先代佐渡ヶ嶽親方、死去
おととい亡くなられたそうです。先日、琴光喜の大関伝達式 を後ろから見届ける姿が映されていたのに・・・まだ66歳との事で驚きましたが、ご病気だったみたいですね。
佐渡ヶ嶽部屋といえば、かつての二子山部屋や武蔵川部屋のように、同時期に横綱・大関を抱えるような派手さはなかったものの、コンスタントに関取を輩出してきました。
一昨年11月、この先代が場所中に定年になり、娘婿である最年長関取・琴ノ若が引退して部屋を継ぐ事に。場所後に琴欧州が大関昇進を決め、伝達式には新旧師匠が同席していたのが印象的でした。
実力者は多いのに、琴風以来なかなか大関が誕生しないと言われていましたが、退職時に琴欧洲の、亡くなる直前に琴光喜の昇進を見届けられ、本望だったのではないでしょうか?
それ以外では、最強関脇・琴錦、平幕優勝・琴富士、髪の毛が気になった(失礼)琴稲妻、一時期大関候補と言われた琴ヶ梅、吊りの琴龍、最近成長中の琴奨菊・・・などなど。懐かしい名前もたくさん出てきます。
現役時代は知りませんが、親方としての手腕は素晴らしかったと思います。ご冥福をお祈り致します。
【大相撲】名横綱、名伯楽の琴桜が多臓器不全のため死去
師匠には、これを信頼関係を立て直す機会と出来れば良いのですが、そううまくいかないでしょうか?理事長はじめ協会も「師匠一任」ではなく、この師弟が困っている時には協力するくらいの姿勢が欲しいです。とにかく、この状態で朝青龍を追い込んで、万が一引退になってしまったら、本人にも相撲界にも悔いが残ると思います。
故先代佐渡ケ嶽親方が朝青龍に遺言
14日に敗血症による多臓器不全で亡くなった、元横綱琴桜で先代佐渡ケ嶽親方の鎌谷紀雄(かまたに・のりお、享年66)氏が、謹慎中の横綱朝青龍(26=高砂)に、「遺言」を残していたことが、15日分かった。自分の弟子のようにかわいがってきた40歳下の横綱が1日も早く、病やケガを治し、土俵に戻ることを強く願っていた。朝青龍はこの日も東京・墨田区の自宅にこもったまま、姿を現さなかった。
鎌谷氏は、朝青龍のことを気に掛けながら息を引き取っていた。この日、千葉・松戸市の部屋前で報道陣に対応した娘婿の佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)が、生前の鎌谷氏が朝青龍に抱いた思いを代弁した。「先代は横綱のことがずっと気になっているようで、『悪いところがあるなら、それを早く治して土俵に戻ってほしいな』と私に話していました」。亡くなる前日の13日までは、テレビで朝青龍に関する報道を見ては、家族にも「どうなるのかね」と漏らしていたという。
一門も違えば、弟子でもない。だが、鎌谷氏は朝青龍をかわいがり、朝青龍も鎌谷氏を慕っていた。05年11月2日、九州場所前に行われる恒例の「横綱会」でのこと。左足が不自由な鎌谷氏に、朝青龍はそっとかがみ込んで靴を履かせたことがある。以来、鎌谷氏は「私の肩を抱えて起こしてもくれた。彼ほど優しく、人情にあふれ、気遣いができて、責任感を持った横綱はいない」と公言し始めた。出げいこに来れば「よく来てくれた。ありがたいよ」と声を掛け、朝青龍も「ありがとうございます。佐渡ケ嶽部屋の土俵は素晴らしい」と返していた。
朝青龍の関係者は「まだ先代が亡くなったことは横綱には伝えていない」と言い、21日に行われる鎌谷氏の葬儀・告別式には「現段階では逆にご迷惑が掛かる」(同関係者)との理由で弔問の予定はないという。だが、これまでも日ごろの言動、態度を非難されることが多かった朝青龍にとって、鎌谷氏は角界の数少ない味方であり、恩人であったはず。「土俵に戻ってほしい」。その「遺言」をどう受け止めたかは、今後の行動で示される。【柳田通斉】
[2007年8月16日9時33分 紙面から]
朝青龍への処分 日本人の仕打ちにモンゴル人怒る
横綱・朝青龍の謹慎騒動は、ついに医者の診断にまで発展した。.......... ≪続きを読む≫