その6(№188.)から続く


国鉄の分割民営化に前後して改められたこと、制度そのものが金属疲労を起こしてきたことはいろいろありますが、大きなものは以前に取り上げた貨物輸送のシステム転換 の他、郵便・荷物輸送の廃止もありました。これによって多くの郵便・荷物用車両が失業状態に陥り、電車の一部は旅客車に改造されたことは、以前の記事 で取り上げたとおりです。


国鉄の分割民営化に際しては、列車の体系は勿論のこと、運賃・料金の体系その他の営業面についても国鉄時代の体制を承継・維持することがアナウンスされていました。しかし、会社が分割されれば多かれ少なかれ「御身大事」、自分の会社が一番大事になってくることは無理からぬことで、ましてそれまでの公共企業体ではない一民間企業(分割当初は政府が全株式を保有していましたので、本来の意味での民間企業といえるかは疑問ですが)となればなおさらです。

このような見地から、例えばブルートレインをはじめとした長距離列車や、普通列車でも会社相互間を直通するような列車などは削減される傾向にあるようです(これらについては、別の記事で触れることにいたします)。


私が思うに、最も「国鉄モデル」の終焉が強烈に印象づけられたものとしては、周遊券制度の廃止と、全国一律運賃の終焉が挙げられます。


まず周遊券ですが、これは①一般周遊券②ワイド周遊券③ミニ周遊券④ルート周遊券の4種類がありました。
①の一般周遊券は、国鉄路線を片道201km以上利用し、いくつかの観光地(周遊指定地)を巡る私鉄・バス・船などを組み合わせて作るオーダーメイドの切符です。これの亜流でグリーン車を利用し、かつ男女2人が一緒に旅行することを条件に発売する「グリーン周遊券」というのもありました。この「グリーン周遊券」、どうやら新婚旅行の需要を当て込んでいたようです。ちなみに、管理人は昭和60(1985)年一般周遊券を組んだことがありますし、昭和39(1964)年には管理人の両親が一般周遊券の1等車用を作り、新婚旅行に利用しました。
②のワイド周遊券は、北海道・東北・北陸など比較的広いエリアの国鉄路線をを乗り放題とし(自由周遊区間)、出発地との往復の経路が選べるようになっていて、かつ出発地との往復も含めて急行の普通車自由席が乗り放題になっていました。後に自由周遊区間内に限り特急の普通車自由席も利用可能になり、ますます利用しやすくなりました。なお、③のミニ周遊券は、②の自由周遊区間を縮小したものです。
④のルート周遊券は、一般周遊券のモデルルートを組み合わせて販売したものです。これは、他の3種に先駆けて廃止されています。


JR化当初の昭和62(1987)年4月の時点では、これらは全て残っていましたが、以下のような問題点が顕在化してきました。
① 一部のワイド周遊券は、有効期間が長かったため定期券代わりに利用する地元客が出現した。
② 北海道・九州などでは、ワイド周遊券の貸借や譲渡が日常茶飯事だった(使用開始後の乗車券の貸借及び譲渡は約款で禁止されている)。
③ 「急行列車乗り放題」という特典も、急行列車そのものの減少により意味をなさなくなったこと。
④ 精算業務が煩雑になってきたこと。例えば当時あった「北陸ワイド周遊券」では、東京都区内発着の場合全くJR東日本を利用しない場合や(往復とも東海道新幹線利用)、逆に全くJR東海を利用しない場合(往復とも上越新幹線や「北陸」「能登」利用)などにも、これらの会社に精算金が支払われていた。


そこで、平成10(1998)年4月、上記の周遊券を全て廃止し、「周遊きっぷ」に一本化しました。これは、行き券・かえり券とともにいくつか設定した「ゾーン券」を組み合わせるもので、一般周遊券に先祖帰りした感もなくはないですが、さすがにこのような発券方式は煩雑極まりないようで、利用も余り芳しくないようです(少なくとも管理人は一度も使ったことがない)。やはり買いやすさでは、かつてのワイド・ミニ周遊券に一日の長があったことは否めません。そのためか、JR各社でも全線のフリーきっぷを売り出したり(北海道・四国)、かつての南東北ワイド周遊券を思わせる「土・日きっぷ」を売り出したりしています(東日本)。


全国一律運賃の終焉は、やはり平成10(1998)年のことで、経営が芳しくない「三島会社」(北海道・四国・九州)が本州3社(東日本・東海・西日本)と賃率が分けられました。しかし、この問題は、全国一律が崩れたというよりは、当該路線の輸送実態に即して設定されるようになったということでしょう。国鉄時代は全国一律の運賃を標榜していましたが、よく考えたら同じ会社の路線だから全て運賃が同じであるという必然性は全くありません。現に、名鉄などは路線ごとに賃率がことなり、ローカル線ほど高くなっています(東武はどうなっているのでしょうね?)。だってそうでしょう。首都圏の通勤線区と、1日に数本しか列車が来ない北海道のローカル線のような線区とで、運賃が同じであることの方がおかしいと思いますよ。そういう意味では、むしろこれは「適正化された」というべきでしょう。


…と頭では理解していても、やはりこういったところにも、愛好家の視点で見れば国鉄が遠くなったことを感じ取ってしまいます。


その8(№198.)へ続く