建物はまるで収容所のようで、あまりにも殺風景だった。
チベット難民キャンプ。
ネパールの各地にあり、祖国を中国によって迫害されたチベット人達がひっそりと暮らしている場所である。
キャンプといっても、別にテントを張って暮らしているわけではなく、特になにもない地味な建物がいくつか並んでいて、そこで商売品のハンディクラフトを作ったりしながら暮らしている。
建物の壁に一枚のポスターが貼ってあった。
「FREE TIBET」を叫び、チベット解放を求め焼身自殺をしている写真や、その遺体の写真があった。
ショッキングでグロテスクなそのビジュアルに目を奪われた僕は、無関心だった自分を恥じた。
その焼身自殺をしているチベット人の大半は、僕と同世代の若者だった。
僕に他人の自由を求めて自殺をする勇気は多分ない。
でも彼らは若い命を断ってまで「FREE TIBET」に命を燃やした。
僕は胸がモヤモヤしてきていた。
なんでそこまですんの?
愛国心で?
* * * * *
キャンプの責任者の方にインタビューをする機会があり、僕の知らなかった事実をたくさん聞かせてくれた。
チベット人はチベット語ではなく、中国語を強制されているということ。
チベット仏教の最高指導者 ダライ・ラマの写真をかざることすら許されないということ。
メディアによって、抗議活動がなかったこととされてしまっているということ。
チベット人には人権が認められていないということ。
難民問題の底知れない悲しい事実にあぜんとした。
ますます、無知だった自分が恥ずかしくなった。
「こんなことが起きているんだ」
一方で、インタビューを通じてチベット人についてわかってきたことがある。
焼身自殺というアクションの意味もみえてきた。
彼らには、僕には到底理解できないほどのチベット人としての誇りを持っている
。
彼らは自爆テロをしない。
他人を巻き込んで殺すのはチベット人として最低なことだからだ。
チベット人には人権がない。
当然、発言権など持っていない。
だから、彼らは焼身自殺をすることで「声なき叫び」をあげている。
そうやって誇りを持って死んでいく。
焼身自殺をする同世代の若者たちのメッセージが、また深く重くぼくに響いてきた。
* * * * *
ネパールでは、時々「FREE TIBET」とペイントされた落書きを見ることがある。
それを見るたびに、僕はあの難民キャンプの殺風景な光景を思い出す。
僕は自然と、行ったこともないし興味すらなかった国チベットに、強く思いをはせるようになっていた。
【文責: 1年 川西慶佑】