宮城県気仙沼。日はどっぷりと暮れ、全国から応援に駆けつけた消防車十数台もその日の業務を終え、宿舎に引き揚げようとしていた。そのときである。
道ばたから、小学3年生ぐらいの男の子がパーッと飛び出してきた。彼はピンと背筋を伸ばし、帰路につく消防車を見送りながら一台一台に「敬礼」をしたのである。
後ろで見ていた僕は涙が出そうになった。彼には分かっているのである。「(消防士たちが)自分たちを、町を助けに来てくれた人たちなんだ」と…。
3月下旬に初めて被災地を訪れ、がれきに埋もれた現場に立ったとき、あまりの惨状に僕は言葉がでなかった。こんなひどい状況の中でも生き残った方がいたのは奇跡だと思った。
消防官、自衛官、警察官…が現場に立ち、朝から晩まで懸命に働いている。時には、命の危険を冒してまで、だ。そんな人たちに対して、現場も知らない大臣が、ひどい言葉を投げつけたと聞く。その大臣にこそ、あの小学生の敬礼を見てほしかった。
彼らにはやはり「おらが愛する街」なのである。それに比べて、政府や国会議員たちはどうだろう? みんながそうだとは言わないが、「わが日本への思い」がなかなか伝わってこない。こんな話がある。
大震災の翌日、台湾の李登輝元総統は、レスキュー隊の派遣を日本政府に打診した。1999年の台湾の大地震で日本の救援隊がいち早く駆けつけてくれ、多くの支援をもらったことを李登輝さんが感謝し、その恩返しをしたい、と考えていたからである。
ところが日本側の対応が煮え切らない。こうした震災の救助は時間との闘いである。業を煮やした李登輝さんは日本の了解を待たずにレスキュー隊の派遣を決め、日本のNPO法人と連携して作業にあたった、という。いろんな事情があったのかもしれないが、もし「中国への配慮」があったとすれば、こんなに情けないことはない。
被災者が生活している避難所へ、支援物資を持っていくと、「私たちはいいから、他の困っている人たちに渡してください」という人がたくさんいた。平時はともかく、こんな非常時にモラルや理性を保つのは大変なことなのに…日本人はすごい、と思った。
だから被災者の皆さんに「頑張ってください」とは声をかけなかった。もう十分過ぎるほど、被災者は「頑張っている」のである。その代わりに、「あまり、がまんしないでくださいね」。僕はそう言った。
そして、こんなときでも子供たちは笑顔である。その笑顔に僕は希望を感じた。そして逆に勇気と元気をもらった気がした。
ニックネーム:六三四の母ちゃん 様の記事
ただ、職務を全うする救援隊の姿が目に浮かぶ。
TVのニュースは政治的なことばかりを流している。
そんな中で、この記事が目に付いた。
泥だけになり、毎日の作業をしているのは、子供だって、気がつく。
そんな子供の敬礼は、疲れが飛んでいくような気がすると思う。
自衛隊、警察、消防、海上保安庁、現場で働く人たちは必死でやっている。
毎日、動画で様子を見ているが、私たちの知らないことが多すぎる。
マスコミはそんな現場で働く人たちのことも報道して欲しい。
永田町の3流政治家の駆け引きなどは見たくはない。
そんな国民の気持ちなどは彼らには届かないのだろう。
日本を非難する格好の材料として使われている。「関東大震災 朝鮮人虐殺の真実]とは
スタジオ日本日曜討論録画ビデオhttp://www.ustream.tv/recorded/12967362
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