夢と理想を
どのように区別するのかについて
辞書的な意味合いであったり
一般的な意味合いであったりを
よく理解していないまま
雰囲気で使い分けてしまっているのですが
個人的には
夢は現実の延長線上にあり
理想は現実の対極にあるような
そんなイメージを持っています
σ(^◇^;)
ざっくりと言いますと
夢は努力や実力を問わず
けっこう誰でも見ることができるものであり
逆に理想は
鏡に映った自分の姿のように
各個々人の努力や実力次第で見えるものが
まったく違ってくるように思うんですね
(=゜ω゜)ノ
極論しますと
夢は妥協もできれば
自分を誤魔化すこともできるけれど
理想は嘘や妥協を許さず
ありのままの自分しか見ることができない
といった感じでしょうか
Σ(°Д°;≡;°д°)
ですので
こんなことを言うと
それは間違いだ!とか
お叱りを受けてしまうかもしれませんが
夢なんて
いくらでも妥協していいと思いますし
そのときそのときの
自分の状況や実力次第で
思い描くことができる将来像を
何度でも何度でも練り直して描き直して
常に新鮮な夢を持っていたほうが
よっぽど前に進む力になると思いますよ
(;´▽`A``
世間では
「夢はしがみついてでもあきらめるな!」
的なノリのご意見も多いように思いますが
でも
夢を妥協することができないからといって
自分や他人を認めたり許したりできずに
いつまでも古い夢にすがりついたまま
その場で立ち止まったままでいるようでは
伸びる芽も伸びないかもしれないですしね
(;^ω^A
強いて言うならば
「夢はしがみついてでもあきらめるな!」
的なノリのご意見の中には
がんばったらなんとかなるやろ的な
いわゆる根性論的なニュアンスを
感じてしまう気がしないでもありませんし
( ̄~ ̄)ξ
それはさておきまして
夢は妥協すべきものである一方
理想ってなかなか
嘘とか妥協では誤魔化しにくい
世界観のように思います
(・ω・;)
そもそも
理想とは自分を自分たらしめるもの
とでも言いますか
私もよく理解できていないので
ややこしい書き方になってしまいますが
絶対的な自己肯定を大前提として
その上で
自分や目の前の現実を徹底的に批判して
純化しまくった自分や世界を思い描くことが
理想なのではないかと思います
f(._.)
なんだか
ややこしい書き方になってしまいましたが
つまるところ
根本的なところで自分を信用できて初めて
徹底的に自分を批判する世界観としての
理想を持つことができるように思うんですね
Ψ(`∀´)Ψ
まあ
とってもざっくりとまとめてしまいますと
夢とは現実の自分を温かく肯定するものであり
逆に理想とは
現実の自分を徹底的に否定するものであるので
そういう二つの世界観をごっちゃにしないで
それそれに適度な距離感を保ちながら
いわゆる三すくみのような状態で
夢と理想と現実の三角関係を維持できますと
夢や理想が現実に良い影響を与えやすく
なるんじゃないかと思いますよ
(*^ω^*)ノ彡
大風呂敷を広げすぎましたせいか
バドミントン的な内容を
すっかり書き挟むのを忘れてしまいまして
どうもごめんなさいね
(#⌒∇⌒#)ゞ