僧侶は、清吉に7年前のお家騒動を話し始めた。
僧侶は、出家前は田島敬之助という名で、八重のすむ小藩の下級藩士であった。
養子に出された藤丸が、実の父である藩主の下へ戻った。
それと同じ頃に、兄の藤千代が正室・お静の方が住む江戸へ向かうことになった時、その年の藩主催の剣術大会で一位になった田島敬之助は、藩主の命を受けて藤千代のお供として江戸へ同行した。
これには裏があり、城代家老・大杉の密命により、江戸藩邸の様子をつぶさに観察し、逐一大杉に報告をする役目を負っていたのであった。
当時の田島家は、先代からの借金を抱えて貧窮に喘いでいた。
そんな田島敬之助に大杉が、借金を肩代わりしする見返りに自分の手下となれと言ったのであった。
更に働きによっては、家禄の増加も藩主に働きかけてくれると甘いささやきもあった。
当時、多くの弟妹を抱えていた田島敬之助には、断る訳にはいかなかった。
そして、江戸屋敷での生活から数ヶ月が過ぎた頃、国許では藩主と藤丸が病気で倒れたという知らせが入り、江戸屋敷がにわかに騒がしくなった。
正室・お静の方は、藩主が病気を患っているのに動揺しないことに、田島敬之助は不信におもった。
寺へ参っては病気平癒の加持祈祷をしたり、毎日仏壇にお祈りをするが、田島の目にはお静の方の動きが演技に見えて仕方がなかった。
それには、理由があった。
お静の方は、江戸家老と嫡男・藤千代の守り役を抱き込み、幕府の高官と密かに連絡を取っていたからだ。
加えて、お静の方は藤千代にいつ次期藩主になってもおかしくないように心構えをする様に毎日説いていたことも、田島の疑念を抱いた。
疑う事も知らず、素直は藤千代は、お静の方の言うままに藩主になろうと動き始めてしまった事も、田島の疑念を更に招いてしまった。
疑念が確信に変わる日が、やって来た。
田島は、大杉と対立する家老・加藤の親族で御殿医の弟が江戸藩邸で医師をしており、その医師を通じて加藤とお静の方の密書のやり取りをしていた事実を突き止めた事であった。
田島は、隠れてその数通の密書を読み驚愕した。
こには、何と加藤が親族の御殿医を利用し、藩主と亀丸を毒殺しようとした陰謀が書かれていたのであったからだ。
別の密書には、藩主が亡くなった後は、次期藩主にまだ6才の幼い藤千代を擁立させ、藩の実権を外祖父でもある大杉から奪い、お静の方と加藤が藩政を握ることを互いに誓い合ったことが書かれてあった。
守り役に説得されて藤千代も、藩主になった暁には元服するまで藩政を2人に任せると云う趣旨のものまであった。
驚いた田島は、早速大杉にこの事を知らせたのであった。
すぐに、大杉の配下の者が数名江戸へ密かにやって来た。
田島はその者と合い、大杉の意向を聞いて更に驚いたが、これも自分に目を付けてくれた藩主と大杉の為と思い、罪悪感に苛まれながら計画を立てた。
大杉の意向とは、江戸家老、医師、守り役、お静の方そして藤千代を暗殺する事であった。
大杉にとっては、自分の孫であろうとも藩の混乱を招く者は全て切り捨てる覚悟であった。
田島は自分の報告したことを悔やんでしまうが、もう取り返しが付かないと嘆いた。
皮肉にも、田島は江戸家老の娘婿の弱みを握っており、それを利用してその者も計画に巻き込んだ。
藩の金を横領していたのだ。
計画を練っている最中、国許から藩主と藤丸が回復したとの知らせを受けた。
これで田島は、お静の方と加藤の企みも頓挫し、暗殺計画も中止になると喜んだものの、非常にも大杉からは計画の続行の知らせが届いて来る。
さらに国許の御殿医が謎の自殺が、実は大杉の配下の手によるものと知り、田島は大杉の恐ろしさを改めて実感する。
ある日、加藤の密使が江戸へ入るが、田島は切り捨てる。
この一件で、田島は腹を括った。
とうとう大嵐の夜に、恐ろしい計画は実行してしまった。
大杉の配下達は、江戸家老、医師をそれぞれの屋敷で暗殺した。
田島は、江戸藩邸で守り役と藤千代を暗殺した。
それを一部始終目撃したお静の方は錯乱状態となり、田島はその様子を見て切ることは出来なかった。
仲間になった江戸家老の娘婿は、藤千代は突然の病で亡くなり、それを見抜けなかった医師は自害、藤千代の死を追い江戸家老と守り役は殉死、そして子を失ったお静の方は重い気の病で部屋で伏せっていると、国許や幕府に伝え、江戸の藩士にもその様に言い渡して、動揺する藩士達を静めることに成功したのであった。
こうして、藩の騒動も収まり、藩主は翌年参勤交代で江戸へ参ったが、新しく江戸家老になった娘婿の尽力で、凡庸な藩主は何も疑わなかった。
お静の方は正気を戻すことがなく、藩主との面会もないまま、その年に亡くなった。
国許も江戸屋敷も大杉派が大勢を占め、家禄を増加された田島敬之助は、ある日大杉の家に招待された。
田島は、上機嫌な大杉に蔵の中へ案内されて、見事な設えた刀を見せてもらった。
この刀は、藤丸の養父から亡くなる時に譲られたものだと言う。
元々は、生まれてすぐの藤丸が里子にだされる時に、藩主から養父に子を守るように賜った刀であり、その養父が亡くなる時に大杉へ、亀丸を守って欲しいとの願いを込めて譲られた刀でもあるという。
酔っているものの平然と語る大杉とは裏腹に、田島敬之助はその刀を見る内に、守るべき藤丸の双子の兄・藤千代を暗殺したことの罪の重さに耐えられなくなっていった。
やがて、田島家を弟に継がせ、自分は出家して藩を出た。
こうして僧侶は、日々藤千代の菩提を弔っていると言う。
清吉から「さるお方」との言葉が出た時に、僧侶は藤千代の最後の顔が浮かんんでしまい、逃げ出してしまったと語る。
僧侶の話を聞き終えて、清吉は悩みつつ悲しい気分になってしまった。
これは、真実を暴くために「あるお方」が仕組んだ事なのだろうか。
これを如何に、八重様に伝えるべきであろうかと。