今日は国鉄民営化・JR発足から満20年に当たる記念日です。それにちなんで、今日は記念記事をアップしたいと思います。

一口に20年と言いますが、20年という歳月は、ひとりの人間が生を受け、成人するまでの時間ですから、やはりそれなりに長いものです。


昭和62(1987)年当時、管理人は高校を卒業して大学に入学しました。それ以前から鉄道趣味誌は購読していましたので、国鉄の置かれた状況は私自身も理解しておりました。いつだったかの総選挙で与党自民党が圧勝し、それによって国鉄改革関連法が成立したことは、私自身にも強烈に印象に残っております。

当時は、なぜ全国一律の組織をあえて解体するのか、労働組合を潰すためにそこまでするのか(国鉄の分割民営化は内部に巣食う政治勢力、就中国労を解体することに主眼があったといわれる)、憤りに近い疑問を感じていました(現在も私は分割民営化には積極的な評価をできずにいますが、その理由は当時感じていたこのような疑問とは全く次元が違います)。

しかし、現実に社会に出てみると、いくら公企業といえどもそこには「生産性」を考慮しなければならないことが、身に染みて分かるようになりました。そう考えると、不健全かつ不毛な労使対立に終止符を打つという意味においては、このような荒療治はそれなりの意味があったものと思います。


私が子供のころ、国鉄がなくなるなどとは考えられませんでしたが、国鉄がなくなっても列車は変わらずダイヤ通りに走り続けていました。変わったことといえば、「JR」のマークが車両に入ったことくらいでした。そんな状況だったからか、国鉄に変わる企業名「JR」も、すぐに世の中になじんでいきました。その後は各社が各社なりの企業努力を重ね、現在に至っています。

しかし、新幹線や大都市圏輸送という大きな需要のパイを抱える本州3社(東日本・東海・西日本)とそうではない「三島会社」(北海道・四国・九州)との間で、経営状況その他に格差がみられるようになりました。実はこの点も分割民営化当初から織り込み済みで、三島会社には「経営安定化基金」を交付したり、税法上の優遇措置を講じたりしています。それでも両者の格差は埋まらないようで、今後は分割の枠組みの見直し(その究極的な形としての再統合)があり得るように思われます。


車両も、すっかり様変わりしました。
特に首都圏では、あれだけたくさんいた103系がどこにもいなくなり、113・115系も壊滅的に減少、415系も最近鋼製車が退役しています。183系や485系などの特急車両も次々に退役又は塗色変更が進められ、国鉄当時のワインレッドとクリーム色のツートンカラーを堅持しているのは北陸線の「雷鳥」1系統だけになってしまい、これも早晩撤退が予想されています。また、非電化区間ならどこにでもいたキハ58系も少数が残るのみとなり、本来の任務である急行列車への使用も、芸備線の「みよし」の1系統のみになってしまいました。


うーん…。
記念記事といいながら、あまりお祭りモードの記事ではありませんね…(-_-)
あまり懐古趣味的なことは言いたくないのですが、私は、また1つ国鉄が遠くなったという感慨に耽っています。


<追記>
JR発足20周年を記念し、当ブログで国鉄がJRに転換する歴史的な歩みを取り上げ、連載記事としてアップすることにいたします。
タイトルは、「国鉄発JRゆき列車追跡」とし、記事は以下の13本といたします。


1 民営化への胎動~不毛の労使対立と膨らみ続ける債務(№145.)
2 国鉄39年間の歩み~政治と鉄道(№151.
3 民営化決定までの道程(№162.)
4 JR発足と好景気の追い風(№168.)
5 貨物輸送の転換と発展(№175)
6 夜行列車の退潮(№188)
7 「国鉄モデル」の終焉(№193)
8 会社間またがり列車の変遷(新幹線編)(№198)
9 会社間またがり列車の変遷(在来線優等列車編)(№205.)
10 会社間またがり列車の変遷(在来線ローカル列車編)(№213.)
11 効率化の追求(都市近郊輸送編)(№219)
12 効率化の追求(地方ローカル線編)(№229.)
13 今後のJRに求められるもの(№240)

どうぞ御期待下さい!