いんど | 学生団体S.A.L. Official blog

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インドで目にした現実、それはこの地に深く根ざしたカースト制だ。スーツを来てiPhoneを操る若者に、杖をつきボロボロの服を着た老人が物乞いをする。インドの首都デリーで繰り広げられる日常の風景である。格差社会の実情がはっきりと目に見える形でそこにあるのだ。



1947年の独立とともに制定された憲法によって、カースト制による差別は廃止された。表向きには廃止したとされるカースト制だが、今もなおインドの人々を縛り付けている。
例えばレストランで暇そうにしている従業員の1人に注文をしたとしよう。するとその従業員は別の男を呼んで、その男に注文を取らせるのだ。そして食事が終わると先ほどの暇そうにしていた従業員が会計をする。インドでは会計をするカースト、注文を受けるカースト…のように非常に細かくカーストが設定されているのだ。これは実際にインドのレストランで僕が体験したことである。彼らは与えられたカーストを守り、お互いの領分を超えて仕事をすることはないようだ。カーストは仕事内容までも縛り付けるのである。実際にインドに存在する細かいカーストの数は約4~5000にも上ると言われている。



そもそも近代化と属性主義は相反するものではないのか。日本においては明治維新に行われた近代化の一環として、士農工商と呼ばれる身分制の廃止が行われた。これ以降日本は属性主義から成果主義へと転換して、近代化へと大きく舵をきったのだ。日本が今もなお、士農工商の概念をそのままに近代化した姿を想像してみよう。果たして今の我々が送る生活水準を実現できるのだろうか。大雑把に言ってしまえば今のインドはそういった姿の具現化といえる。



実際、インドの近代化はお世辞にもうまくいっているとは言えない。首都デリーの状況でさえもその他発展途上国とさして変わらない。お湯の出ないシャワー、犬とともに屋外で寝る人々、町中にいる物乞い…。BRICsの一員として経済的に大きな発展を遂げたとされるインドだが、そのイメージとかけ離れた姿がそこにある。事実、インドの1人当たりのGDPは世界平均の15%に満たない。カーストに縛られた人々の暮らしは凄惨そのものだ。



インドが国力をつけてきた一つの要因にIT産業の発展が挙げられる。堪能な英語と優れた知性で荒稼ぎする彼らの間にカーストは存在しない。なぜなら以前は存在しなかった職種、IT産業や金融産業といった職業にはカーストが当てはまらないそうだ。カーストによる縛りのないこれらの情報サービス業は大きく発展し、インドの経済発展の根幹をなしてきた。カーストの弊害を感じられる一例である。



以前に比べるとカーストの概念が弱まっているインドでは、既に下層カーストに政府や民間企業が一定のポストを与えなくてはいけないとする法律が制定されている。このような動きが継続され、真の意味でカースト制の廃止が成された時、インドの本当の発展が始まるのではないだろうか。そう考えるとインドに対して大きな希望を抱かざるを得ない。これが喧騒のインドの街並みを見てきた感想である。

【文責: 1年 松本知磨】