「自分なんて、世界で一番、いらない人間」。
私が、そう思うようになった引き金は、父にあった。
テストで99点を取ると、「なぜ100点じゃないのか」と怒鳴られた。
100点を取って、褒めてもらおうと駆け付けると、「100点なんてあたりまえだ」と吐き捨てられる。
「こんなこともできないのか」。
「本当に俺の子か」。
そうなじられるたび、胸が張り裂けそうなほど傷ついたけど、私は自分を否定した。
「悲しむ資格なんて私にはない。できない私が悪いんだ」。
弟が生まれたのは、小学5年生の時だ。
待望の男の子を、父は掌中の珠として溺愛した。
その事件は、ある日の夕食の席で起きた。
いつものように酒を飲む父の前で、私はたわいもない理由で弟を注意した。
その瞬間、父は、血相を変えて私を怒鳴りつけた。
「失敗作のおまえに、そんなことを言う資格はない!」。
その日をきっかけに、私は父に愛されることを諦めた。
髪の毛を金色に染め、ガラの悪い仲間たちとつるむようになった。
16歳で家を飛び出し、体を売って生計を立てた。
体を投げ打てば、男性は私に優しくしてくれる。
そのうち、性の対象としての自分にしか自信を持てない、「性依存」状態に陥った。
私が、性依存について取材を受けたのは、それから10年が過ぎた時だ。
NHKの番組で、私は性依存を明かし、かつて父に受けた心の傷についても語った。
番組が放送された数日後のことだった。
父から、突然のメールが入った。
「テレビに出たらしいけど、それは、お父さんが見てもいいのか?」。
背筋が凍った。
おそらく、すでに父は内容を知っているのだろう。
動揺する胸をぐっと握りしめ、覚悟を決めて返信した。
「うん。でも、もしかしたら、お父さんを悲しませてしまうかもしれない」。
永遠に思えるほど長い数分の後、父からの返信を告げるバイブが震えた。
「どんなセリでも、セリは、セリだ」。
私たちは、過去には戻れない。
だけど、「これから」は、いつでも変えていくことができるのだ。
もうすぐ父の日。
私は、ネットショップを繰りながら、父のプレゼントを探す。
愛されたいからではなく、
父にもらった愛情の分、私が父を愛するために――。
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