城代家老・大杉は、妻・八重の思う通り、焦りを感じていた。
藩の為を思って、藤千代を暗殺した7年前の事件が蒸し返されようとしている。
それを探っている町人崩れの若い男を、四方八方捜させても見付からない。
もし、事が藩主の耳に入れば、全ての努力が水の泡と消える。
いかなる手を尽くしても、その若い男を捕まえなければならない。
焦りは、日に日に増していた。
大杉は、決して私利私欲で動いていないとの信念を持っていた。
経済が破綻寸前の藩を立て直す為に、長年に渡り主要の産業である林業を活発にし、山に囲まれている地形を利用した田畑の開発等行ってきた。
その結果、城代家老になって20年近くの間に、藩の借財が半分にも減ったのである。
噂通り、御用商人から賄賂を貰う事はあっても、それは自分の懐に入れず、孤児を育てている寺や診療所に寄付したり、天災が起きたときに貧しい農民へ米を配る元手にしている。
自身の生活においても、質素倹約に努め、妻と5人の子を大切にしてきた。
特に、妻の為を思えばこそここまでやってこれたのだ。
妻は、「金貸しの娘」と武士の妻達の間で陰口を叩かれていた。
「これは本当の事ですから。」と妻は一笑に付すが、大杉には我慢出来なかった。
自分がもっと権力を握れば、誰も妻の悪口を言わないはずだと思い、長女を藩主に差し出して、城代家老として確固たる地位を築き上げたのだ。
大杉は、藩と自分の家族の為に、自らの地位を断固守らねばならない。
不本意であるが妻をお城に上げたのは、藩主や藤丸とその周辺の様子を探って貰う為である。
黒幕も明らかにしなければならないと、大杉は思った。
一方、反大杉派の家老・加藤も、焦りを感じていた。
加藤の耳にも、7年前の事件を探っている若者がいるとの話が入っていた。
もしかすると、自分の事かと内心怯えていた。
加藤も、手下を使い密かに探ってはいるもののまだ見付からない。
藤丸の婚約と元服が控えているこの時期に、あの事件を探っているのは、もしかすると噂で聞いた藩お抱えの隠密ではないかと睨んでいた。
お春の方と守り役は、その事を知らぬであろうし、この件で2人に頼ると後が怖い。
兎に角、その者を消してしまえば、事件はもみ消され加藤の家は安泰である。
加藤にとって、藩の大事よりも己の保身のみであった。
加藤一族は、初代藩主が戦国時代に流浪の身であった時分から仕えており、家臣の中で格式が高かった。
やがて時の流れていく内に、一族の勢力が衰えてしまった。
現在の当主である加藤が、藩主の生母の親族の女性を妻に迎え、勢力を一時盛り返した。
それもつかの間であった。
城代家老・大杉の娘が、藩主の跡取りを生んでしまった事で、加藤は益々藩内での権力を失ってしまったのだ。
加藤にも、芸者にとの間に生まれたものの、妻が文句一つも言わずに引き取って育てた娘が一人いるが、容姿が父親似であるので、大杉と同じ手段は使えないと諦めていた。
嫁入りの年頃なのに、一向に良い縁談が来ないのも悩みである。
加藤家の勢力を盛り返す為、様々な名家に縁談を申し込んでも、皆大杉になびいているので断ってくる。
悲しいことに、利発に育った息子達は成人した途端、病で次々と倒れてしまった。
片腕として自分を支えてくれた長男は昨年から酷い労咳にかかり、床に伏したままである。
次男はというと、一昨年に心臓の病で亡くなっている。
しかし、加藤には切り札があった。
江戸へ留学していた、三男である。
三男は幼い頃は病弱であったが、成長する内に丈夫な体になり、武芸と天文に秀でる様になった。
星を眺めるのが大好きな藤丸の側へ、この三男を送りこめば何か分かると思った。
先日、三男を江戸から呼び戻し、藩主の許しを得て、本日から藤丸の側へ仕える手筈を整えた。
これからが、正念場であると加藤は感じ取っていた。
こうして、大杉、八重、加藤、そして清吉の思いが交錯する中でそれぞれ登城の時を迎えた。