1月上旬特選映画【1】★映画のMIKATA「クリード/炎の宿敵」★映画をMITAKA | 流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

都市生活者の心と言葉を掌にのせた小説、電脳化社会の記号とイルージョンを巡る映画、都市の孕むシンボルと深層を探るエッセイ、街の風景と季節の色を彩る短歌…。小説と映像とエッセイと短歌をブログに・・・掲載します。

 

 

明けましておめでとうございます。本年も映画ブログを宜しく応援お願いします。

年末年始に左程いいこともありませんでしたが、頑固一徹のマイペースで今年も無病息災に過ごしたいです。私の終活の一つ、望むらくは今年こそポーランドの「アウシュヴッツ」見学を実現したいですーネ。ア~そう言えば、これを例のゾゾタウンの前沢友作の、1人100万円総額一億円のお年玉プレゼントに応募すればよかったかな…。どなたか応募した方がいますか?

 

近況を少し書きますと、昨年下旬に脳神経外科に2回目の入院、血管の細い部位を手術しまして、ナントか脳梗塞のリスクを回避しました。年末ぎりぎりに退院して自宅でお正月を無事に迎えました。私自身何事もなく回復してホーとしています。退院そうそう早速映画館の座席に座り、何時もより速いペースで続けて数本観賞しました。今日公開の「クリード」も早速観賞後に急いで書きました。それが今回掲載の4本目です。

 

1月上旬の特選映画をアップロードします。今回4本を映画館で観賞、選んだ特選映画1本は結局今日見たボクシング映画『クリード/炎の宿敵』でした。久々にシルヴェスター・スタローンの白髪頭の老いた姿を見ました。いやや、彼もおいているナ…、でもアクションスター・ファイターとしての迫力はまだまだ残ってマス。

 

昨年公開の『ワンダー/君は太陽』(2018年6月公開、スティーブン・チョボウスキー監督・脚本)は素晴らしかったです。私はオスカーの作品賞に値する名作と思っています。そして、『こんな夜更けにバナナかよ/愛しき実話』は障害者映画の久々の邦画の傑作映画でした。こんな障碍者の映画がもっとたくさん制作してほしいですーネ。ラストの30分がなければ、私は日本アカデミー賞最優秀作品賞に値すると思っています…。それにしても、日本アカデミー賞にもノンフィクション・ルポルタージ部門賞ができてもいいよな!!!日本の映画界に異論を唱える監督や俳優が居ても可笑しくないよな…。

 

昨今の洋画を一瞥すると音楽関係の作品が多いですーネ。私はクイーンの『ボヘミアンラプソディー』も『アリー~』も『ホイットニー~』等々全て観賞をパスしました。うーん、何も映像で音楽を聴く必要もないよなー。確かに往年のコンサートを聞いて熱狂した世代のファンならば、あの熱狂と感動を再体験したいこともあるのだろうな…。団塊の世代の追想に…、特に伝説のロックスター「クイーン (Queen)」のフレディ・マーキュリーの歌声は懐かしいだろうな…。私はCDを聴くだけで十分です。

 

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1本目の『こんな夜更けにバナナかよ/愛しき実話』(2018年、前田哲監督、)は、「筋ジストロフィー」という難病に罹った障害者の映画です。介護なしにはコップ一杯の水さえ、一口のご飯さえ食べられず、筋肉が次第に衰えて呼吸器不全で亡くなる遺伝的な不治の難病「筋ジストロフィー」に罹りながらも、大勢の献身的なボランティアの協力と支援で、例えば英検2級合格を目指して英語を勉強したり、障害者でも自立して積極的に生活するアメリカの提唱者に会いに渡航したいとか、体の不自由さをものともせずに自分の夢や欲望にまっすぐに生きる実在の人物・鹿野靖明(大泉洋)の、2002年に亡くなるまでの20年余りの凄絶な生涯を描いた病気療養映画です。

 

筋ジストロフィーと言えば、勿論「車いすの物理学者」のスティーヴン・ホーキングが有名ですーネ。大泉洋演ずる鹿野は、ボランティアの介助なしに一分でも生きられない障碍者にもかかわらず、病院のベッドに縛られず、医者の拘束と治療に干渉されずに、自宅のベッドと車椅子で過ごす生活を送っていました。それは、周囲の善良な親切を巻き込み、その憎々しい態度と無理難題の注文と風船ガムのように言葉が大きく膨らみ弾ける夢と希望を持っていた…。

 

ボランティアの一人で、病院経営者の息子で北海道の医大に通う田中(三浦春馬)と、彼が紹介した彼の恋人役の新人ボランティアの美咲(高畑充希)がこの映画を盛り上げていますーネ…。「こんな夜更けにバナナかよ」というタイトルも、真夜中にバナナが食べたいと気まぐれに言い出した鹿野の食欲を満足させようと、深夜のコンビニを走り回る美咲が憤慨して、「障害者ってーそんなに偉いのかよ…」と捨て台詞をはく…のが、映画のタイトルになっています。普通の女性、ことに若い女性にとっては憤慨してあたりまえの本音から来ています。私は、この高畑充希の演技に大喝采を送りたいですーよ。

 

私はむしろこのボランティアの美咲の言葉を「ボランティアってそんなに偉いのかよ・・・???」と言い換えて叫びたいです。昨今人間性の評価基準として「ボランティア活動」が高く評価されていますーネ。企業の大学生の入社採用基準に「ボランティア」の点数が高かったり、個人の仕事能力より以上に、人間的評価の基準になっています…が、でもね、就職のために「ボランティア」活動をするのはどうかと思います。「ボランティア活動」=社会奉仕活動が、私には戦争中の「滅私奉公」のように聞こえてきます…!!!2020年の東京オリンピックのボランティアの人手不足から、ある大学ではオリンピックボランティアを「単位取得」にさえ認めたそうです。それってなんか変だよーネ、これこそ「滅私奉公」の精神の復活だーネ。ボランティアネの精神って、人の役にたちたい、人助けをしたい、困った人たちに奉仕したいという心がなければ、ボランティアは自己欺瞞の偽善だよーネ。

 

年末のこの時期は「日本アカデミー賞」狙いの名作秀作が陸続と公開されます。この映画ブログでも紹介した『人魚の眠る家』も、私は間違いなく最優秀作品賞や監督賞、最優秀主演女優年の賞や男優賞を獲得する名作秀作の1本ですーネ。いま私が迷っているのは、『こんな夜更けにバナナかよ/愛しき実話』が2018年のこれらの最優秀賞に値する名作秀作の1本にに値するのではないのかな…と、思われることです。

 

ただね…。映画のラスト30分のシーンかな、お涙頂だいのシーンとハッピーエンドの締めくくり方がやや不満でした。私は映画の真価の基準として、作品の初めと終わりに注目しています。・・・そんなに障害者って、偉いのかよ、という美咲の言葉は、衝撃的でした。それに対して締めくくりのシーン…、もう一度大学入試に挑戦、美晴は無事に教育学部に合格、念願の学校の先生となって終わります。田中は医学部に復学して北海道の僻地の診療に励み、2人はハッピーに結婚する…。目出度しめでたしでしたーネ…!!!でもね、そんなに人生は甘くないぞ…と、やや不満を隠せませんでした。

 

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新春に掲載する1本目の映画は、アルゼンチンのブエノスアイレスに暮らす88歳の仕立屋・アブラハムがマドリード、パリを経由して目的地

ポーランドまで旅するロードムービ『家へ帰ろう』(2017年年、パブロ・ソラルス監督&脚本)でした。

 

アブラハムは70年以上経った今、ポーランド・マドリードに住む命の恩人に自分が仕立てたスーツを渡そうと旅立つ。老いたユダヤ人のアブラハムの家族、教師だった母と仕立て屋の父と11歳の幼い妹は、自分の眼の前で殺される惨いホロコーストの歴史の体験者でした。家族を奪ったナチズムの忌まわしい記憶のあるドイツの土地を二度と踏みたくない…というアブラハムの決意でした。あの時、自分を助けてくれた命の恩人に自分が仕立てたスーツを手渡す約束を果たす為に、ブエノスアイレスからドイツの土地を踏まずにポーランドのウッチまで旅をする…。最後にウッチで出会うシーンは感動的でした-ネ。この作品は大変地味ですが「ナチズムとホロコースト」の映画でもあります。

この映画は「ロードムービ」で、アブラハムがマドリード、パリを経由して目的地に向かう途中さまざまな人と出会います。機内で隣席にいた青年、スペイン・マドリード空港到着後に出会ったホテルの女主人、列車でワルシャワに向かう途中に出会った人類学教授のドイツ人女性、電車で体調を崩し倒れた彼を介抱して、旅の目的地であるウッチまで車いすを押して同行する看護婦・・・など。収容所で右足を悪くしたアブラハムに手を差し伸べる人たちとの出会いは通り一辺のロードムービではなく、また、人と人との温かい出会いがいかにもロードムービらしい映画でした。うーん、これは今まで私の見た「ナチズムとホロコースト」の映画とは一味違った作品でした。

 

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3本目は、不思議な夢を見た父ダヤ(ラリット・ベヘル)は、自らの死期を悟ったと言い、ガンジス河の畔の聖地バラナシに行くと宣言する。家族や息子ラジーヴ(アディル・フセイン)の反対を押し切って、安らかな死を求める人々が集う施設「解脱の家」で生活を始めるインド映画『ガンジスに還る』(2018年、シュバシシュ・ブティアニ監督)でした。«解脱の家»と言うのはフィクションだと思いますが、ガンジス河というのは、インドの民衆にとっては人の「死」を永遠の輪廻の流れに肉体を預ける、時と空間が宇宙に繋がった河なのだろうーネ。

 

何か、高齢化社会に相応しい映画でした。誰でも肉体の死を免れない人間は、人は死ぬ時を選べない…だろう。ただ生き物は死の時を予感して死ぬ場所を選ぶと言う。都市伝説と言われる象の墓場は本当にあるのでしょうかーネ。人間で言えば、大規模奈な霊園がさしづめ人間の死に場所なのかな。この日本も、独身男性も未婚女性の増えていますので、家庭を持たない男も女も狭いアパートや古びた民家で寂しく孤独死する人も増えてます。いやや、小金を貯めて贅沢なマンションで生活しながら孤独死するシングルも居るでしょうーネ。だけどそれが、それらが幸福な自分が選んだ「死」とは、誰一人思わないだろう…ネ。ひょっとして、核家族化社会の現代の家族制度で、肉身身寄りが誰一人なくなって、葬儀と墓地もいらないー、樹木葬とか海洋に散骨すること埋葬の方法を選択する人も居るだろうーネ。

 

高齢化社会では、旺盛な生き方を求めるよりも、心静かに死に場所を求める時代かもしれません…。でも今の日本に生き甲斐を求める空気はないよな…、まして心静かに死を受容する「死に甲斐」などもありませんーネ。一時代昔の「昭和」は、精一杯働いて社会から引退して老後の最後の炎を燃やして、家族友人に看取られながら畳の上で死ぬのが老後の幸福、日本人の平均的な「死甲斐」の姿でしたが…。しかしながら最早、老後といえども年金でゆったり暮らす生活の余裕などなく、定年後にもあくせく働いて過労死する時代になりました。老人には過酷な薄い福祉と「姨捨山の日本の」安倍政権の時代には、こんなん安らかな「死」の安息の映画は、シミジミ受け入れられる雰囲気がありました。

 

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4本目は、勿論スタローンの脚本と監督ではないが、シルヴェスター・スタローンの代表作「ロッキー」シリーズの8作目のボクシング映画『クリード 炎の宿敵/CREED II 』(2018年、スティーヴン・ケイプル・Jr監督)です。シリーズ6作目の『ロッキー・ザ・ファイナル』(2006年)で、現役を引退し、地元フィラデルフィアで小さなイタリアン・レストラン«エイドリアンズ»を経営していたかつてのヒーロは、愛妻エイドリアンにも先立たれ、満たされない日々を送る。そんな時、無敵の現役ヘビー級チャンピオン・ディクソンは対戦相手に最早伝説のヒーロ・ロッキーとのエキシビジョン・マッチを企画する。シリーズ7作目の『クリード チャンプを継ぐ男」(2015年、ライアン・クーグラー監督 )では、妻を喪い孤独に生きるロッキーが、盟友アポロ・クリードの息子アドニス・ジョンソンに乞われ、トレーナーとなって世界チャンピオンを目指す…。シリーズ8作目の『クリード 炎の宿敵 』では、世界チャンピオンになったアドニス(マイケル・B・ジョーダン)に、父アポロの命を奪ったイワン・ドラゴの息子ヴィクターから挑戦状をたたきつけられ、ロッキーの反対を押し切り、リベンジを誓い試合に臨む。ダウンした相手を殴るヴィクターの反則行為によって判定負けで勝利するのだが…。ヴィクターは再挑戦を、しかもアウェーイの母国ロシアでの再試合の挑戦状を突きつける。トレーナーにロッキーをつけて対戦試合に備えたマンツーマンの訓練を積み、ロープの周囲はアドニスの負けを望むロシア人ばかりで試合に臨む・・・。ビアンカ(テッサ・トンプソン)と結婚、可愛い子供もできたアドニスのボクシング映画は、寧ろボクシング映画と言うよりも私には愛情映画のようにも見えました。移民社会のアメリカ、こんどはメキシコ人がチャンピオンになるボクシング映画が見たいですーネ…。

 

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