ずいぶん以前に
「バドミントンの思い出。壱。弱かったときのほうがちやほやされたかも(;^ω^A」
「バドミントンの思い出。弐。弱かったときのほうがちやほやされたかも(;^ω^A」
とかいう記事を
途中まで書いたまま
放り出しておりましたことを
今さら思い出しました
σ(^◇^;)
まあ
続きというほどではありませんが
おさらいがてらちょこっと
当時の状況について書いてみますと
タイトルどおり
そのレベルでダークホース以下の
取るに足らない存在だったときのほうが
見知らぬ女性の方々から応援されたりとか
一緒に写真を撮ってほしいと言われたりとか
そんなこんな楽しい思い出が
たくさんあったように思います
Σ( ̄▽ ̄;)
「バドミントンの思い出。壱。弱かったときのほうがちやほやされたかも(;^ω^A」
でも書きましたとおり
団体では県3位だったものの
個人戦(ダブルス)では
県の一回戦や二回戦で負けているような
あまり勝てなかった中学時代にも
案外
そういうことはありましたしね
( ̄▽+ ̄*)
「バドミントンの思い出。弐。弱かったときのほうがちやほやされたかも(;^ω^A」
で書きましたとおり
高校生になりましても
高2の県の総体まで
つまり
自分が最高学年になるまでは
やっぱりそういうことが多かったですし
取るに足らない存在の割には
ウキウキとして試合に臨めるような
楽しい環境は続いておりました
Ψ(`∀´)Ψ
なのですが
。。。
自分たちが最高学年となる
最初の大会であります
高2の秋の新人戦。
兵庫県ではまず
個人戦から始まるのですが
その県の新人戦で
私はダブルス3位
シングルスベスト8となり
中学時代から強かった人たちが名を連ねる
県の上位陣の末端に
ようやく私も仲間入りを果たしたような
そんな感じの状況になりました
(=゜ω゜)ノ
いよいよ
具体的に全国を目指す足がかりができ
さすがの私も
まったく浮かれることなく
ガチで試合に臨むようになっていたわけですが
。。。
その途端
それまでいただいていた
黄色い声援は皆無になりました
il||li(ФДФ;)il||li
今でも覚えているのは
上に書きました県の新人戦のシングルスの
ベスト8懸けの試合だったでしょうか。
相手選手への応援が
半端なかったんですね
Σ( ̄▲ ̄;)
つい数ヶ月前までは
どちらかと言えば体育館の声援は
だいたい自分のものになりがちだと
お気楽に思い上がって考えていたのですが
その状況が一変し
体育館中が
一生懸命シャトルに喰らいつく
相手選手への応援で満ち満ちておりました
Σ(°Д°;≡;°д°)
それまでは自分では
けっこう
ベビーフェイスのつもりでいたのに
急に
とんでもないヒールになってしまった感じでしたねえ
(。>0<。)
バドミントンの成績としましては
その後無事
センバツに団体で
インターハイにはダブルスで
出ることができたのですが
でも結局
自分が最高学年の間は
それまでとは打って変わり
さほど黄色い声援はいただけないまま
高校バドミントン生活を
終えることとなってしまいました
( ̄~ ̄)ξ
ちなみに
チーム内に
強豪選手の方々がたっぷりいらっしゃった
D志社大学体育会バドミントン部時代は
私はまた
取るに足らない存在として
落ち着いていたわけですが
そうなるとやっぱり
「一緒に写真を撮ってください!」
とか言われだすようになりました
(;^ω^A
世の中がそんなものなのか
それとも
私がただ弱い選手キャラが合っているのか
どちらかはわかりませんが
まあ
そのレベルで
取るに足らない存在だったときのほうが
よっぽどちやほやされた記憶がありますので
そんなこんな思い出話も
また機会があれば書いてみますね
(#⌒∇⌒#)ゞ