早朝、清吉が泊まっている宿におときが慌てた様子で突然やって来た。
おときは、清吉に八重が書いた手紙を持って来ていた。
清吉は、その手紙を受け取って読んだ。
手紙には、至急会いたいとしか書いてなかったので安堵した。
だが、清吉にはおときが何故、この手紙を持ってきたのかを知る必要があった。
茶を飲み、少しずつではあるが、落ち着きを取り戻したおときが事の詳細を話し始めた。
前夜、近所でお産があり、おときはその手伝いで遅くまでいた。
その帰り道に、神社から出てきた八重の後ろ姿を見たのであった。
こんな遅い時刻に、お参りとは疑問に思ったおときは、神社の松の枝に紙が結わかれているのを見付けた。
この神社では、おみくじはない。
好奇心からおときは、その紙を開けてしまったのである。
その手紙に、清吉の名が書かれてあったので驚き、これを直ぐに伝えなければと、急いで宿へ駆け込んだのであった。
おときは、自分と家族の命の恩人である清吉が、何か恐ろしいことに巻き込まれてはいないかと不安で一杯だった。
清吉は、おときをなだめる様に語った。
八重様は自分の得意先で、今回嫁の為に出産祝いを隠れて探していたのであり、その手紙は急いで注文した品を届けて欲しいという意味であると。
清吉と八重との間に、なにか不義でもあるかと勘ぐっていたおときは、2人の間に何も無いことを知って安堵した。
しかし、清吉には一つの疑問があった。
何故、深夜で見た女性の後ろ姿を見ただけで、おときは八重様と分かったのか。
そのことを、やんわりと尋ねると、おときは意外な話をし出した。
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今を遡ること、30年前。
藩にもお金を貸す程の裕福な両替商がおり、そこに一人の娘がいた。
それが、八重であった。
周りから美貌と人柄を褒められ、親からの愛情を一杯に受け、のびのびと何不自由ない生活を送っていた。
八重が15才になった時に、評判を聞いた江戸の豪商から縁談が持ち込まれた。
豪商とは一度も会ったことが無いが、親にすればまたとない良縁であり、話はとんとん拍子に進み、あとは嫁入りの日を待つだけとなった。
そんなある日、商人は盛大な茶会を催した。
多くの招待客の中に、当時の城代家老の息子で大杉左近がいた。
大杉左近は、八重に一目惚れしまった。
最初は、身分違いだと反対していた大杉の父親であったが、息子の熱意に負けて承諾した。
藩内一の美人と謳われた八重を、嫁にするのには訳があった。
大杉家は、8人の子に恵まれながら、成人したのは左近だけであった。
八重の家の5人の子供は、皆丈夫に育っていた。
それゆえ、八重なら健康な子供を産んでくれるとの思惑があったのだ。
最後まで猛反対した母親もいたが、父を味方に付けた息子は話を進めるのであった。
両替商は、大杉から嫁に欲しいと言われた時は驚嘆したが、店のことを考えると悪くない話であり、城代家老とも縁を結ぶことは家名の誉れであると考え、江戸の豪商には丁重に婚約破棄を申し出た。
次に大杉の父親は、藩の高官に八重をその家の養女にして欲しいと頼み、武家の娘として嫁に迎える準備を整えた。
八重の知らない間に、婚約破棄や、武家の養女となり城代家老の息子に嫁ぐことが決められてしまった。
だが、大杉に「自分が城代家老を継いだら、この藩を発展させたい。その為に協力して欲しい。」と頼まれた事や、店で何度か会う内に誠実な人柄に惹かれる様になり、この話を八重は受けることにした。
大杉が八重を見初めてから、1年もしない内に八重は大杉に嫁いだのであった。
当時の藩の常識では、武家と商人が身分を超えて婚儀を行うことは前代未聞であり、大騒ぎになったのである。
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花嫁行列を物陰から隠れて見ていた幼き頃のおときは、八重の美しさを今でも覚えていると言う。
そして、大杉は大の甘党で、昔はよくおときの茶店に団子を買いに来ていた事があったと教えてくれた。
今はお付きの者が、しばしば買いに来るが、時たま八重が訪れることもあると言うのである。
だから、おときは暗闇の中でも八重の姿が分かったと言うのであった。
清吉はこの話を聞いて、不思議な縁を感じ、それと子と孫を失った八重様の為に自分は全力を尽くし、藤丸を守る決意を新たにした。
話し終えたおときは、事が分かり安堵したのであろう、静かに家路に着いた。
清吉は、急ぎ八重の下へ向かったのである。