その9(№1759.)から続く


第7回 において取り上げた「リゾート21」は、鉄道業界・鉄道趣味界だけではなく、一般の利用者・観光客や沿線住民にも絶大なインパクトを与えました。この車両が昭和61(1986)年度の第29回鉄道友の会ブルーリボン賞(BR賞)の栄誉に輝いたのは、その絶大なるインパクトのおかげといって過言ではないと思います。

この車両がBR賞を受賞したその年、在来車100系のグリーン車・サロ180が普通車に格下げされていますが、「リゾート21」のような車両と、在来のグリーン車との設備のアンバランスさを考慮したのも、格下げの理由のひとつだと思われます。


このころ、国鉄(→JR)から乗り入れてくる特急「踊り子」は、一部の臨時便を除いて全て185系に統一されていましたが、当時の185系はデッキ付き2扉といっても普通車の座席が転換クロスシートであり、当時の他の特急用車両と比べて1枚落ちる内装だったことから、「急行に限りなく近い特急用車両」という評価が、愛好家にも一般利用者にも定着していたものです。

しかし、乗り入れ相手の伊豆急が、「日本一豪華な普通列車」こと「リゾート21」を作ってしまった。これは当時の185系を凌ぐ豪華な内装で、113系はもちろん、185系ですらもかなうものではありません。そのためか、当初「リゾート21」は伊豆急線内のみの運用になっており、熱海まで乗り入れるようになったのは登場後1年ほど経過してからのことでした。

その後、国鉄がJRに改組され、「リゾート21」が東京駅に乗り入れてくるようになると、なおさら185系との格差が顕著になりました。


そこで、JR東日本は、「乗ったときからそこは伊豆」というコンセプトに基づき、リゾート列車にふさわしい内外装を備えた車両を設計・製造します。これが、「スーパービュー踊り子」として知られる251系電車です。

スペックは以下のとおり。


1 足回りは651系から交流対応を除いた格好の、界磁添加励磁制御を採用(したがってVVVFインバーター制御ではない)。
2 1編成10両、編成両端を2階建て車両とし、展望席を設ける。
3 編成に2両1組の「ユニット」の考え方を持ち込み、伊豆急下田寄り2両を「グリーンユニット」、東京寄り2両を「カスタムユニット」とし、メインの乗降扉は2両で1ヶ所とし、もう1つの扉は終点でしか開かない。
4 グリーン車には2階建て構造を生かし、サロンと個室を装備。
5 東京方先頭車1階部分には、日本の鉄道で初めてとなる子供用のプレイルームを装備。
6 普通車は、「カスタムユニット」は先頭の展望席以外は4人がけボックスシート、それ以外の中間車は回転クロスシートとする。
7 2階建て車両以外の車両は、窓を大きく屋根までとり、眺望に配慮。
8 外板塗色は淡いブルーグレーのツートン。


251系は平成2(1990)年から4(1992)年にかけて4編成40両が製造されましたが、当時採用例が増えつつあったVVVFインバーター制御は採用されていません(1)。これは、当時ではまだVVVFインバーター制御装置のイニシャルコストが高かったことと、特急用車両は発進・停止の機会が少ないため省エネ効果とコストが釣り合わないと考えられた結果でしょう。同様の結果は、小田急や近鉄などでも見られます。

2ないし6は、まさに「リゾート特急」に特化した仕様であり、グループ客や家族連れに配慮したものとなっています。251系が設計された当時は、まさに「バブル」という、我が日本が空前の好景気に沸いていた時期ですから、この時期に製造された車両は、「バブルカー」というべき、現在の視点で見れば必要以上に豪華な仕様となっているのですが、それが2階建て車両や個室・サロンの採用です。2階建て車両は当時の流行でもあり、グリーン車のステータスを高めるためと、個室を作るために採用されたのでしょう。

ただ、一般の普通車にはどういうわけかリクライニングシートを装備せず、単なる回転クロスシートとなっていました。「いました」と述べたのは、その後のリニューアルによってリクライニングシートに取り替えられたからですが、なぜあのような座席を採用したのかは、管理人自身どう考えても理解できないものがあります。

7は眺望に配慮した結果ですが、当時の新車の共通した特徴ともなっています。8は、185系との差別化を図ったものと思われますが、これも後年のリニューアルにより変更されました。


ただ、これだけの豪華仕様の列車を運転するのは、やはりそれなりのコストがかかるようで、251系の製造は4編成にとどまっています。もともと、251系は185系を置き換えるものではなく、伊豆へ向かうフラッグシップ的な列車を作りたいというものでした。そういう意味では、結果論ですが現在の小田急ロマンスカーVSEや近鉄の「伊勢志摩ライナー」などに相通じるものがあります。

251系の登場は、上記のとおりの豪華仕様なのですが、ではBR賞の栄誉に浴したかといえばそうではなく、平成3(1991)年度の第34回BR賞は東武の「スペーシア」こと100系が受賞しています。実はこのときのBR賞の得票数は、251系の方が東武100系よりも多かったのですが、BR賞は最多得票の車両に無条件にBR賞を授与するものではなく、1位の得票率が極めて低かったり、得票上位の車両への投票数が拮抗しているなど特段の事情のある場合には、最多得票以外の車両を選定する場合があるそうで、東武100系のケースはこれに当てはまるものでした(251系は1005、100系は998と僅か7票しか差がなかった)。


251系を使用して、平成2(1990)年から「スーパービュー踊り子」が新宿・池袋と伊豆急下田の間で運転を開始します。なぜ東京発着にならなかったかについては、東京西部から伊豆への需要を取り込みたかったことと、当時東京駅で東北新幹線のホーム建設工事を行っていて線路容量が逼迫していたことが理由とされています。そのため、251系の編成は、基地の田町に入庫した際には、1号車のグリーン車が東京方に位置するという、185系とは逆の編成となっています。


好評裡に運転が続けられてきた「スーパービュー踊り子」も、使用車両251系のリニューアルが平成14(2002)年に実施され、外板塗色の変更(エメラルドグリーンとアイボリーのツートンへ)や「カスタムユニット」のボックス席廃止、普通車の座席の簡易リクライニングシート取替えなどにより、新車同然に生まれ変わっており、現在も多くの観光客を運んでいます。

しかし、251系の登場から程なくして、バブルといわれる未曾有の好景気は終焉を迎え、日本経済は不況の波をかぶってしまいます。このころから、日本人の消費行動は「価値のあるものには出費を惜しまないが、それ以外は徹底的に倹約する」という傾向を見せ始めました。幸い、251系使用列車は「値段に見合った価値がある」ということなのか、比較的高い乗車率を維持しているようですが、伊豆への観光客の入れ込みは、平成3(1991)年をピークとして、急速に落ち込んでいくことになります。


次回は、その過程を見ていくことにいたしましょう。


その11(№1772.)へ続く