子どもの成長記録~折れた木の枝~
小学校に上がった一番上の娘は学校が大好き
学校に上がってストレスがかかるのではと心配しましたが、夏も冬もお肌の方は全然良いです、酷かった頃は爪が伸ばせなかったのですが、今は切らずに平気なので忘れていることもあり、爪が伸びてるとスゴイと思う
学校が好きなので、朝さっさと起きるようになりました
休みになると 学校へ行きたいと言ってます
すごく勉強が出来るというわけじゃないですが、勉強が面白いらしい
朝起きてご飯前に勝手にドリルとかやってる
『みんな なんで宿題が嫌いなんだろう』と言ってますわ
でも理解力がまだ未熟なので、先生に言われたことがうまく理解できなかったり、単純なことで間違うことも多いので、算数なんかは時々見てどこがわからないかこちらが理解してあげるといいですよ。
とくに一年生は数の概念とか基礎の基礎をやるときなので、大事な時期かなと思います
勉強しろとか、教え込むよりも、やりたいと思う気持ちが伴わないと全く意味が無いどころが有害なので、親が気にするべきところは勉強が出来る云々よりも
本人が やりたいと思うかどうかですよね。
そこさえあれば放っておいても良いとすら思います
その意思は勉強だけに限らないので、何でも知りたいということが弊害になることもあります。
娘はそういうタイプなんで、大変なところはすごく大変です
でも、幼くて知らないことが多いから大変なだけで、将来的には大事な要素でもあるので、潰さないように、私が潰れないように、バランスを取らないといけないなーと思うこのごろです
漢字が好きらしく、いきなり薔薇とか覚えだしたり
辞典を字天と書いているところが面白い
ま、何の勉強をするにしても国語力は大事ですよ
読解力とかなんてまさに、全てにおいて必須だしね。
これは自分で考えて本を作ったみたいです。
左利きなので書き順がおかしいのもあるんだけど、私はそんなことは好きなようにすればいいと思ってますから、何も言いません。
私がいつも言うことは『じぶんでかんがえる』 ということかな
とにかくまず、自分で考えてみる。
そして、常識にとらわれない考え方をしてもいい、ということも常々言ってます。
これはには上手に伝わっているみたいなんですが、は時々、周りを見て違うことを気にしちゃうこともあるので勿体ない
『ピンクの葉っぱなんてないよね~』と、小学生になるとそんな言葉が出てきちゃうんです
すかさず『あってもいいよ』と言ってフォローします
そんな風にして書いた葉っぱの絵は面白い絵になりましたよ
虹色葉っぱなんて素敵じゃん~とキャーキャー言ってます。
常識なんて誰かの物差しのことで、違う視点から観れば偏見でもあるわけで、義務教育とは、そういう枠を教えたりするところでもありますから、ツマンナイ考え方になって当然なんだよね。
みんなと同じでなければ叱るくせに、個性を尊重しようとか平気で言っちゃう大人が集まってるんだからね
世界で成功している人達の幼少期は、絶対に普通と違ったと思いますよ
その子供の芽を潰してる大人は、多いと思いますね
親もそうですが、代表的なのは教師でしょうかね
集団って凄い効果があるんですね。
誰が言うわけでもないのに、先生は絶対的な存在になるですよ。
大人が矛盾していることは子供にはわかれない。
私は先生や大人の言ってることがいつも正しいわけじゃない といつも言ってます。
”先生”なんて言われて喜ぶような大人なんてろくなもんじゃないしね
でも100%非常識だとこの社会では生きにくいデメリットもあるので、非常識の芽は摘まず、意識的にバランスを取れるようになばいいと思ってます。
学校に行き出してからはいろいろな変化がありました
親が思っているより、ストレスあると思いますから、学校終わって塾とか行っている子はホント辛いんじゃないかなあ
はピアノをやりたいと言い出してますが、どこまで本気か様子をみているところです
あの子が持っているから欲しい、とか あの子がしていたから、とか付き合う友達の影響も大きく出てくるようになりましたよ
今は小学生でもギャルとかいますし、性格は様々ですよね。
でもこういう時期から類は友を呼ぶんですね。
先生も怒れない、クラス一頭の良い男の子と、とても仲良しな女の子と仲良くしているようです
3人でよく一緒に帰ったり、遊んだりしています。
たまたまですが、この3人はテレビを見ないし、給食の牛乳を除去しています
ま、子供がアレルギーっぽくて、結果的に親はそういう方向へ進んだのが伺えますね
参観などで拝見したことありますけど、2人とも落ち着いてて、本当にとっても良い感じの子なんで、仲良くなったと聞いた時は嬉しかったです。
私が観てもタイプ的に合うだろうなと思っていました
ある時、3人が一緒に帰宅してる途中、梅の花が咲いていたので女子二人が見惚れて枝を折って持って帰って来たんです
持ち帰ってきた花を観て、『折っちゃダメだよ』と言ったんですが、保育園時代は登園時に花を摘んで園に持って行ったり、家で飾ったりもしていたので、娘には分別が付かなかったわけで、折ってしまっても当然でした。
私自身も、たんぽぽなんかは平気で摘んでるのに、枝は折ってはダメだなんて、矛盾していますね
枝を折った女子たちは 男の子に言われたそうです。
『それは人を殺しているのと同じことだよ』 と
娘に『そうなの』と問われて、・・・・考え込んでしまいました。
殺人と同じとは言えないけど、動物に例えたとしたら手足を切ってるのと同じようなものですよね
枝は手足のようというのも所詮人間の感覚ですが。
道端のたんぽぽを全部もいでしまったら・・
動物の命と、植物の命の価値に違いを置いているのは人間様だけなので、地球レベルな視点で観れば、彼の言うことを否定することはできないなと思います
一緒にいた女の子のお母さんとメールのやり取りをする機会があったので そのことについて話すると、花を折ったことよりも男の子の言葉遣いの方を気にしていました。
何人かに聞いてみても、命のことよりも、とにかく言葉遣いが悪いということを言われました
でも、小1の男子なら『殺す』とか平気で使う子も結構いるし、物騒な言い方ではなくて、淡々とした言い方で『殺してるのと同じことだよ』言ったのではないかと想像してて、周りに言われるまで全く気にしてなかったので少々驚きました。
ま、周りに言われたところで、やっぱりそこは全く気になりませんけどね。
だいたい死という観念すら分かってないでしょうに
それよりも、なぜそういう風に思うのか、というところが気になります
実は、先生にも連絡ノートで聞いてみたんですよね
先生も他の人と同じで、『昔から「花泥棒は罪にならない」と言われています。花の命も大事ですが、それよりも怪我が無くて良かったということと、もう少し違う言い方をしようねということをお話ししました』と書かれていました。
こういう返答ばかりなので、私が話したいことを話せる相手が居ない
なぜここにこだわるか
私がいつも言っている、親の無意識に繋がると思うからです。
子供に受け継がれるものは、親が教えようとしていることよりもむしろ親の無意識の方だと思うんです。
何気なくやっていることの方が、より多く受け継いでいくはずです。
ここは色んな考えの元になるのではないかなと思いました。
先生は、『夏休みに朝顔を育てているとき、私が「水をやらないと死んでしまうよ」と言ったので ◎◎君は勘違いしたんだと思います』とか書いてありましたが・・・ 親に言われたんだと思います。
すごく教育熱心なご両親なので、草木にも命があるという意味で、そういうことを言って教えてもおかしくないなと思いました。
でも、そのご両親はどんな価値観で言ってるのでしょう
そこ重要ですよね。
『むやみに花を切ることは人を殺しているのと同じだよ』と教えるとすると、子供としては『じゃあ食べている牛や野菜はどうなの』と思うのが普通です。
きちんと考えてないと『それは生きるためだから仕方ないのよ』ときっと答えるでしょう。
人が生きるためだからなんて植物や家畜にとっては何の関係も無いです
『感謝すればいいのよ』などと言えば、感謝や謝罪の気持ちがあれば何しても許されると思ってしまってもおかしくないですよね。
考え方が最初から人間様視点なので、命について語っていても命について語れてないのです。
こんな風に考え方が中途半端だと人間様至上主義になってしまいます
そういう教え方は危ないと思うんですよね
これから大人になって色んなことを認識して行っても、こういう部分は根底にあってなかなか変わらないはずです。
物凄く自分勝手な考え方をするようになるでしょう。
そしてそれは、少なからず人生の幸せ感に繋がっていくと思いますよ
そのことがあってから、しばらく考えていました。
命、ということですが、命に価値を付けているのも所詮人間。
自然では喰うか喰われるかですが、そこにいちいち価値を見出している野生動物など居ませんよね。
動物は血がでたり泣いたりして、植物とは違いますが、だからといって植物より尊いとか植物より偉いとか、言えないです
人間を含む動物は、植物がいなければ一時も生きていけませんが、植物は違う。
むしろ、居ない方が良いでしょう。
地球にとってみても、人間ほど害なモノは無いですよ。
所詮、命の重さは人の感情で決まるんです。
何万年前の人間と、地球の裏側の人間と、テレビの向こうで観る人間と、自分の隣に住む人間と、自分の家族と、自分の子供と、違いは何ですか
命の重さは同じですか
自分の子供と、隣人が飼う よく吠える犬と、同じですか
違いますよね。
でも、隣人が感じている、自分の犬は子供同様なわけです。
犬は食べれなくても、牛や豚や鶏や馬は食べれる。
魚なんてもっと平気で食べれる。
それが人間だよね。
それが人間なんだってこと、善悪を含まず、そのありのままを伝えていこうと思いました。
そこでどう自分なりに考えを詰めていくか。
それは、生きるスタイルになりますよね
でも世の中には花を切るのを人を殺しているのと同じように感じる人は本当に居るんです
自分とは全く違うように感じる人間も沢山いる、ということを伝えないとね。
『◎◎は××だ』 と言う風にジャッジしない、ということが大事ですね
どんなに信じていることでも、親の押し付けでは意味がありません。
神を信じていても、信じてほしいが為に『神様を信じないと地獄に落ちるよ』みたいな言い方をしては絶対にいけないと思うんです。
最低な教え方です。
子供の自由な考えかたを潰してはいけないですね。
完璧に自由にとはいきませんが、無意識に子供を潰していかないように、注意して行きたいと思います。
ブログでも度々生命については触れていて、命について考えていると思っていたんですけど、今回はとても良い機会になりました
面倒臭いこと考えてるなって
大事な事は全て面倒臭いんです。
それに、悩まない人間は、人の悩みも理解しません。
こういう私を観て 子供たちは育っていく
折られた木の枝も少しは報われたんじゃないかなと思います
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noel.2012@icloud.com
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小学校に上がった一番上の娘は学校が大好き
学校に上がってストレスがかかるのではと心配しましたが、夏も冬もお肌の方は全然良いです、酷かった頃は爪が伸ばせなかったのですが、今は切らずに平気なので忘れていることもあり、爪が伸びてるとスゴイと思う
学校が好きなので、朝さっさと起きるようになりました
休みになると 学校へ行きたいと言ってます
すごく勉強が出来るというわけじゃないですが、勉強が面白いらしい
朝起きてご飯前に勝手にドリルとかやってる
『みんな なんで宿題が嫌いなんだろう』と言ってますわ
でも理解力がまだ未熟なので、先生に言われたことがうまく理解できなかったり、単純なことで間違うことも多いので、算数なんかは時々見てどこがわからないかこちらが理解してあげるといいですよ。
とくに一年生は数の概念とか基礎の基礎をやるときなので、大事な時期かなと思います
勉強しろとか、教え込むよりも、やりたいと思う気持ちが伴わないと全く意味が無いどころが有害なので、親が気にするべきところは勉強が出来る云々よりも
本人が やりたいと思うかどうかですよね。
そこさえあれば放っておいても良いとすら思います
その意思は勉強だけに限らないので、何でも知りたいということが弊害になることもあります。
娘はそういうタイプなんで、大変なところはすごく大変です
でも、幼くて知らないことが多いから大変なだけで、将来的には大事な要素でもあるので、潰さないように、私が潰れないように、バランスを取らないといけないなーと思うこのごろです
漢字が好きらしく、いきなり薔薇とか覚えだしたり
辞典を字天と書いているところが面白い
ま、何の勉強をするにしても国語力は大事ですよ
読解力とかなんてまさに、全てにおいて必須だしね。
これは自分で考えて本を作ったみたいです。
左利きなので書き順がおかしいのもあるんだけど、私はそんなことは好きなようにすればいいと思ってますから、何も言いません。
私がいつも言うことは『じぶんでかんがえる』 ということかな
とにかくまず、自分で考えてみる。
そして、常識にとらわれない考え方をしてもいい、ということも常々言ってます。
これはには上手に伝わっているみたいなんですが、は時々、周りを見て違うことを気にしちゃうこともあるので勿体ない
『ピンクの葉っぱなんてないよね~』と、小学生になるとそんな言葉が出てきちゃうんです
すかさず『あってもいいよ』と言ってフォローします
そんな風にして書いた葉っぱの絵は面白い絵になりましたよ
虹色葉っぱなんて素敵じゃん~とキャーキャー言ってます。
常識なんて誰かの物差しのことで、違う視点から観れば偏見でもあるわけで、義務教育とは、そういう枠を教えたりするところでもありますから、ツマンナイ考え方になって当然なんだよね。
みんなと同じでなければ叱るくせに、個性を尊重しようとか平気で言っちゃう大人が集まってるんだからね
世界で成功している人達の幼少期は、絶対に普通と違ったと思いますよ
その子供の芽を潰してる大人は、多いと思いますね
親もそうですが、代表的なのは教師でしょうかね
集団って凄い効果があるんですね。
誰が言うわけでもないのに、先生は絶対的な存在になるですよ。
大人が矛盾していることは子供にはわかれない。
私は先生や大人の言ってることがいつも正しいわけじゃない といつも言ってます。
”先生”なんて言われて喜ぶような大人なんてろくなもんじゃないしね
でも100%非常識だとこの社会では生きにくいデメリットもあるので、非常識の芽は摘まず、意識的にバランスを取れるようになばいいと思ってます。
学校に行き出してからはいろいろな変化がありました
親が思っているより、ストレスあると思いますから、学校終わって塾とか行っている子はホント辛いんじゃないかなあ
はピアノをやりたいと言い出してますが、どこまで本気か様子をみているところです
あの子が持っているから欲しい、とか あの子がしていたから、とか付き合う友達の影響も大きく出てくるようになりましたよ
今は小学生でもギャルとかいますし、性格は様々ですよね。
でもこういう時期から類は友を呼ぶんですね。
先生も怒れない、クラス一頭の良い男の子と、とても仲良しな女の子と仲良くしているようです
3人でよく一緒に帰ったり、遊んだりしています。
たまたまですが、この3人はテレビを見ないし、給食の牛乳を除去しています
ま、子供がアレルギーっぽくて、結果的に親はそういう方向へ進んだのが伺えますね
参観などで拝見したことありますけど、2人とも落ち着いてて、本当にとっても良い感じの子なんで、仲良くなったと聞いた時は嬉しかったです。
私が観てもタイプ的に合うだろうなと思っていました
ある時、3人が一緒に帰宅してる途中、梅の花が咲いていたので女子二人が見惚れて枝を折って持って帰って来たんです
持ち帰ってきた花を観て、『折っちゃダメだよ』と言ったんですが、保育園時代は登園時に花を摘んで園に持って行ったり、家で飾ったりもしていたので、娘には分別が付かなかったわけで、折ってしまっても当然でした。
私自身も、たんぽぽなんかは平気で摘んでるのに、枝は折ってはダメだなんて、矛盾していますね
枝を折った女子たちは 男の子に言われたそうです。
『それは人を殺しているのと同じことだよ』 と
娘に『そうなの』と問われて、・・・・考え込んでしまいました。
殺人と同じとは言えないけど、動物に例えたとしたら手足を切ってるのと同じようなものですよね
枝は手足のようというのも所詮人間の感覚ですが。
道端のたんぽぽを全部もいでしまったら・・
動物の命と、植物の命の価値に違いを置いているのは人間様だけなので、地球レベルな視点で観れば、彼の言うことを否定することはできないなと思います
一緒にいた女の子のお母さんとメールのやり取りをする機会があったので そのことについて話すると、花を折ったことよりも男の子の言葉遣いの方を気にしていました。
何人かに聞いてみても、命のことよりも、とにかく言葉遣いが悪いということを言われました
でも、小1の男子なら『殺す』とか平気で使う子も結構いるし、物騒な言い方ではなくて、淡々とした言い方で『殺してるのと同じことだよ』言ったのではないかと想像してて、周りに言われるまで全く気にしてなかったので少々驚きました。
ま、周りに言われたところで、やっぱりそこは全く気になりませんけどね。
だいたい死という観念すら分かってないでしょうに
それよりも、なぜそういう風に思うのか、というところが気になります
実は、先生にも連絡ノートで聞いてみたんですよね
先生も他の人と同じで、『昔から「花泥棒は罪にならない」と言われています。花の命も大事ですが、それよりも怪我が無くて良かったということと、もう少し違う言い方をしようねということをお話ししました』と書かれていました。
こういう返答ばかりなので、私が話したいことを話せる相手が居ない
なぜここにこだわるか
私がいつも言っている、親の無意識に繋がると思うからです。
子供に受け継がれるものは、親が教えようとしていることよりもむしろ親の無意識の方だと思うんです。
何気なくやっていることの方が、より多く受け継いでいくはずです。
ここは色んな考えの元になるのではないかなと思いました。
先生は、『夏休みに朝顔を育てているとき、私が「水をやらないと死んでしまうよ」と言ったので ◎◎君は勘違いしたんだと思います』とか書いてありましたが・・・ 親に言われたんだと思います。
すごく教育熱心なご両親なので、草木にも命があるという意味で、そういうことを言って教えてもおかしくないなと思いました。
でも、そのご両親はどんな価値観で言ってるのでしょう
そこ重要ですよね。
『むやみに花を切ることは人を殺しているのと同じだよ』と教えるとすると、子供としては『じゃあ食べている牛や野菜はどうなの』と思うのが普通です。
きちんと考えてないと『それは生きるためだから仕方ないのよ』ときっと答えるでしょう。
人が生きるためだからなんて植物や家畜にとっては何の関係も無いです
『感謝すればいいのよ』などと言えば、感謝や謝罪の気持ちがあれば何しても許されると思ってしまってもおかしくないですよね。
考え方が最初から人間様視点なので、命について語っていても命について語れてないのです。
こんな風に考え方が中途半端だと人間様至上主義になってしまいます
そういう教え方は危ないと思うんですよね
これから大人になって色んなことを認識して行っても、こういう部分は根底にあってなかなか変わらないはずです。
物凄く自分勝手な考え方をするようになるでしょう。
そしてそれは、少なからず人生の幸せ感に繋がっていくと思いますよ
そのことがあってから、しばらく考えていました。
命、ということですが、命に価値を付けているのも所詮人間。
自然では喰うか喰われるかですが、そこにいちいち価値を見出している野生動物など居ませんよね。
動物は血がでたり泣いたりして、植物とは違いますが、だからといって植物より尊いとか植物より偉いとか、言えないです
人間を含む動物は、植物がいなければ一時も生きていけませんが、植物は違う。
むしろ、居ない方が良いでしょう。
地球にとってみても、人間ほど害なモノは無いですよ。
所詮、命の重さは人の感情で決まるんです。
何万年前の人間と、地球の裏側の人間と、テレビの向こうで観る人間と、自分の隣に住む人間と、自分の家族と、自分の子供と、違いは何ですか
命の重さは同じですか
自分の子供と、隣人が飼う よく吠える犬と、同じですか
違いますよね。
でも、隣人が感じている、自分の犬は子供同様なわけです。
犬は食べれなくても、牛や豚や鶏や馬は食べれる。
魚なんてもっと平気で食べれる。
それが人間だよね。
それが人間なんだってこと、善悪を含まず、そのありのままを伝えていこうと思いました。
そこでどう自分なりに考えを詰めていくか。
それは、生きるスタイルになりますよね
でも世の中には花を切るのを人を殺しているのと同じように感じる人は本当に居るんです
自分とは全く違うように感じる人間も沢山いる、ということを伝えないとね。
『◎◎は××だ』 と言う風にジャッジしない、ということが大事ですね
どんなに信じていることでも、親の押し付けでは意味がありません。
神を信じていても、信じてほしいが為に『神様を信じないと地獄に落ちるよ』みたいな言い方をしては絶対にいけないと思うんです。
最低な教え方です。
子供の自由な考えかたを潰してはいけないですね。
完璧に自由にとはいきませんが、無意識に子供を潰していかないように、注意して行きたいと思います。
ブログでも度々生命については触れていて、命について考えていると思っていたんですけど、今回はとても良い機会になりました
面倒臭いこと考えてるなって
大事な事は全て面倒臭いんです。
それに、悩まない人間は、人の悩みも理解しません。
こういう私を観て 子供たちは育っていく
折られた木の枝も少しは報われたんじゃないかなと思います
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第一希望と第二希望日、スタート時間をお選びください
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