その11(№1907.)から続く

国鉄として最後の全国的規模のダイヤ改正が行われた、昭和61(1986)年11月。
この改正を機に、北海道と四国で、これまでとは全くコンセプトの異なる特急用気動車が産声を上げました。
それが、キハ183系500番代と、キハ185系です。

これらの車両は、民営化後経営基盤が脆弱となるであろうエリアに、国鉄のうちに新車をできるだけ入れておこうという施策に基づいて投入されたものですが、特急用車両以外でも、北海道・四国・九州に新型気動車が導入されています。ただしこれらの多くは、バス用部品を採用したり、廃車発生品を使用するなど、コストダウンにも意が用いられたものでした。
では、キハ183系500番代とキハ185系は、どのような車両だったのか。
まず、北海道に投入された前者から見て参りましょう。

1 車体は前面展望にも留意した貫通型となり、スラントノーズを放棄。
2 短編成化を踏まえ、先頭車には電源なし・便洗面所つきの500番代と、電源つき・便洗面所なしの1500番代の2種類を用意。前者は従来型キハ184と組み合わせて運用。
3 グリーン車キロ182は客室の床面を他車よりも高くしたハイデッカー構造。ただし、大型の車販準備室は存置されたので、車内レイアウトは従来型と同じ。
4 中間車キハ182も、先頭車キハ183ともども側窓の上下寸法を拡大、眺望に配慮。
5 走行機関は従来型よりもパワーアップされ、キハ183-1500は250PS、その他は550PS。
6 従来型との混用も可能。
7 車体色は国鉄特急カラーから決別し、白をベースにワインレッドとオレンジの帯が入り、窓周りはブラックアウトさせている。

従来型キハ183系が、長編成を前提としたスラントノーズ型の先頭形状をしていたのに対し、こちらは貫通型となり、編成両数の増減に配慮したものとなっています。また先頭車も電源装置の小型化が図られ、客室面積が増加しています。これは言うまでもなく短編成化をにらんだ結果ですが、同時に短編成でもそれなりのパワーを持たせるべく、従来型に比べ走行機関の出力が増大しています。
それよりも、当時の愛好家や利用者を驚かせたのは、白ベースの外板塗色と、グリーン車のハイデッカー構造の採用です。もともと、白系の色は気動車には不向きとされてきましたが(気動車は煤煙を吐き出すので汚れやすく、淡い色、とりわけ白は不向きとされてきた)、それをあえて採用したところに、国鉄の伝統からの脱却が見られます。またグリーン車のハイデッカー構造の採用は、当時新幹線100系や一部のジョイフルトレインなどに見られるようになった「列車に乗ることそのものの楽しさを売り込みたい」という意識が垣間見えます。このあたりは、同時期にデビューした小田急の10000形HiSEにも相通じるものがあります。
このような、白ベースの塗色の採用とか、ハイデッカー構造の採用は、この時期、昭和末期から平成初期の新形車両にかけて多く出現しました。このような車両が出現した時代をとらえて、これらの車両を「バブルカー」と評する愛好家もいるようですが、当時の好景気に後押しされていたため、様々な新しい挑戦もしやすかったのかもしれません。
キハ183系500番代は、札幌-釧路間の「おおぞら」を中心に運用され、劇的な居住性の改善が大好評を博しました。
実は管理人は、この車両がデビューした翌年、昭和62(1987)年に北海道に行っていますが、当時キハ183系500番代はほとんどが指定席車で運用されていて、自由席車には回ってこなかったのです。当時の「北海道ワイド周遊券」では北海道内の特急の自由席が乗り放題だったため、自由席で500番代に乗れないものかと思ったのですが、乗れたのは1度しかありませんでした。しかしそのときは列車自体混雑しており、従来型との違いを意識できないままでした。

他方、四国のキハ185系のスペックは以下のとおり。

1 先頭車キハ185-0(便洗面所つき)・キハ185-1000(便洗面所なし)・中間車キロハ186の3種。
2 機関出力は250PS×2。
3 ステンレスボディを採用し、軽量化(単位重量当たりの出力増大)とコストダウンを図る。ステンレスボディには、アクセントとして緑の帯が入り、窓周りはブラックアウト。
4 機関直結式の冷房装置を採用。
5 車内はフリーストップ式のリクライニングシート。
6 普通列車にも使用することを考慮し、ドアは片側2か所とする(キハ183系までは片側1か所)。

御覧いただくとお分かりのように、キハ185系にはグリーン・普通合造車のキロハ186しか中間車がなく、その他は全て先頭車です。これは、同系がキハ181系などの置き換えではなく、キハ58系を置き換えて特急格上げ・サービスレベル向上を目指すためですが、このことから「キハ185系はキハ58系の超バージョンアップ版」と評されることにもなりました。驚くのは普通列車への使用も想定されていたことで、これは電車の185系も同じです。
実は、このように185系を短編成前提の車種構成としたのは、輸送力の単位が小さくこまめな増解結が必要という、四国の特質に配慮したものでした。それまでの特急用気動車は、食堂車などを組み込んだ大編成を想定していましたが、キハ185系はそのような方針を転換し、1両単位の増解結をより容易にすべく、このような車種構成にしたものです。
注目されるのは、出力の増大もそうですが、機関直結式の冷房装置を搭載したことです。これはバス用の冷房装置を改良して搭載したものですが、これもバスの技術を応用し、コスト削減を図ったものといえます。
実際、キハ185系は、それまでキハ58系により運転されてきた急行を置き換え、予讃線の「しおかぜ」・土讃線の「南風」とも大幅な増発が図られています。

これら2種の特急用気動車がデビューした翌年4月、国鉄は分割・民営化され、気動車特急も各社に散らばることになります。

1 JR北海道 キハ183系「北斗」「おおぞら」など(キハ80系は波動用として残存)
2 JR東海 キハ80系「南紀」「ひだ」
3 JR西日本 キハ181系「あさしお」「おき」など
4 JR四国 キハ181・185系「しおかぜ」「南風」

かなり車種と地域が限定されてきたのがお分かりいただけるかと思いますが、この時点では、JR東日本とJR九州には気動車特急は存在していませんでした。

JRの分立は、各社の実情に即した車両の開発を促進し、それまでの「国鉄型」からの脱却が見られるようになります。
次回はそのあたりのお話を。

-その13に続く-