気仙沼ツアーの報告の続きです。2日目。

5月29日(日)

早起きして海鳳の方たちにお別れ。




そしてこの日はまずはみんなで「龍舞崎」へ向かいました。


ここは以前、私一人では来たことのある場所ですが、皆さんと一緒に行くのは初めてです。前日に行った亀山と同様、景色の良い場所ですが、亀山とはまた違う景色を見ることができます。





乙姫窟(おとひめいわや)は、以前私が来たとき(2013年の秋頃)はまだ震災の影響で立ち入り禁止だったのですが、今回は見ることができました。とても美しい場所でした。




急な階段を下りていくと、乙姫窟に。






大島はとても美しい島であると改めて感じます。

朝10時に大島児童館の館長である菊田榮四郎先生とお会いする約束をしていました。
菊田先生は前回初めてお会いして、その時はデイサービスで一緒に歌を歌いました。
今回はデイサービスが開いている曜日ではなかったので、デイサービスの方たちにはお会いできなかったのですが、土日ではお会いできないかなと思いながらご連絡をした菊田先生は快く「ぜひ来てください」と言ってくださったのでした。
菊田先生は、震災の経験を語る活動もされていて、今回もスライドを用意して待っていたくださいました。



震災当時、小学校長だった菊田先生は、2011年3月は(大島ではなく)気仙沼のほうの小学校にいらっしゃって、そこが遺体安置所として使用されるという経験をされました。4月には大島の小学校のほうに赴任されて、給食室が使えないので仮設を建てて補ったり、保健室が診療所の様になっていたというご経験もお聞かせいただきました。気仙沼のほうの小学校でも大島の小学校でも、津波の犠牲になったこどもがいて、先生としても、ご近所の人たちも、今でも悲しい気持ちを心の中に持っているということも…。
「忘れずに訪ねてくれてうれしいです」と言ってくださった菊田先生。またお会いしたいです。



児童館のあと、近くの神社でおまつりをやっているようだったので行ってみましたが、すでにイベントは終わってしまっていました。関わっている地元の人たちが口々に「あらー、今までやってたのに残念ね」と声をかけてくださいました。予定のフェリーまで少し時間があったので、フェリー乗り場の近くの喫茶店でコーヒーをいただきました。





おしゃれで素敵な喫茶店。



フェリーで気仙沼のほうに戻って、私たちは次に「気仙沼ニッティング」に向かいました。この日宿泊する予定のホテルの近くの丘の上にある、小さなお店です。





ここは、気仙沼の周辺の方たちが作ったセーター屋さん。実は前回、地元の方にこの活動をうかがって、訪ねたかったのですが、お店がオープンしているのは土日だということで、平日に行った前回は見ることができませんでした。今回はタイミングが合ったのでお邪魔したのです。



セーターが7万5千600円、オーダーメイドのカーデガンが15万1200円と、とても高価なので、今回はセーターは見て、撫でただけですが(笑)、この活動が始まるまでの経緯を書いた本を買いました。(本を読んだら思いが伝わってきて、欲しいなと思ったのですが、改めて値段を見てまた躊躇っているところ…あせる



その本によれば、もともと海外でお仕事をされていた女性が、震災の報に触れて心を痛め、何かしたいという思いで帰国して、気仙沼の地に根を下ろして始めた活動だそうです。
漁師町である気仙沼では、もともと漁師さんが仕事の合間に編み物をしたり、その奥さんなども家族のために編み物をすることが多かったそう。そうした文化を活かして、自分たちの手で仕事を起こし、これからずっと継続していける会社にして、世界に発信できるような素敵なセーターを作っていこうという思いで活動されているそうです。
気仙沼ニッティングのことを詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。また、糸井重里さんと社長の御手洗さんの対談はこちら




次に、私たちはリアスアーク美術館へ向かいました。ここに来るのも3度目です。



リアスアーク美術館は、気仙沼の民俗資料の展示と、震災当時の写真や被災物の展示をしています。とても充実した展示なので1度では消化しきれないため、繰り返し訪ねていますし、今の時期に初めて気仙沼を訪れる人にとっても震災当時のことや気仙沼というまちの位置づけを知るのにとてもいい場所です。
リアスアーク美術館の学芸員さんが、震災が起きた時に自分たちにできることは何かと考えて、こういう展示を工夫されてきたのだろうなということを感じることもできます。

そのあとに、仮設商店街・復幸マートへ行きました。



この仮設商店街はこの8月いっぱいで閉じる予定だそうです。

もともと、復幸マートのある地域は津波・火災の被害が大きかった地域で、「共徳丸」という大きな船が打ち上げられたすぐ近くでもありました。共徳丸は2013年の秋に解体されて今はありません。その後の場所はずっとかさ上げ工事が進められていて、いつも工事中という状況です。仮設商店街も、もとあった場所をかさ上げするために、仮設から仮設へといったん移転した経緯もあります。その仮設ももう閉じる。だけど、この先どうするか、まだ決まっていない人も多いようです。



前回お邪魔した時にはまだかさ上げ工事中だった場所に、公営住宅が建設中でした。

復幸マートの知り合い・小野寺さんが「この裏にある安波山に行ってみてください。気仙沼のまちを見渡せますよ。私たちは震災の時、この山に逃げたんです。」と教えてくださいました。



安波山からの景色。今見るとまちが見渡せて、とてもいいですが、震災当時のこの地域の方たちはこの場所でどんなに怖い思いで過ごされたのだろうかということも感じます。


この日はプラザホテルという、温泉のあるホテルに泊まります。夕飯は仮設商店街・南町紫市場のあさひ鮨で。

紫市場を中心になって引っ張っている坂本正人さんにお話を聞かせていただきました。

もともと本設の商店街は今年の春にはできる予定といわれていたのが工事の遅れで今年の秋へと延び、さらに今は来年の春といわれています。この春に着工したので、今度こそは完成するだろうと。一方で、仮設は今年の秋までという契約になっているので、本設ができるまでどうするのだという交渉も必要になっていると聞きました。

また、今まで5年、仮設でやってきて、これからまた新たに本設に移って10年20年とやっていけるのか…特に年齢が高くなって後継者の見通しが立っていない人にとって、悩ましいところでもあるようです。仮設の紫市場で営業しているお店のうち、かなりの数が、少なくとも本設には入らず、今後どうするか、悩んでいるところであるようです。

それぞれの事情によっての悩みもあるでしょうし、一方で「まずは仮設でがんばって、いつかは本設にみんなで移ろうね」と声をかけてきた、商店街の中心の人たちにとってもつらい状況にあるのではないかと感じました。

震災から時間がたつほど、それぞれの抱える事情も多様化し、必ずしもみんなが同じ将来像を持つとは限らない、ということもあると思います。苦しみは絶えないのに、見えづらくなっていってしまうのですね。

外部からその苦しみが見えづらくなるほど、ボランティアや応援のための観光客が減っていってしまうという課題もあると思います。

これは初日の、仮設住宅から公営住宅に移った方とも共通する部分ですが、まちづくりが進んでよかったね、と単純に喜べない課題は残っているということかと思います。

震災から5年以上がたち、今までずっとがんばってきた分だけ疲れが出てくるということもあると思います。こんな今こそ、外部から東北に訪ねて行って、観光旅行でも構わないから、地元のお店に入って「東京から来ました」ということが応援になるのではないかと、今回は今までにないほど強く感じました。