第55回はたらく女性の中央集会・分科会報告前半 | 労働組合ってなにするところ?

労働組合ってなにするところ?

2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

本日は、第55回はたらく女性の中央集会の分科会に参加してきました。

私が参加したのは第4分科会「なくそう貧困!生かそう憲法25条」で、まずは午前中に反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんの講演が行なわれました。その概要をご紹介します。


今回のはたらく女性の中央集会は関内駅の近くの高校で行なわれました。

湯浅さんは関内駅前のネットカフェの調査をしたことがあるそうで、そこで会った人の中に障害があるのではないかと思える20代の青年がいたそうです。路上にいる人にも障害のある人が多く、北九州市の路上生活者の施設では身障手帳の取得支援を行なっており、入所者の6割が該当したそうです。また、認められなかった人の中には海外なら認められる人もいるそうで、日本の障害者福祉はヨーロッパの3分の1だそうです。つまり、本来は障害者福祉で支えられるべき人が支えられず、そのまま労働市場に入って来て弾かれ、路上生活者になっているということです。労働市場が厳しくなってくると、そうした不利な立場にいる人から排除されていき、貧困に陥っていきます。

湯浅さんは、貧困の問題とは社会のあり方、国のあり方の問題だと考えています。

そのことを、ユニセフの調査から見て行きます。2007年、ユニセフが各国の15歳の子どもの物質的な貧困と精神的な貧困の調査を行なったところ、日本の15歳の精神的貧困は突出していたそうです。「さびしい」と思うかという設問に対して、各国の平均は6~7%なのに、日本では29.8%、「居場所がない」と思うかという設問に対しては、各国の平均は10%なのに、日本では18%という結果でした。

この原因として、日本が資本主義社会だから、グローバル競争にさらされているからだという意見がありますが、それは他の先進国でも条件は同じです。日本は豊かだからメンタルに目がいくのだという意見もありますが、調査対象には日本よりも豊かな国も含まれています。日本は親が悪いのだという意見もありますが、それではその親の責任は、またその親の責任はと、延々と遡っていくことになります。

湯浅さんの考えは、労働や教育の問題なのではないかということです。労働という点では、親の長時間労働や単身赴任、非正規労働者の場合はダブルワークやトリプルワークをしなければ生活できません。教育という点では、塾や習い事に追い立てられて”過労子”となる子どもと、低所得化で定時制でも進学困難になる子どもとの二極化が起こっています。

こうした問題は個人だけの問題ではなく、社会の問題です。

社会の問題だというとき、個人が頑張らなくてもいいと言っている訳ではなく、「自己責任論」が頑張る気持ちを育てるのかということを湯浅さんは問題にしています。

自分が「自己責任論」的になる時を振り返ってみると、それは自分に余裕がない時です。そんな時は、普段は質問に丁寧に答えられるのに、この前も説明したじゃないか、というような反応をしてしまいます。つまり、「自己責任論」的になるのは相手側の状態が違うからではなく、自分の状態が違うからなのです。そういった対応をされた相手は、”自分は役に立たない”と考え、来なくなってしまいます。頑張る気持ちを阻害してしまうのです。そして、そういった対応をしてしまう組織には人が集まらず、ますます大変になっていってしまいます。


では、今の日本社会のあり方とはどうなっているのでしょうか。

これまでの日本社会のあり方を、湯浅さんは3つの傘によって守られている状態だと表現しています。国の傘が企業を守り、企業の傘がそこに所属する正社員を守り、正社員の傘がその妻や子どもや高齢の両親を守るという図式です。その傘の外にいる母子家庭や日雇い労働者などは圧倒的に不利な立場にありますが、それは個人の問題とされてきました。

しかし、それら3つの傘がしぼみ、支えられない人が増えていくことにより、貧困が広がり、貧困に陥る人たちが多様化してきました。

日本社会では、公的な税制から世間体まで、有形・無形に傘の中と外で有利・不利がはっきり分かれています。傘のしぼみに合わせて、有利・不利の境目を変えていかなければならなかったのにそうしてこなかったので、傘から外れてしまうと何もない「すべり台社会」になってしまっています。たとえば、雇用保険の失業給付を受給している失業者の割合は急速に低くなっています。

傘の中にいる人には傘の外の人の状況は想像が及びません。社会の階層化が進むとますますわからなくなっていきます。

「すべり台社会」を滑り落ちてしまった人の選択肢は4つあると湯浅さんは指摘しています。

1つめの選択肢は自殺です。年間3万人超の自殺者が20年間続いています。一方、年間の他殺者数は600人ほどなのだそうです。つまり、他殺の危険よりも自殺の危険の方が50倍も高いということです。

2つめの選択肢は犯罪です。万引きや無銭飲食などです。

3つめの選択肢はホームレスになることです。

4つめの選択肢は「No」と言えない労働者になることです。生活していくためにどんな労働条件でも受ける労働者が増えていくことにより、労働条件全体の悪化につながることになります。


また、日本社会は少子化と高齢化で人口減少社会となり、生産年齢人口が減少していっています。

世帯構成では、両親と子どもという標準世帯は2005年で3割を切り、単身世帯が増加しています。日本の標準が単身世帯となり、単身世帯で生活ができるような制度設計が必要となっています。

生産年齢人口が減少している社会においては、一人一人の社会参加が妨げられている状態では社会が持たない状況になっています。一人一人がそれぞれの能力を発揮できる社会の条件を整えていかなければなりません。

そのために、湯浅さんはワーク・ライフ・ウェルフェア・バランスという考え方を紹介しています。仕事、家庭、福祉のバランスが整っていることが、一人一人の力が発揮されるためには必要だという考え方です。

その人が置かれている立場によって、バランスが異なります。たとえば女性は、家事責任にしばられるので、家族機能の外部化や長時間労働の是正が必要になります。障害者は、障害者福祉の充実が必要になるなどといったことです。

女性は母数が大きいので、女性が社会参加を進めることが、他の社会参加を妨げられている人にとってもモデルケースとなります。そうして社会参加を進めていくことによって、全員参加社会を実現していくことを湯浅さんは呼びかけました。


続いて、質疑応答が行なわれました。

最初の質問は、忙しくて余裕のない中で、「自己責任論」的になってしまわないようにはどうしているのかというものでした。湯浅さんは、どういう時に自分がそうなるのかを意識することがブレーキ効果になると答えました。また、「忙しくても背中のあたりがゆったりとしている人」を目指したいとおっしゃっていました。

2つ目の質問は、労働組合の役員は「傘の外」のことをどれだけ認識していると思うかというものでした。湯浅さんは、労働組合の役員にも気付いている人もいて、逆に「傘の外」にいる人も気付いていないこともあると答えました。そして、現場を持っていることが大事で、現場を見ているとその変化から感じ取れるということもおっしゃっていました。

3つ目の質問は、障害者の兄弟を持つ健常者として、親からどのような教育を受けたかというものでした。湯浅さんは親から特別な教育を受けたということはないが、ボランティアの人が四六時中家に来ることがボランティアに対する壁の低さをもたらしたのではないかと答えました。

4つ目の質問は、政府の仕事をした経験の中でどのようなことを感じたかというものでした。湯浅さんは内閣府参与はアドバイザー的立場であり、中と外の間に立つもので、その活動の中で官と民の通訳をする人が必要だと感じたそうです。官は政策のプロであり、民は現場のプロです。現場のナマの素材を政策の中にあてはめる作業をするには、官の理屈がわかる民、民の現場がわかる官が必要だということです。「通訳」がいないとお互いに足の引っ張り合いになり、結果として公共サービスの縮小を招いてきてしまったので、「通訳」が増えていく必要があるということをおっしゃっていました。


以上で午前中の報告を終わります。

午後に行なわれた意見交流については、また後日ご報告します。