

「南紀」はキロ85を新宮方先頭に配した編成で、平成4(1992)年3月のダイヤ改正から登場しています。


昭和36(1961)年にデビューしてから31年。

北海道から九州まで、四国以外の全国に足跡を記したキハ80系は、「南紀」の運用を最後に、遂に全ての定期運用を失うこととなりました(ジョイフルトレインに改造されたものを除く)。同じ年、北海道でも波動用としての使用が終了し、臨時列車としても特急で使用されることがなくなりました。その後は名古屋地区の野球観戦客輸送に従事しますが、もはや長距離特急としての、本来の用途ではありません。平成4(1992)年は、キハ80系終焉の年として記憶されるべき年だと思います。

国鉄型からの脱却は四国や北海道でも見られますが、四国ではカーブが多いため、北海道ではトップスピードで走れる区間を長くするため、目的は異なるものの、共通して振子式を採用することになります。

ただ、気動車は電車と異なり、駆動装置が台車に搭載されているわけではないため、車体を傾斜させる技術は、電車とは異なる対応が必要になりました。


次回は、そういった振子式気動車を取り上げます。


-その14へ続く-