講演「地域主権改革で脅かされる労働者の権利」 | 労働組合ってなにするところ?

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2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

本日は、「第10回働くもののいのちと健康を守る関東甲信越学習交流集会」に参加してきました。明日までの2日間の開催なのですが、私は明日は「はたらく女性の中央集会」に参加するので、全体会のみ出席でした。

全体会では、「地域主権改革で脅かされる労働者の権利」と題して、全労働省労働組合の森崎委員長と東京社医研究センターの村上理事による記念講演がありました。以下、その概要をご紹介します。


森崎さんはまず、「地域主権」という言葉の響きのよさ、パフォーマンスで巧みに国民の支持、漠然とした支持を得ていることに警告を発しました。

「地域主権改革」は官僚の敵視につながっています。森崎さんは、確かに厚労省は労働行政の改悪を続けてきたり、過労死認定基準を見直さずにきたりといった”罪”もありますが、「労働白書」では一環して新自由主義の対抗する論戦を張ってきたという”功”もあると指摘しています。

次に、なぜ「地方自治」と言わずに「地域主権」と言うのかという疑問を森崎さんは提示しました。住民の意見を反映して地方の行政を行なっていくのが「地方自治」ですが、「地域主権」とは住民の意見を反映するのではなく、国が持っている権限を首長に移すことであり、実は「首長主権」なのだそうです。

また、「地域主権」は一貫して財界が主導してきました。日本経団連は、「地域主権」は「道州制」につながるものであるとしています。「道州制」とは、広域自治体をつくってその首長に権限を集中し、その権限によって規制緩和を行なうことです。つまり、これまで以上に「構造改革」を進めることであり、財界は全く「構造改革」をあきらめてはいないのです。

なぜストレートに「構造改革」と言わず、「地域主権改革」と言うのかというと、「構造改革」を進めてきた結果として格差と貧困が広がり、「富める者が更に富むことによって貧しい者にもその恩恵が及ぶ」というトリクル・ダウン説が全くの誤りであったことが明らかになったからです。

その代わりに、今度は「地域主権」を主張し、「構造改革」のときと同じようにそれを推し進めればバラ色の未来があるかのように宣伝しているのです。そして、規制緩和が進まないのは国家官僚の壁があるからとして官僚を敵視し、行政の担い手を官僚からもっと悪い担い手に移そうとしているのが「地域主権」であると森崎さんは主張しています。

「地域主権」による”バラ色の未来”とは何かというと、「善政競争」だと言われているそうです。首長に権限、財源、人間を集中することによって、首長がよりよい行政を行おうと競い合うことで、望ましい行政が行なわれるようになると「地域主権」の推進者は説いているそうです。

しかし、その競争は財源の確保の競争となり、より多くの財源を得るために企業にとって望ましい行政への競争になると森崎さんは指摘しています。

「地域主権」を推し進めようとしているみんなの党の江田憲司議員は、著作の中で道州制になると道州同士が競争することで、行政がより効率的、効果的になると主張しているそうです。シミュレーションでは、ある道州が法人税を2分の1にし、相続税を廃止することで、企業、富裕層がその道州に集中し、高い成長率が確保されると想定しているそうです。

しかし、競争は必ず勝者と敗者を生みます。敗者がどうなるのかは見えにくいのですが、江田議員の著作の中にはそれも書かれているそうで、答えは「自己責任」だそうです。今の社会は甘やかし過ぎだと主張しているそうです。

これが「地域主権」のロジックであり、つまりは「大企業に選んでもらえる自治体づくり」なのです。

労働行政の改悪のロジックも「自己責任」で進められようとしています。規制緩和してこそ、労働者は「自己責任」で自由な「自己決定」ができるという考え方です。

しかし、労働の分野では自由にしておけばいいというのは誤りであり、規制をしてこそ労働者が守られ、「自己決定」できるというのが常識です。ILOも国の責任で規制と労働者支援を行なうべきだとしており、労政審も国が責任を果たすべきだと主張しています。

続いて、今進められようとしている「地域主権改革」のメニューとして、様々ある中から2つが説明されました。

1つは「義務付け、枠付けの見直し」です。現在、保育や福祉分野の国の最低基準を取り払う法案の成立が進められようとしています。しかし、日本の現在の保育所の基準は1人当たり1.98㎡以上であり、スウェーデンの7㎡と比較すると極端に狭いのです。しかも、これは最低基準なのですから、それ以上広くする分には自由なのです。その基準をなくすということは、それより狭くするということに他なりません。職員の配置基準も撤廃されようとしています。

つまり、言葉遣いの違いだけで、実際には規制緩和なのです。労働法制も同じく最低基準を定めたものなので、基準撤廃が狙われているそうです。

もう1つは「国の出先機関の廃止」です。労働基準監督署やハローワークを廃止し、地方に移管にようとしています。これは、行政がやるかやらないかまで自治体に任せるという案であり、自治体がやらずに民間委託することが狙われています。

これは知事会が強く主張しているそうですが、その主張にはあまりにもでたらめなものが多いそうです。大阪の橋下知事はハローワークの窓口を都道府県に移せば生活保護の窓口と一体化できると主張しているそうです。しかし、生活保護の窓口は市町村にあるのです。それで、なぜ一体化できるのでしょうか。数にも大きな違いがあるそうです。佐賀県の古川知事はハローワークには佐賀県の求人しかないと述べているそうですが、実際に確認してみたところ、佐賀県の求人はほとんどなくて福岡県の求人しかないそうです。

こうしたでたらめな主張で、「地域主権改革」へと国民をミスリードしようとしているというのが森崎さんの指摘です。

埼玉県の上田知事は、「地域主権改革」を待たずに特区申請によってハローワークを民営化し、派遣会社に任せようとしているそうです。

ですが、実は過去にハローワークの民営化が実験的に足立区で1年間行なわれたことがあるそうです。ハローワークと民間の窓口を並列したところ、ハローワークを通した就職は4651件、民間窓口を通した就職は60件のみだったそうです。しかも、ハローワークでは1件あたりのコストは3.2万円、民間窓口のコストは1件あたり152万円だったそうです。その民間企業は儲からないと言って撤退してしまったそうです。

また、ハローワークは労働権を保障する機関でもあり、労働基準監督署と連携して法律違反や差別を防ぐ役割も持っていて、それは民間では果たすことができない役割です。

そして、雇用保険については民営化できるのかの研究がされていないということも森崎さんは指摘しています。

これにはイギリスで失敗例があるそうで、雇用保険と職業紹介を別にすると保険財政が悪化するという結果が出ているそうです。

ハローワークにもまだまだ不十分な点はあるが、やはり労働行政には専門性が必要だと森崎さんは主張しています。

知事会は、労働基準監督署の地方移管も主張しているそうですが、労働基準監督署としては地方自治体も取り締まりの対象なのだそうです。企業に臨検に行き、「市長に言いつけるぞ」と言われて「どうぞ」と言えるのは国の機関だからであり、労働基準監督署には中立性が必要です。

そう主張すると、警察官も地方公務員ではないかという反論があるそうですが、警察でも幹部は国家公務員であり、そうしたいびつな組織をまたつくっていいのかという再反論があります。

また、国が基準をつくって自治体が運営すればいいではないかという意見もあるそうですが、それでは自治体が国の手足になってしまいます。国と自治体は対等であるべきだというのが森崎さんの考えです。

自民党政権下では、15年前の「地方分権推進委員会」の中間報告で、「すべての行政分野でナショナル・ミニマムの目標水準を達成し、これを維持していくことは、今後とも引き続き国が担うべき重要な役割である。ナショナル・ミニマムにも達しない地域社会が残存するような地域間格差は国の責任において解消させなければならない」と指摘しているそうです。

しかし、現在の「地域主権改革」推進派は、「社会保障は国がやるべきことではない」、「地方で都会と同じ生活ができる訳がない」、「これからはナショナル・ミニマムなどない。道州ミニマムだ」と主張しているそうです。

ナショナル・ミニマムは地方の財政によって左右されるものではあってはならない、ナショナル・ミニマムを国が保障してこそ地方が個性を発揮できるのです。

耳ざわりのいい言葉にだまされてはいけないと、森崎さんは呼びかけました。


続いて、村上さんはILO条約からみたハローワーク・労働基準監督署の地方移管について講演しました。

端的に言えば、ハローワークと労働基準監督署の地方移管は、明らかに日本が批准しているILO条約違反なのだそうです。

村上さんは新聞の劣化を指摘しています。新聞報道では、「地方移管については厚労省が反対している」ということしか伝えず、ILO81、88号条約違反だから反対しているということは一切書きません。

そこで、東京社医研センターや全労働などが主催し、5月21日に緊急フォーラムを開催してその問題を指摘したそうです。

この、ILO条約違反だと訴えることが大きな力になると村上さんは主張しています。

具体的には、まずは昭和28年に日本が批准しているILO81号条約があります。

その第4条で、「労働監督は、加盟国の行政上の慣行と両立しうる限り、中央機関の監督及び管理の下に置かなければならない」とあります。つまり、労働基準監督署は国の機関とすべきだということです。

第10条では、労働監督官の数は「監督機関の任務の実効的な遂行を確保するために十分なものでなければなら」ないとされています。

第16条では、事業場に対しては「ひんぱん且つ完全に監督を実施しなければならない」とされています。

第21条では、中央監督機関の年次報告書の公表義務が定められています。

日本はILOの188の条約のうち47条約しか批准していないそうです。ただでさえ数少ない批准している条約をないがしろにすることは国際的恥だと村上さんは指摘しています。

次に、ILO88号条約があります。この条約も日本は昭和28年に批准しているそうです。

その第2条で、「職業安定組織は、国の機関の指揮監督の下にある職業安定機関の全国的体系で構成される」とあります。つまり、職業安定機関であるハローワークは国の機関でなければならないということです。

第4条では、職業安定組織についての審議会には「使用者及び労働者の代表の協力」を得なければならないとされています。

第9条では、職業安定組織の職員の身分の保障が定められています。

ILO81号条約については、ギリシアで労基署にあたる組織が地方移管されたことがあり、ギリシアの全労働にあたる労働組合がそれをILO条約違反であると告発し、ILOが勧告するということがあったそうです。ギリシアは新法を制定して労基署を国の機関へ戻したそうです。

また、ハローワークや労基署の地方移管は、国際条約の遵守を定めた憲法98条に違反するということも指摘されています。

にも関わらず知事会が地方移管をやろうとしているのは無知なのか、それとも知っているのにやろうとしているなら更に悪質だと村上さんは批判しています。

しかし、ハローワークや労基署の地方移管については、労政審も日本労働弁護団も反対しているのです。

こうしたことは既存メディアは伝えないので、知った人が広く伝えていくことが必要です。


以上で報告を終わります。