愛されたかった私が、愛を与えられるようになるまで | 「ひとりぼっち」のあなたへ

「ひとりぼっち」のあなたへ

NHK福祉番組出演、各地講演、生きづらさ書籍執筆――

幼少期の傷、自殺未遂、DV、依存…心の病サバイバー、咲セリが伝授する
生きづらい人生が「しあわせ」に変わる100の習慣と生の体験談
(「周りの人ができること」アドバイス付き)

「自分なんて、世界で一番、いらない人間」。

私が、そう思うようになった引き金は、父にあった。


テストで99点を取ると、「なぜ100点じゃないのか」と怒鳴られた。

100点を取って、褒めてもらおうと駆け付けると、「100点なんてあたりまえだ」と吐き捨てられる。


「こんなこともできないのか」。

「本当に俺の子か」。

そうなじられるたび、胸が張り裂けそうなほど傷ついたけど、私は自分を否定した。

「悲しむ資格なんて私にはない。できない私が悪いんだ」。


弟が生まれたのは、小学5年生の時だ。

待望の男の子を、父は掌中の珠として溺愛した。

その事件は、ある日の夕食の席で起きた。

いつものように酒を飲む父の前で、私はたわいもない理由で弟を注意した。
その瞬間、父は、血相を変えて私を怒鳴りつけた。
 「失敗作のおまえに、そんなことを言う資格はない!」。


その日をきっかけに、私は父に愛されることを諦めた。


髪の毛を金色に染め、ガラの悪い仲間たちとつるむようになった。

16歳で家を飛び出し、体を売って生計を立てた。


体を投げ打てば、男性は私に優しくしてくれる。

そのうち、性の対象としての自分にしか自信を持てない、「性依存」状態に陥った。



私が、性依存について取材を受けたのは、それから10年が過ぎた時だ。

NHKの番組で、私は性依存を明かし、かつて父に受けた心の傷についても語った。


番組が放送された数日後のことだった。

父から、突然のメールが入った。
「テレビに出たらしいけど、それは、お父さんが見てもいいのか?」。


背筋が凍った。

おそらく、すでに父は内容を知っているのだろう。
動揺する胸をぐっと握りしめ、覚悟を決めて返信した。
「うん。でも、もしかしたら、お父さんを悲しませてしまうかもしれない」。


永遠に思えるほど長い数分の後、父からの返信を告げるバイブが震えた。


「どんなセリでも、セリは、セリだ」。



私たちは、過去には戻れない。

だけど、「これから」は、いつでも変えていくことができるのだ。



もうすぐ父の日。

私は、ネットショップを繰りながら、父のプレゼントを探す。


愛されたいからではなく、

父にもらった愛情の分、私が父を愛するために――。







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