バドミントンの思い出。続というほどでもありませんが。弱かったときのほうがちやほやされたかも。 | 1型糖尿病患者のぼやき。さかぞー監督のブログ。

1型糖尿病患者のぼやき。さかぞー監督のブログ。

膵臓のβ細胞を失ったことをきっかけに社会福祉士になりました/1型糖尿病(2014.4~)/社会福祉士(2016.4~)/糖尿病患者向け住宅建設計画中/元大学バドミントン部監督


ずいぶん以前に

バドミントンの思い出。壱。弱かったときのほうがちやほやされたかも(;^ω^A

バドミントンの思い出。弐。弱かったときのほうがちやほやされたかも(;^ω^A

とかいう記事を

途中まで書いたまま

放り出しておりましたことを

今さら思い出しました

σ(^◇^;)



まあ

続きというほどではありませんが

おさらいがてらちょこっと

当時の状況について書いてみますと

タイトルどおり

そのレベルでダークホース以下の

取るに足らない存在だったときのほうが

見知らぬ女性の方々から応援されたりとか

一緒に写真を撮ってほしいと言われたりとか

そんなこんな楽しい思い出が

たくさんあったように思います

Σ( ̄▽ ̄;)



バドミントンの思い出。壱。弱かったときのほうがちやほやされたかも(;^ω^A

でも書きましたとおり

団体では県3位だったものの

個人戦(ダブルス)では

県の一回戦や二回戦で負けているような

あまり勝てなかった中学時代にも

案外

そういうことはありましたしね

( ̄▽+ ̄*)



バドミントンの思い出。弐。弱かったときのほうがちやほやされたかも(;^ω^A

で書きましたとおり

高校生になりましても

高2の県の総体まで

つまり

自分が最高学年になるまでは

やっぱりそういうことが多かったですし

取るに足らない存在の割には

ウキウキとして試合に臨めるような

楽しい環境は続いておりました

Ψ(`∀´)Ψ



なのですが

。。。



自分たちが最高学年となる

最初の大会であります

高2の秋の新人戦。



兵庫県ではまず

個人戦から始まるのですが

その県の新人戦で

私はダブルス3位

シングルスベスト8となり

中学時代から強かった人たちが名を連ねる

県の上位陣の末端に

ようやく私も仲間入りを果たしたような

そんな感じの状況になりました

(=゜ω゜)ノ



いよいよ

具体的に全国を目指す足がかりができ

さすがの私も

まったく浮かれることなく

ガチで試合に臨むようになっていたわけですが

。。。



その途端

それまでいただいていた

黄色い声援は皆無になりました

il||li(ФДФ;)il||li



今でも覚えているのは

上に書きました県の新人戦のシングルスの

ベスト8懸けの試合だったでしょうか。



相手選手への応援が

半端なかったんですね

Σ( ̄▲ ̄;)



つい数ヶ月前までは

どちらかと言えば体育館の声援は

だいたい自分のものになりがちだと

お気楽に思い上がって考えていたのですが

その状況が一変し

体育館中が

一生懸命シャトルに喰らいつく

相手選手への応援で満ち満ちておりました

Σ(°Д°;≡;°д°)



それまでは自分では

けっこう

ベビーフェイスのつもりでいたのに

急に

とんでもないヒールになってしまった感じでしたねえ

(。>0<。)



バドミントンの成績としましては

その後無事

センバツに団体で

インターハイにはダブルスで

出ることができたのですが

でも結局

自分が最高学年の間は

それまでとは打って変わり

さほど黄色い声援はいただけないまま

高校バドミントン生活を

終えることとなってしまいました

( ̄~ ̄)ξ



ちなみに

チーム内に

強豪選手の方々がたっぷりいらっしゃった

D志社大学体育会バドミントン部時代は

私はまた

取るに足らない存在として

落ち着いていたわけですが

そうなるとやっぱり

「一緒に写真を撮ってください!」

とか言われだすようになりました

(;^ω^A



世の中がそんなものなのか

それとも

私がただ弱い選手キャラが合っているのか

どちらかはわかりませんが

まあ

そのレベルで

取るに足らない存在だったときのほうが

よっぽどちやほやされた記憶がありますので

そんなこんな思い出話も

また機会があれば書いてみますね

(#⌒∇⌒#)ゞ