秋葉原事件から1ヶ月―非正規雇用者達の不安と生活苦、そして教員も「派遣」

今日は、秋葉原の通り魔事件 からちょうど1ヶ月との事で、ニュースでも取り上げられていました。
この犯人に関しては、若者達の間でネット上でも、批判・共感など様々な議論がなされているそうです。先程のニュースでも、派遣社員・求職中・休職中といった20~30代の数名が集まり(この立場の人々に自分が重なる・・・)、事件について話し合っている様子が映されていました。
事件当初から、加藤容疑者が派遣社員という事で、最近の雇用問題である「ワーキングプア 」がよりクローズアップされたように思います。派遣(を含む非正規)雇用者が特に多いこの世代(20代後半~30代)を中心に、働き盛りの人々の関心を集めていると感じます。
労働問題は、働く側にとっての死活問題でもあります。安定した職→収入を得られないのは、生きていく事への危機ですから。その事に不満や要望を訴えても相手になどしてもらえないのが普通で、ゆえに遂には限界に達し、怒りと不安の爆発と共にそうした社会への悲痛の叫びのように思います。
通常なら、絶対に許せず怒りしか覚えない残虐な殺人犯のはずなのに、一方どこかで同情さえしてしまう部分もある・・・それは、本来なら希望や意欲を持って働いているはずの世代の多くが、自分勝手な雇用側によって潰され、生活苦や将来への不安に加え、自信喪失・孤独感など諸々の気持ちばかりが募っている、我々にとっても「他人事」ではないわけです。結果として彼が(やり方は間違っていましたが)その代弁者のようになってしまった感じです。
「派遣」が問題という事で、1年以上前のネット記事ですが、「私学講師の雇用問題」について書かれたものを見付けましたので、以下に紹介します。
「教員の派遣」についてはまた別の機会に述べますが、記事の内容は、正に私がここで何度も叫んでいる実態 であります。
そして、リンク元のイメージ写真の説明文には
『「ハケン教員」は常に不安定な中、それでも尽力している』
と書かれており、非常勤の私達(派遣とは違いますが)もそうしてきたわけです。
関連エントリー:ネット記事より―教員間の格差問題
派遣社員は、派遣をあっせんする会社(派遣会社)の社員として雇われ、派遣先の企業で働く。派遣社員は派遣会社の社員であるので、雇用関係は派遣会社と結ぶことになり、給与も当然派遣会社から支払われる。
会社は多少単価は高くなるが、必要な時期に必要な人材を効率よく投入でき、多くは有期契約のため、不要になった人材をいつまでも抱えるリスクがなくなる。派遣社員は、契約で定められた時間に求められた仕事をこなせば良いため、正社員に比べ、自分の都合を優先することが可能である。
しかし一方で派遣社員は、「都合の良い人材」として扱われ、常に「労働者」から脱却できない。会社の都合によって契約が打ち切られることもあり、たとえ能力が高くても職位が上がることはない。「いくらでも代わりがいる労働者」という不安定な状態で、常にリスクを抱えながら勤めなければならない。
派遣社員という雇用形態を選ぶかどうかは自分の価値意識次第であるので、ここでは論じない。ただ、最近は学校教育の中にも「派遣」や「有期契約」が増えているのはご存じだろうか。
先日、私の友人が高校教員の「非常勤講師募集」というのを見つけたので応募した。記載されていたのは担当科目と高校名であったが、雇用者はある株式会社であった。早速、掲載されていた会社に連絡をとり、面接を受けた。加えて、パソコンのスキルテストや一般常識についての筆記試験を受け、いったん「登録」という形となった。
その後、登録した派遣会社から連絡があり、派遣先の高校へ派遣会社の社員と共に出向いて面接を受けた。後日、合格ということで「採用」にはなったが、雇用者は派遣会社であり、「(雇用関係の継続を含め)何かあれば派遣会社に伝える」システムになっているらしい。高校教員をするにあたって、その適性をパソコンのスキルと一般常識試験だけで判断できるかどうかは不明だが、聞くところによるとさまざまな学校で「ハケン教員」は増えているらしい。
ハケン教員は基本的には1年契約で、雇用者は派遣会社。そのためさまざまな契約や、1年後に契約を継続するかどうかは派遣会社から告げられるのが一般的なようだ。
もともと私立高校などでは教諭ではない、1年契約の「常勤講師」という、名前だけ立派な「使い捨て教員」が少なくない。特に進学率や受験を重視する高校では、若いやる気のある教員を1年契約で雇い入れ、安い給料で使うだけ使って「雇い止め」する。そのため、教員の「回転」も早い。若い教員は、次々といなくなる先輩教員たちを見て、やる気を阻害されたり、契約を打ち切られた後、教員という職業を辞めてしまったりすることも少なくない。
教員免許の更新制が最近話題になっているが、免許の更新より先に、雇用の更新がされずに不安定なまま教員を続ける人もいる。多くの場合、「更新されなかった=教員の資質に欠ける」というわけでもなく、若くて安い給料で精いっぱい働いてくれる人を常に雇い続けることのできる学校側の都合で「辞めさせられる」ことのほうが多いようだ。
そんな「使い捨て教員」が学校に愛着を持てるわけもなく、同時に生徒に愛着を持てるわけもない。来年度、自分がその学校にいるかどうかも分からない不安を抱え、生徒の将来について親身になって考えることができるだろうか。あなたがもし親だったら、そんな学校に子どもを通わせたいと思うだろうか。
そんな「使い捨て教員」である「常勤講師」でも、実はこれまでは逃げ道があった。労働基準法で、原則3年以上雇用関係が継続されている場合、たとえ1年契約であっても正職員と基本的には同等に扱われ、原則として「むやみに契約を打ち切られない」ことや「雇い止め」にされることがないように決められていた。
しかし、「ハケン教員」になってしまった場合、その法律で守られることはできなくなる。派遣先である高校が「もう必要ない」と判断した場合、「ハケン教員」は契約が終了する。1年ごとの更新は不安定である。今回、「ハケン教員」として契約した友人は、「こんな不安定な状態では結婚もできない……」と嘆く。
私立高校だけでなく、小学校から大学まで、あらゆる学校で同じような状態になりつつある。ある短期大学に勤めていた別の友人たちも、数名が「雇い止め」にあい、突然職を失った。専門知識が細分化されている大学機関では、次の職を探すことすら難しい。しかし、3年以内に一方的に契約を打ち切られ、使い捨てられている。
こんな状況の中で、「良い教育」ができるのだろうか。ハケン教員や有期契約教員が多く、生徒や学生について引き継ぎがされない状態で新しいハケン教員が担当することも多い。多少問題が起きても、「あの先生が辞めたから分からない」という言葉が現場では通用してしまっている。昔からいる一部の正職員(教員)との間には大きな溝ができることもある。
教育内容の議論も大切だが、教員を労働者として見なさない雇用側(公立学校も含む)の問題についても議論する必要があるのではないかと思う。