先日、二つの時計に関するニュースを耳にした。
地球平和監視時計と世界終末時計。
地球平和監視時計とは広島の原爆資料館の入り口に設置された「最後に行われた核実験からの日数」を表す時計のこと。今月の10日、米国の行った核実験が発覚したことにより、日数が285日から55日に戻された。
そして翌日の11日、世界終末時計にも変化があった。世界終末時計とは核戦争などによる人類の滅亡を午前0時になぞらえ、その終末までの残り時間を「0時まであと何分」という形で示す時計のことだ。核兵器拡散の恐れが増したこと、福島第一原発事故などが原因で時計は1分進んだ。
終末時計は今、11時55分を示している。人類滅亡まで、あと5分。
今現在、地球にある発射可能な核弾頭の数は約2万発。アメリカやロシアの核兵器保有数は減ってきているものの、テロ組織が放射性物質を使った「汚い爆弾」を使用する恐れがあることや、核をめぐる世界的な協力体制の議論が進まないことから、核の緊張は今も緩まない。
そもそも、核兵器が製造され、広島・長崎で使用されてからずっと核への緊張が途切れたことなんてなかった。1945年からずっと、核兵器使用の恐怖の下、私たちは生きている。
核抑止論という考え方がある。核戦争を防ぐために、核兵器を持ち、互いに牽制し合う。日本もこの論理の下、いわゆる核の傘の下にいる。
私も時々わからなくなる。核抑止論が正しいのか。正しいとまでは言わないが、戦争を防ぐために、“仕方ない”ことなのか。
広島で生まれ育った私は、いままで何度も平和公園を訪れた。
そして、原爆慰霊碑のこの碑文を前にしたとき私はいつも思っていた。
「安らかにお眠りください。過ちは繰り返しませぬから」
ヒバクシャの人たちは、安らかに眠れているのかな。
今のこの状況を、どう思っているんだろう。
ヒバクシャの方々の願いは、核兵器がなくなること。その願いはもっともらしい論理の下、ずっと叶わずにいる。そんな中で安らかに眠ることなんてできるだろうか。
私はどこにいでもいる普通の大学生だ。慰霊碑を前に核兵器廃絶の誓いをするなんてことはできない。でも、一人の今を生きる人間として、この碑の前に立つ度に、この世界の状況をただ、謝りたくなるのだ。
この碑文について、ある論争がある。
「この文章の主語はなんなのか。アメリカなのか、日本なのか」
1970年、時の市長はこの主語を「世界人類」だと明言した。
二度と核兵器を使用しないという約束は、あなたとヒバクシャの間にもされているのだ。
終末時計が示す世界の残り時間はあと5分。
2012年、時計の針ではなく、核廃絶の論争が少しでも進んでいくことを願う。
【広報局:高本 友子】