「なに、彼どうしたの?」
声を掛けて来たのは、バイオリン科助手の山室君。
珍しい。山室君、毎日殆ど助手事務室から出てこないのに。
「さぁ?なんだろう、落ち込んでいるみたい。どうしたの、山室君珍しいね」
「葉山さん辞めちゃうってほんとですか?僕、これからどうしたらいいんですか。僕一人であの教授達の無理難題こなせませんよ」
そう言って、山室君までテーブルに突っ伏した。
何なんだろう、この状態。
「ええっと、ぼく。そんなにお役にたっていたとか思えないんだけど」
「そんな。葉山さんがいたから、教授達も我儘控えていたんですよ。なんだか分からないですけど、プライドですかね。言わば教授間の軋轢ですよ。でも、いなくなったら。・・・僕、また、振り回されるんですよ。あああああ」
なんだか、益々、可哀想になってきた。でも、もう一人篠田君がいる。
「あー、篠田君。なに落ち込んでるの」
「葉山さん。訊いてくれますか。俺、コンクールで優勝してくださいって言われたんです。昨日、井上教授のマネージャーって人が葉山さんに俺の就職先斡旋を頼まれたと言って来て。そうしたら、いきなりコンクールで優勝して下さいって。入賞じゃなく、優勝。そうしたら、ニューヨークフィルでも、ウィーンフィルでもどこにでも推薦状出しますって。・・・凄く嬉しいですけど。難関ですよ。入賞は駄目って・・・」
ううう、っといって篠田君がまたテーブルに突っ伏した。
うわぁー。大木さん現実主義だから、はっきりしているよ。
「あー、でも。大木さん現実主義の人だから、出来ない事は言わないよ。篠田君はそれが出来ると分かって言ってるんだよ」うん。大木さんは、無理難題言わない。
「本当ですか」
「うん。本当だよ」
篠田君は、少し浮上したみたいだ。
その時。
『あら、なんだか楽しそうね』と、アリアーナが現れた。
カフェの中がざわざわと騒がしくなったのと、アリアーナの声で、山室君と篠田君がテーブルから顔を上げて、そしてふたりとも固まった。
『アリアーナ。授業終わったの』
アリアーナは井上教授の授業にぼくがしていたように参加することになった。それで、今日の午前のレッスンから参加していたのだ。
「葉山さん、こんにちは」
アリアーナの後ろから現れたのは、井上教授の門下生の滝さんだった。
「滝さん。どうしたの?」
「アリアーナさんが葉山さんを探してたので案内してきました」
『彼ら、どうしたの?』と、机に突っ伏してたふたりが気になっているみたいだ。
『ひとりは、仕事疲れ。ひとりは、コンクールのプレッシャー』
『お仕事は?』
『バイオリン科助手の山室君』
『あら、私とおなじね。よろしく』
アリアーナににっこり笑いかけられて、山室君は一瞬にして浮上したみたいだ。
真っ赤な顔をして口をパクパクしている。
滝さんが、そうなんですかと眼できいてきたので、うんとぼくは、頷いた。
「益々、注目ですね、井上教室」と滝さんがぼそりと言う。
『コンクール私も沢山挑戦したわ』
『アリアーナ、優勝してたよね。ほとんどのコンクール』
そうなんだ、ジュリアードでアリアーナ、コンクール荒らしって言われてたんだ。
『当たり前でしょ。タクミに首席取られたくなかったんですもの。貴方の苦手な分野は全部調べたわ。
バイオリンのない貴方にコンクールは無理でしょう。だから、挑戦して、優勝狙ったのよ』
流石だよ、アリアーナ。この場にいた全てが固まったよ。
シーンと静まったカフェって、ちょっと怖いや。