僕の中の3.11 | どっこい俺は生きている。

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陸前高田 奇跡の一本松




日本中を、世界中を震撼たらしめた3.11のあの日から、早いもので、本日4年目を迎える。

あの年、失われた20年やリーマンショックを経て、やっと経済にも明るい兆しが見えてきたところだった。

あの日、衝撃の映像とともに、僕のなかの価値観が音を立てて崩れていった。
なぜだか分からない。自分が大切にしてきたものを全否定されたような思いだった。

いてもたってもいられず、ボランティアに参加した。
言葉で表現できないほどの、凄まじい震災の爪痕。
自分がいかにちっぽけな存在なのかに気づかされた。

僕は映像ディレクターなので、何度も被災地を訪れた。
大切な家族を亡くした人たちの、絶望の顔。
目の光を失った子どもたちの顔を見るにつけ、僕自身も虚脱感や虚無感に苛まれた。

あの日からしばらく、あれだけ好きだった「写真を撮る」行為も少なくなった。
ブログもすっかり書かなくなり、自分自身のアイデンティティも見失った。

それでも、僕は東北を訪れつづけた。
日本中の皆が考えていたように、僕も何かしなければいけないと思っていた。

映像の人間として自分にできることは何だろう?それは、もちろん、この現実を撮ることだろう。
この現実を、風化させないために。

ただ、マスコミの人間として注意すべきは、マスコミ特有の上から目線で取材をしないこと。
難しいけれど、「同苦」の心をもって取材対象者と接すること。これを心がけ、3本のドキュメンタリーを撮った。
これらの作品で僕が伝えたかったことは、絶望の日々の中で、しっかりと「希望」を見いだして生きていく「人間の強さ」だ。







石巻のある学校で、皆で学校のCMをつくるという授業の講師をボランティアで努めさせても頂いた。
僕らには計り知れない悲しみを背負った子どもたちが、生き生きと頑張る姿を見て、僕も希望を見いだしていった。







中国 水立方(北京国家水泳センター) 希望の画 絵画展

2013年、夏。中国・北京で「日中友好絵画展」を僕の主催で開催した。

これは、被災者の子供たちに書いてもらった「希望の画」を数百枚展示したもの。
時は、中国による日本バッシングが加熱していた時期だったが、子どもたちの純粋な絵は、
両国の垣根を簡単に乗り越えさせた。

こんなことくらいで、東北の役に立っているなどとは、つゆ程も思っていない。
ただ、「自分一人が何かしたところで」との、虚無感に負けたくなかっただけのことだ。

東北の取材対象者の方とは、今でも親交をつづけている方もいる。
先日も、陸前高田の生ワカメを大量に送って頂いた。









真の復興は、まだまだ先かもしれない。

でも僕は信じている。東北に、被災地に、必ず爛漫たる春が訪れることを。