その7(№376.)から続く


前回、首都圏におけるJR発足後の通勤車の進化の過程を見て参りましたが、今回は近畿圏を中心とした首都圏以外について見て参りましょう。


首都圏以外で4ドアロングシートの通勤車が承継されたのは、近畿圏の他には名古屋地区(103系)と九州地区(103系1500番代)でした。その他、103系1000番代車を1M方式に改造した105系500番代もありますが、これはどちらかといえばローカル輸送用ですので、考察の外にしておきます。


近畿圏ではJRの発足直後、JR東日本と同じように205系をリピートオーダーによって増備しました。ところが、この車両は首都圏(東日本)のそれとは仕様が異なり、前面窓の配置を変えて前面展望に配慮した形態になり、車号も1000番代に区別されました。この205系1000番代は新製当初から現在に至るまで阪和線で活躍しています。
この205系1000番代は少数の増備で終了し、平成3(1991)年から、将来の片福連絡線(現JR東西線)での仕様を見込んだ新型通勤車が登場します。この新型通勤車は、それまでの103・201・205系とは一線を画していました。たとえば、

・通勤車で初の拡幅車体を採用(2800mm→2950mm)。
・座席はロングシートでありながら、ソファーのようなゆったりしたもの。
・1M方式を採用し、自在な編成を組むことが可能に(量産車)。
・偏心貫通路を採用。

という新機軸を満載して現れました。この車両は、上記のように拡幅車体の採用による広々とした車体に、奥行きの深いロングシートを備え、しかもその両端は背の低い仕切りしかないという豪華仕様でした。


このような豪華仕様の通勤車が世に出た背景には、以下のような必要性と許容性があってのことです。
この車両が主に運用されるエリアである京阪神地区は、私鉄との熾烈な競合に晒されている地区だった(過去形で書いてしまっていいんですかね…?)ため、いくら通勤車といえども、それなりの装備を備えた車両でなければ、利用客にチョイスしてもらえないという考慮があったことは容易に想像できます。そのため、このようなデラックス仕様になったのでしょう(必要性)。他方、関西は朝夕のラッシュといってもその程度はたかが知れていて、関東のような殺人的なものではありませんでした。だからこそ、デラックス仕様が許容されたといえます(許容性)。
この車両の車号ですが、皆様よく御承知のとおり、常磐緩行線に投入された車両と同じ「207系」とされました。しかし、こちらの車両は、内外装もMT比率なども東の900番代とは全く異なり、到底試作車と量産車の関係が成り立つとはいえません。確かに、地下鉄に乗り入れ可能なスペックを持ち、かつVVVFインバーター制御というメカ面を考慮すれば、同類といえなくもないのですが、愛好家の間では、いくらなんでもこれは同類ではなかろう、という認識で一致しているようです。会社としては、通常運用では絶対に出会うことのない車両同士ですから、別段困ることはないのでしょうけれど。
ともあれ、この207系の登場で、東の900番代とはスペックの全く異なる車両が同じ「207系」を名乗っているという、とてつもなく珍妙なケースになりました。


当然のことですが、JR西日本は、首都圏という需要の膨大な区間を抱え、都市間輸送でもドル箱区間を多く抱えるJR東日本とは訳が違います。こちらは稼ぎ頭の近畿圏ですら私鉄との熾烈な競合に晒され、しかも不採算路線を多く抱えていたため、東日本のように大量に新車を投入できるだけの体力は企業にありません。それでも車両の老朽化は刻一刻と進行していきます。
そこで、JR西日本は、既存の通勤車に徹底的なリニューアルを施し、新車同然に整備するという改造を行うようになりました。これが、「延命N改造」といわれるもので、最初のものはユニット窓を下部固定・上部開閉式にし、内装も207系と同等にし、なおかつ屋根も張り上げ式風に整えた「延命N40改造」という徹底的なものでした。この車両が愛好家や利用者に与えたインパクトは絶大なもので、新車同然の状態に誰もが驚嘆の声をあげたものです。しかし、メカの換装まではさすがに手が回らなかった(費用をかけられなかった?)らしく、依然として従来のままとされましたから、保守の低減という点では禍根を残すことになってしまいました。その後は、改造コストや対象車両の余命などを総合的に考慮して改造内容を変更・軽減した「N改造」によるリニューアルとされました。
なお、この徹底的なリニューアルは、電化開業した加古川線や播但線に投入される103系にも施され、地元利用者には新車同然の車として好評を博しています。


その後、207系の増備は打ち切られ、さらに進化した321系に移行しました。
321系は207系譲りの広幅車体ですが、207系と大きく異なるのは、車内案内表示装置を充実させたことです。東日本では、山手線用のE231系500番代から取り付けられるようになったのですが、その位置は客用ドアの上とされています。ところが、この321系の取り付け位置は客用ドアの上ではなく、天井の部分にあたかも中吊り広告のように配置するというものです。管理人は321系に実際に乗車して気づいたのですが、この方法だとモニターの画面を大型化できるんですね。これから高齢化が進みますから、視力が落ちてきた乗客用にはこちらの方が優れていると思います。
ただしこれも、関東より混雑率が低い関西であるが故に、初めて許容される方式ではないでしょうか。なぜなら、関東ではJR・私鉄とも中吊り広告の広告料収入が重要な収入源となっていますので、それと干渉する天井設置型のモニターは、広告主から大ブーイングを浴びることが必定だからです。


この321系は、東海道・山陽緩行線に投入され、そこから押し出された201系を大阪環状線や関西線にトレードすることで、両線に残る103系を淘汰する計画が立てられます。この計画は着実に進んでいるようですが、これによって、東京では数を減らしているオレンジの201系が関西地区に初登場したり、国鉄時代には登場しなかった鶯色になったりしています。201系といえば東では置き換えのターゲットですが、西ではまだまだ使い倒されるということで、両社の彼我の差が現れているようで興味深いものがあります。


なお、大阪以外の地区、例えば名古屋地区は国鉄から承継した103系を4ドア通勤車で置き換えることをせず、3ドア近郊形である211系などで置き換えられています。福岡地区は、303系が筑肥線に入るようにはなりましたが、これは103系1500番代の置き換え用ではなく完全な増発用であり、103系1500番代はトイレ取り付けなどの改造を施されてはいますが、全車健在です(※)。


※=ミケの手もかりたい様の御指摘に鑑み、本文(下線部)を訂正しました。


このように、国鉄時代末期に製造された205系を同じように承継したにもかかわらず(そしてリピートオーダーまでしたにもかかわらず)、その後の進む方向は各社・各地域で全く違っているように見えます。これは、国鉄時代の「全国一律」の呪縛が解き放たれて、真に当該地区にふさわしい車両を設計・投入できるようになったことが大きいのでしょう。もし国鉄が民営化されないか、又は民営化されても全国一社のままだったら、恐らく日本中にE231系やその兄弟車が走り回っていたのではないかと思われます。


最後になりましたが、国鉄~JRの通勤車の軌跡をまとめることは、なかなか大変な作業でした(いつも言っているような気がしますけど、本当にそうなんですよ)。今回の連載の意図がどの程度実現できたかについては、皆様の御判断に委ねるしかありません。


長らくの御乗車ありがとうございました。2007年の連載記事は、これにて終点です。

2008年の連載記事までにはまだ間がございますので、どうぞ待合室(他の記事)でお待ち下さい。


-完-