その11(№1568.)から続く


SE車から数えて5代目のRSEが投入された平成3(1991)年。現在から約20年前ですが、この翌年くらいから、いわゆるバブルの崩壊により景気が悪化してきていました。

と同時に、箱根や熱海、鬼怒川のような東京から近い温泉地について、社員旅行の需要が激減し宿泊客も減少、これら温泉地の多くの旅館が存亡の危機に瀕しました。社員旅行が減少した最大の理由は、もちろん会社の経費節減の動きです。

そればかりではなく、減った観光客も自動車(自家用車)を使用するようになったため、これら温泉地へ向かう特急列車も乗客が減少しました。箱根を擁する小田急も、そのような流れとは無縁ではありませんでした。


もっとも、特急ロマンスカーの乗客数そのものは、途中駅からの乗客や小田原・厚木などからの用務客、さらに朝夕の列車については通勤客が多く乗車するようになった関係で、それほどの劇的な減少はありませんでした。小田急は町田や本厚木などからの通勤客の取り込みには熱心で、既に昭和42(1967)年から町田始発の上り特急を運転するなど、通勤輸送に特化したロマンスカーを運転していました。


当時の小田急は、NSEの老朽化・陳腐化が顕著になったため、代替車の投入を計画します。

代替車の設計に当たっては、上記のような用務客・通勤客の増加を直視し、それまでのロマンスカーが「箱根へ向かう観光客」の輸送に特化していた設計・製造のコンセプトを改め、「観光輸送とともに日常輸送にも充当できる特急車両を」というコンセプトを立て、それに基づいた設計がなされています。

そのような見地から、SE車から数えて6代目のロマンスカーとなる30000形は、以下のようなスペックを持つものとされました。


1 連接構造を放棄、通常のボギー構造とする。
2 展望席やアッパークラスは設けない。
3 分割併合運用を考慮し、基本6連+付属4連の10連とする。
4 「走る喫茶室」営業を行わないことを前提に、車内販売コーナーを設置。
5 座席は回転リクライニングシートとし、座席周りその他内装は小田急百貨店インテリアセクションが担当。
6 外板塗色はメタリック調のシャンパンゴールド(小田急社内では『ハーモニック・パールブロンズ』と呼称)で、中央部窓下に「EXE」のワンポイントとロゴを配置。
7 メカニックはIGBT-VVVF制御で、電動台車と付随台車の装備を分けることで経済的なMT比率を維持。


この「6代目ロマンスカー」は30000形とされ、愛称はそれまでの「○SE」ではない「EXE」(エクセ)とされました。

上記のスペックを御覧頂ければお分かりのとおり、それまでのロマンスカーにあった、観光列車としての「華」を敢えて放棄しているように見えます(1・2・4)。分割併合運用を想定したのは、江ノ島線系統と小田原系統との併結により効率化を図ったものとみられますが、展望席を採用しなかったのはこのこととも関連があるようです(3)。ただ、併結した際に先頭となる車両は非貫通構造とされているため、運用効率の向上は理由にはならなくなっており、やはり名鉄との何がしかの軋轢(?)があったのではないかと推測させるものがあります。

どうも小田急は、EXEについてそれなりの高級感を出すように腐心した節もあり(5・6)、特に内装は居住性も上々で高い評価を受けているのですが、メタリック調の外板塗色は賛否両論あったようです。あの色は、新宿などの都会では映えるのですが、箱根のような緑の多い場所では車両の色が浮き上がってしまう(車両の色が自然の風景に溶け込まない)ため、この点の評判もあまり芳しくないものでした。特に箱根の温泉旅館組合や観光協会など、地元の反応は辛辣なもので、EXE登場後すぐにパンフレットの写真に起用したものの、その後すぐに先々代のHiSEに戻しています。この地元の反応には、それまでのロマンスカーの定番だった「展望席」がないことも理由にあったことは間違いありません。


EXEは、平成8(1996)年から11(1999)年までに4+6の7編成70両が投入され、これによってNSEを置き換えました。NSEは、EXE投入終了後も「ゆめ70」に改造された編成(この編成は、小田急の創立70周年を記念して平成8年に団体用として改造された)を残して全編成退役しています。最後に残った「ゆめ70」編成も翌平成12(2000)年に退役しています。


このように、EXEは、それまでの歴代ロマンスカーと全く異なるコンセプトに基づいて設計・製造されたのですが、それがために沿線住民や愛好家からは「華がない」と酷評されたり、前述のように地元箱根の観光協会などからもマイナス評価がなされてしまったりします。箱根へ出かける観光客からも、展望席がないことで「ロマンスカーらしくない」と、やはり酷評され、敬遠されてしまいます。さらに、EXEは2代目のNSEの代替車として投入されたため、このような投入の経緯が愛好家や沿線住民の間から「あの名車NSEの後釜がこんなのか」という、マイナス評価を高める一因となったことも否定できません。

このようなマイナス評価が多かったためか、SE車以来の歴代ロマンスカーが受賞していた、鉄道友の会BR賞を受賞することができませんでした。ただ、平成9(1997)年度のBR賞投票に当たっては、EXEが最多得票だったのですが、それ以上に「該当車なし」に投票した票の数がEXEの得票数を上回ってしまったため、鉄道友の会の裁定により、同年度のBR賞は「該当車なし」となってしまいました。


管理人が思うに、ではEXEはそれほどまでに酷い車両なのかといえば、決してそんなことはないと思っています。内装もさすが小田急百貨店が手掛けただけあって高級感があふれていますし、座席の座り心地も、分厚い背もたれのリクライニングシートで、腰部をしっかり支えるホールド感と、座面の柔らかさが高い次元で融合されていて、歴代ロマンスカーの中では最も快適といっても過言ではありません。

その点が正当に評価されたのかどうか、EXEは平成8(1996)年度の通商産業省(当時)グッドデザイン商品(現在は財団法人日本産業デザイン振興会所管・グッドデザイン賞)に選定され、世間的な評価が必ずしも低いものではなかったことを証明しています。


現在は江ノ島線の特急政策が変更され、JRの「湘南新宿ライン」への対抗の必要からか、料金の必要のない快速急行を増発し、江ノ島線系統の特急は土休日と平日夜以外、本数が僅少になってしまいました。それに伴って分割併合の機会も減り、箱根湯本まで直行する「はこね」系統が小田原で4連を切り離すくらいになっています。これは、当初両系統の分割併合を町田で行っていたのですが、そうすると町田-相模大野間で2列車が続行する形になることから列車遅延が発生しやすくなったため、分割併合駅を相模大野駅に移したものの江ノ島線系統の列車が減少したことで分割併合の機会が減少したことによります。


現在、EXEは小田原で折り返す線内特急や、平日夕方から夜にかけての特急に充当され、収容力の高さを存分に発揮しています。

登場の経緯が経緯なだけに、不当に低く評価されている観もなくはないEXEですが、今後もロマンスカーの一員としての活躍が続きそうです。


次回は、「走る喫茶室」の歩みを概観することにいたします。


その13(№1593.)に続く


※ 管理人注・全16回とアナウンスしておりましたが、江ノ島線特急の歴史と列車名の変遷は取り上げておきたいと思い、2回追加して全18回にいたします。