5月におこなった、今年度の気仙沼ツアーのご報告、すでに2回分書きましたが、最終回の更新が遅くなってしまいました。

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2回目はこちら

このブログで、今回のツアーのご報告は最後です。


5月30日(月)
ツアーの最終日です。いつもは一関に戻ってそこから新幹線ですが、今回は昼前には気仙沼を出発し、沿岸部を走りながら仙台まで車で行く予定です。

まず、2011年の震災の時に気仙沼の南町の人たちが避難をし、その年の夏に初めて伺った時に私も宿泊させていただいたことのある、高台の紫会館に来ました。



紫神社の隣にある紫会館は、集会所のようになっていますが、震災の時には多い時で150人ほどの人が避難していたところです。
その後、再び仮設商店街・紫市場に行ってお土産を買い、みなさんとお別れして気仙沼を出発します。

最初に向かったのは南三陸です。

南三陸もかさ上げ工事がかなり進められています。被災後も残されている防災庁舎はもとの高さの位置にあり、周りはかさ上げされている状態です。



調べたところによれば、(多くの被災した建物等がそうだと思いますが)防災庁舎を震災遺構として残すかどうか町の中でも意見が分かれ、ひとまず20年間は県が保管するということになったようです。
当事者にとって、被災した記憶が思い起こされるものが残るのはつらいことだと思いますが、一方でのちの世に語り継ぐためにも物が残ることも大切…どちらも真実であり、難しい問題だと思います。時間がたって、改めて検討することになるのでしょう。

次に、南三陸の仮設商店街である、南三陸さんさん商店街へ向かいました。ここでお昼をいただいて、参加者は各自お店を見て歩きました。




次に向かったのは石巻の大川小学校です。



2011年に初めて皆さんを誘って気仙沼に行った時も、大川小学校へも行きました。皆さんと行くのは5年ぶりです。



次に向かったのは女川町。
女川も2011年に皆さんと初めて宮城に出かけた時に行き、家が津波の被害には合わなかった分、逆に十分に支援が届かないという地域の方々のところで炊き出しをして交流するという活動をしたことがありました。私自身は昨夏も立ち寄りましたが、ここも皆さんと一緒に来るのは5年ぶりでした。

今回訪ねてみると、女川駅周辺を中心に、まちが大きく変わっていました。昨夏行った時にはまだ仮設商店街がありましたので、そこに行けば2011年に行ったときの面影を見ることができたのですが、仮設商店街は閉鎖され、今は駅前に新しくできた商店街に移動してお店を始めています。



商店街の人などにお話を聞いてみたのですが、女川は防潮堤は作らないまちづくりをするという決断をしたそうで、その代わりに大幅なかさ上げをしています。

女川駅周辺は7メートルかさ上げし、駅も新しく作っています。駅舎内には温泉があり、その前にきれいでおしゃれな商店街が広がっています。
若い町長がリーダーシップをもってまちづくりを進めたのだということを、商店街の方は肯定的にお話ししてくださいました。




しかし、あまりにも新しいまちになっていて、かつて私たちはどこで炊き出しをしたのだろうかと思うほどでした。おそらく、当時は高台だった場所が、周囲の大幅なかさ上げによって比較的下のほうに見えるようになったのだと思います。
本当はこのあと、石巻、松島のほうも通って帰りたかったのですが、レンタカーを返す時間が迫っていて、残念ながら時間切れ。女川をあとにしてからはひたすら仙台に向かって走りました。

今回、気仙沼を中心に宮城を旅してきて改めて思ったこと。

私は議員として活動する中で特にこの数年、大切にしたいと思っているのは、「その問題の当事者が第一」ということです。それは被災地のことはもちろん、福祉のことでも同様です。そのことを今回の旅でも改めて考えました。

当事者でない人にとって「社会的課題」と捉えていることは、当事者にとっては「個人としての課題」であるということを思います。

私たちは今回、気仙沼の中でも色々な地域の人に出会ってお話を聞きました。


南町、大島、鹿折…それぞれの復興の進み具合や、そこに住む人の思いを聞き、私たちは気仙沼の復興の状況を感じ、被災とその後の復興という社会的課題を改めて肌で感じてきました。
一方、そこで暮らす人にとっては、復興の進み具合が「私は明日からどこに住むのか」「私は明日からどこで働くのか」という、毎日の個人としての生活に直結しています。

その点において、当事者と当事者でない人は、明確に違うのだと思います。
でもだからといって、当事者でなければ問題にかかわってはいけないというわけではありません。当事者でない人が当事者の思いを共有しようとすることや、そこから社会的課題に気づくことも大切だと思います。当事者と、その周辺にいる人、どちらの視点もあってこそ、復興が進んでいく原動力になると思います。

でも当事者でない立場の私が、社会的課題の視点からの言葉を当事者である人に発することは、ともすれば暴力的な言葉になってしまうということは気をつけたいと、いつも思っています。そのことを、今回の旅でも改めて思いました。