その10(№1561.)から続く


昭和43(1968)年に気動車からSSE車に置き換えられて以来、小田急線から御殿場へ直通していた「あさぎり」。名車SEの現役の姿が見られたのは素晴らしいことですが、さすがに昭和の末期になってくると、置き換えの話が現実味を持って語られるようになります。

このころは、国鉄の民営化が成って間もないころ。御殿場線を引き継ぐことになったJR東海は、小田急線を通して新宿とつながっていることを、東京へのもうひとつのチャンネルととらえ、小田急との間で相互直通運転についての協議に入ります。それまではSSE車の片乗り入れだったのですが、それを相互乗り入れにし、かつ運転区間も御殿場どまりから沼津まで延伸しようというものでした。沼津に延長すれば、裾野へのゴルフ客や西伊豆方面への観光客の需要も見込めるということで、両者の間で以下のような取り決めがなされています。


1 小田急・JR東海両社で特急用車両を新造する。
2 特急用車両は1編成7両とし、中間にはアッパークラス(グリーン席)を設ける。
3 両者の相互乗り入れとし、運転区間は新宿-沼津間とする。


これに基づいて、平成2(1990)年に製造されたのが、20000形です。

20000形はそれまでのロマンスカーが箱根への観光客を当て込んでいたのとは異なり、御殿場や裾野・沼津、ひいては西伊豆方面への観光客を当て込んだもので、その点でも他のロマンスカーとは毛色がかなり異なっていました。


他のロマンスカーとの差異で最大のものは、連接構造を採用しなかったことと、ダブルデッカーの採用、小田急初となるアッパークラス(小田急ではスーパーシートと呼称)の導入、それと車体色でした。

連接構造を採用しなかったのは、JR東海との相互乗り入れ協定に基づくものですが、これによって20000形は、2300形以来の通常構造のロマンスカーとなっています。また、ダブルデッカーやアッパークラスの採用も他車とは一線を画していて、それまでのロマンスカーよりも豪華な装備となっています。小田急では初となるアッパークラスは、3・4号車の2階部分に設けられ、そこには2+1配置で大型リクライニングシートが展開するという、まさに「走るサロン室」といった、高級感あふれる雰囲気です。そのリクライニングシートには、当時の優等車には必須アイテムだったオーディオ装置やテレビも備え付けられていました(後に撤去)。1階部分にも工夫が凝らされ、3号車は通常のリクライニングシートであるのに対し、4号車はセミコンパートメント構造となっていて、グループ客を当て込んだ構造となっています。


それにもまして、異彩を放っていたのはその塗色です。それまでのロマンスカーは、SE(→SSE)、NSE、LSEはオレンジバーミリオンとグレーのツートンカラーで、HiSEが白ベースにワインレッドの帯が入るものでしたが、20000形は白ベースにパステル調の水色とピンク色を配し、いかにもリゾートへ向かう列車という、おしゃれな感じに仕上げられています。このような感覚は、それまでのロマンスカーにはなかったものでした。

それでも、やはり「血は争えない」ということか、20000形が歴代ロマンスカーの血を引いていると思えるのは、眺望に配慮された構造です。先頭部は大型のガラスを用い、展望席はなくとも最前部からの展望が得られますし、ダブルデッカー以外の車両はHiSEと同じハイデッカー構造とされています。

ただし、メカニックはHiSEと同じ(それを御殿場線の急勾配対応にチューンナップしたもの)で、VVVFインバーター制御ではありません。これは、当時まだVVVFインバーター制御装置のイニシャルコストが高く、発進・停止の機会の乏しい特急用に採用しても、所期の省エネ効果を得られずコスト的に引き合わなかったことが理由です。現在はそのようなことはなくなりましたが。


ちなみに、JR東海でも上記の乗り入れ協定に基づいて371系を製造しましたが、こちらは1編成しかなく、しかもダブルデッカーの1階部が全て普通席であることと、ダブルデッカー以外の車両がハイデッカーではなく普通の床構造である点などが異なります。


20000形は平成3(1991)年3月のダイヤ改正までに2編成が出揃い、同月16日から新宿-沼津間の運転となった「あさぎり」に投入されます。同じ日から371系も「あさぎり」に投入されて小田急線を新宿まで顔を出すようになり、代々木上原では常磐線の203系と出会い、小田急線上において異なるJRの車両が出会うという実にレアな光景を毎日(371系の検査入場時などは除く)見せています。

その前日、3000形SSE車が惜しまれながらも退役し、34年間の現役生活に終止符を打ちました。3000形そのものは、その後何度か臨時運行に供された後、翌平成4(1992)年に全車廃車となっています。


20000形は、それまでの小田急ロマンスカーと一線を画すコンセプトと豪華な内装などが評価され、平成4(1992)年度の第35回BR賞を受賞しています。20000形はある意味、3000形を廃車に追いやった「憎い奴」ですから、マイナスの評価があってもおかしくなかったのですが、それがなく逆にBR賞を射止めたのは、やはり「これだけの車両ならSEが退役の引導を渡されるのも無理はない」という思いが、選考者の間にあったことは否定できないと思います。

20000形は「Resort Super Express」ということで「RSE」と愛称が付けられ、現在まで親しまれています。RSEの本業は「あさぎり」で、運転開始当時特急券はプラチナチケットと化しました。またRSEは「はこね」など箱根方面への特急にも充当され、こちらでも好評を得ていますが、ではRSEがロマンスカーのフラッグシップになったかといえば、それは違うような気がします。


RSEも登場から20年以上が経過し、「あさぎり」の利用率が芳しくないことや、ハイデッカー構造が仇となってバリアフリーに対応できないこと、その関係かどうかリニューアルを受けていないことなどで、その去就が最近注目されるようになりました。

まず「あさぎり」の利用率が芳しくないのは、やはり特急券の買いにくさでしょう。それと、JR東海が「あさぎり」に熱意を失っているという話も聞きます。さらに、東京へ直行するなら三島乗り換えで「こだま」を利用する方が速くて安い、新宿へ向かう際も品川乗り換えで行けるということで、「あさぎり」のアドバンテージがどんどん失われているといわれています。

さらに、RSEの問題は、同じハイデッカー構造のHiSEも抱えているのですが、HiSEは全4編成中2編成が編成短縮の改造を施され長野電鉄に移籍しています。現在稼働中の2編成も、いつ退役するかは分かりません。

いつ退役するか分からないのは、RSEも同じことです。現在はハイデッカー構造がネックになっていますが、リニューアルの話も代替車投入の話も聞こえてきません。


その出自の特殊性故に、フラッグシップになれなかったRSE。今後どうなるのか、注目していきたいと思います。


その12(№1575.)に続く