バドミントンのぼやき。夢と理想と現実の三角関係。妥協できる世界と誤魔化せない世界と現実の世界。 | 1型糖尿病患者のぼやき。さかぞー監督のブログ。

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膵臓のβ細胞を失ったことをきっかけに社会福祉士になりました/1型糖尿病(2014.4~)/社会福祉士(2016.4~)/糖尿病患者向け住宅建設計画中/元大学バドミントン部監督


夢と理想を

どのように区別するのかについて

辞書的な意味合いであったり

一般的な意味合いであったりを

よく理解していないまま

雰囲気で使い分けてしまっているのですが

個人的には

夢は現実の延長線上にあり

理想は現実の対極にあるような

そんなイメージを持っています

σ(^◇^;)



ざっくりと言いますと

夢は努力や実力を問わず

けっこう誰でも見ることができるものであり

逆に理想は

鏡に映った自分の姿のように

各個々人の努力や実力次第で見えるものが

まったく違ってくるように思うんですね

(=゜ω゜)ノ



極論しますと

夢は妥協もできれば

自分を誤魔化すこともできるけれど

理想は嘘や妥協を許さず

ありのままの自分しか見ることができない

といった感じでしょうか

Σ(°Д°;≡;°д°)



ですので

こんなことを言うと

それは間違いだ!とか

お叱りを受けてしまうかもしれませんが

夢なんて

いくらでも妥協していいと思いますし

そのときそのときの

自分の状況や実力次第で

思い描くことができる将来像を

何度でも何度でも練り直して描き直して

常に新鮮な夢を持っていたほうが

よっぽど前に進む力になると思いますよ

(;´▽`A``



世間では

「夢はしがみついてでもあきらめるな!」

的なノリのご意見も多いように思いますが

でも

夢を妥協することができないからといって

自分や他人を認めたり許したりできずに

いつまでも古い夢にすがりついたまま

その場で立ち止まったままでいるようでは

伸びる芽も伸びないかもしれないですしね

(;^ω^A



強いて言うならば

「夢はしがみついてでもあきらめるな!」

的なノリのご意見の中には

がんばったらなんとかなるやろ的な

いわゆる根性論的なニュアンスを

感じてしまう気がしないでもありませんし

( ̄~ ̄)ξ



それはさておきまして

夢は妥協すべきものである一方

理想ってなかなか

嘘とか妥協では誤魔化しにくい

世界観のように思います

(・ω・;)



そもそも

理想とは自分を自分たらしめるもの

とでも言いますか

私もよく理解できていないので

ややこしい書き方になってしまいますが

絶対的な自己肯定を大前提として

その上で

自分や目の前の現実を徹底的に批判して

純化しまくった自分や世界を思い描くことが

理想なのではないかと思います

f(._.)



なんだか

ややこしい書き方になってしまいましたが

つまるところ

根本的なところで自分を信用できて初めて

徹底的に自分を批判する世界観としての

理想を持つことができるように思うんですね

Ψ(`∀´)Ψ



まあ

とってもざっくりとまとめてしまいますと

夢とは現実の自分を温かく肯定するものであり

逆に理想とは

現実の自分を徹底的に否定するものであるので

そういう二つの世界観をごっちゃにしないで

それそれに適度な距離感を保ちながら

いわゆる三すくみのような状態で

夢と理想と現実の三角関係を維持できますと

夢や理想が現実に良い影響を与えやすく

なるんじゃないかと思いますよ

(*^ω^*)ノ彡



大風呂敷を広げすぎましたせいか

バドミントン的な内容を

すっかり書き挟むのを忘れてしまいまして

どうもごめんなさいね

(#⌒∇⌒#)ゞ