「2010年戦争はごめん 女性のつどい」報告 | 労働組合ってなにするところ?

労働組合ってなにするところ?

2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

昨日は、新劇人会議50周年企画「ウマイかマズイかアンポ丼」に続き、日本婦人団体連合会主催の「2010年戦争はごめん 女性のつどい」に参加してきました。


この集会は、ベトナム戦争反対の取り組みのために現地から取り寄せた写真が「残虐すぎる」という理由で押収されてしまい、それを取り戻すために「ベトナムの写真を取り戻す会」が結成され、すべての写真を取り戻した際に開いた婦人集会をきっかけに始まったそうです。その集会が8月15日だったので、それに近い日程で毎年行なわれているそうです。

一昨年のテーマは従軍慰安婦問題、昨年のテーマは核兵器廃絶、今年のテーマは日米安保条約ということで、ジャーナリストの伊藤千尋さんを講師にお迎えして「軍事同盟はもういらない!今こそ憲法を活かそう―世界から見た9条」というテーマで講演が行なわれました。

以下、講演の概要をまとめます。


伊藤さんは今朝ベトナムの取材から帰って来たばかりだそうで、まずはベトナムの発展した様子と、ベトナムでは女性が経済を担っているということから講演が始まりました。

様々な土地を取材されてきた中で、沖縄というのは空が他とは違うそうです。というのは、沖縄の空は沖縄のものではなく、米軍の空となっているということです。沖縄に近づくと旅客機が異常に低空飛行をするのはそのためです。そして、空港からの道路は基地だらけであり、基地と民家や学校が隣接しています。こうしたところは、世界中を取材してきた中でも沖縄だけだそうです。

普天間にはF22などの戦闘機100機が常駐し、平日には3分ごとに発着し、その騒音は到底耐えられるものではなく、撤去されて当然の基地だと伊藤さんは述べています。しかも、水陸両用車が道端で訓練し、住民に銃を向けることもあるそうです。

しかし、普天間基地の返還はなかなか実現せず、その代替施設として辺野古に新基地をつくろうとさえしています。これは海兵隊が「抑止力」として必要だからということですが、海兵隊とは上陸作戦を行なうための部隊、攻めるための部隊であり、辺野古に新基地をつくるということは「海外遠征部隊」のための新基地をつくるということなのです。

もともと、アメリカは日本を武装解除しようとしましたが、中国での共産党政権の成立や朝鮮戦争により、アメリカのアジア戦略が転換され、日本を盾に使おうという考えに変わりました。よって、警察予備隊が7万5000人組織されましたが、これは朝鮮に移った駐留米軍と同じ人数だったそうです。そして、警察予備隊の任務は米軍人の家族を守ることと、日本で共産化の動きが起こったらそれを阻止することであり、元々は日本を守るためにつくられたものではなかったそうです。


このような沖縄が置かれている状況は世界から見ると特殊であり、世界では基地が消えていく時代となっているそうです。

まず挙げられたのはフィリピンの例で、フィリピンは米軍にアジアの要とされてクラーク、スービックという基地が置かれていましたが、1991年にピナトゥボ火山が噴火した際、避難してきた住民の前で米軍が門を閉ざして住民を守らなかったことがフィリピンの国会で問題となり、フィリピンはアメリカとの安保条約を破棄することを決めたそうです。フィリピンの安保条約は日米安保条約とほとんど同じで、どちらかが条約の破棄を申し入れると1年後に条約が無効となることになっていたそうです。そして、1991年にクラーク基地、1992年にスービック基地が返還されたそうです。基地では4万2000人の労働者が働いていましたが、基地跡地の活用案を市民から求め、国を挙げて再開発した結果、5年後には6万7000人の雇用がもたらされ、現在では9万人の雇用がもたらされているそうです。しかも、基地の仕事は危険でしたが、今では安全な仕事に就けるようになっています。こうした発想が日本でも必要だと伊藤さんはおっしゃっていました。

アメリカ国内でも基地が消えていっているそうです。アメリカ本土最大の基地だったサンフランシスコのフォートメイソン陸軍基地は1972年に市民に返還され、今では市民活動センターとしてNGO活動の拠点や市民のための劇場、大学、美術館などに使われているそうです。

島の3分の2が基地であり、「カリブ海の沖縄」と呼ばれていたプエルトリコのビエケス島の米軍基地も、2003年に返還されたそうです。これはブッシュ大統領の時代です。この島はナパーム弾や枯葉剤、劣化ウラン弾などの兵器が開発された際に実験を行なう場所となっており、1999年に誤爆で住民が死亡したことによって返還運動が高まり、返還が実現したそうです。

南米のエクアドルでは、基地撤去を公約に当選したコレア大統領が、「外国の基地は置かない」という条文を憲法に加える改憲を提起し、それが実現して2009年11月に米軍基地が撤去されたそうです。基地撤去運動の先頭に立ったのは「オリガミスタ」という折り紙を普及する団体で、被爆者の佐々木貞子さんの話をしながら折鶴の折り方を教えるという反核・平和の取り組みを行なってきた団体だそうです。

このように世界は基地をなくす方向に動いていますが、日本ではどうでしょうか。


米軍最初の上陸地だった沖縄・読谷村では、不戦宣言碑と9条の碑を1995年に建てたそうです。

その年は沖縄県民集会が開かれた年です。この集会で発言した当時普天間高校3年生だった仲村清子さんは、後に映画「軍隊をなくした国コスタリカ」に出演したそうです。仲村さんはコスタリカで、日本でも平和な国を理想としてがんばっているがなかなか実現しないという話をしたところ、コスタリカの人たちに「どうして理想通りにできないの」と聞かれ、私たちはその素朴なことを忘れているのではないかと述べているそうです。

コスタリカでは、「最も良い防衛手段は、防衛手段を持たないことだ」とし、賢明な外交手段の実践によって平和を維持しているそうです。コスタリカは1948年に内戦を経験し、2ヵ月で2000人が死亡したそうです。そこで、1949年に戦争を起こさないための憲法を制定し、軍隊を持たないこととしました。軍隊があると問題が起こったときにそれに頼ってしまい、軍隊の存在が社会を駄目にしてしまうと考えたからだそうです。軍隊は存在し続ける限りより大きくなっていき、軍事力を持つと他者を見下すようになってしまいます。コスタリカでは国家予算の30%が軍事費とされていましたが、軍事費は社会の発展には役に立ってきませんでした。社会の発展に役立つものと言えば教育であるとコスタリカの人たちは考え、軍事費をそのまま教育費へまわし、世界にかんたる教育国家となりました。それまでの教育費は社会保障にまわし、医療費の無料化も実現しているそうです。

コスタリカの授業はにぎやかで実践的なものだそうです。たとえば憲法の授業のときには、先生は「将来、会社をクビになったらどうするか」というテーマを出し、生徒たちは憲法のどの権利をつかってどうするかを議論するそうです。先生は意見がいろいろ出たところで実例を紹介し、どのように自分の権利を守るのかを説明するということでした。コスタリカの小学校では、入学式で校長が大統領に代わって「だれもが愛される権利を持つ」ということを宣言し、自分が国に愛されていないと感じたら、国に憲法違反の訴訟を起こすことができると教えるそうです。コスタリカの憲法違反訴訟の最年少の当事者は8歳の少年で、学校近くの川に柵がなくて遊んでいるときに川に落ちてしまったことから、国には川に柵をつくる義務があるということを訴えたそうです。憲法違反の訴訟は1年間に1万2000件あるそうですが、その分裁判官を増やしているので平均1年で判決が出るそうです。こうして、コスタリカでは国民が社会を変革する制度を直接行使することができ、国民は社会の一員であるという自覚を持っています。日本で社会を変革しようとすると、議員への陳情、請願、嘆願など、江戸時代と同じような制度しか行使されていないこととは大きな違いです。

ベネズエラでも憲法が市民によって使われているそうです。伊藤さんがベネズエラに行ったとき、露天商が憲法の本を売っているのを見て、それを買った子連れの女性になぜ買ったのかと聞いたそうです。女性は憲法を知らないでどうやって生きていくのか、どうやって闘うのかと答えたそうです。女性は役所にいろいろな手続きをしにいく際に憲法を持っていき、役所の対応がよくないと憲法を取り出して国民の権利について書いてある条文を示し、憲法でこう定められているのだかからちゃんと対応しなさいと要求しているのだそうです。

このように、日本では憲法や法律は自分たちを縛るものだという認識をされていますが、世界の常識では憲法や法律は自分たちの生活をよくするために使うものなのです。


また、コスタリカの平和憲法は、コスタリカ一国を平和にするだけでなく、周囲の国も平和にすることによって成り立っています。

1980年代、南米中で内戦が行なわれていたとき、コスタリカのアリアス大統領は周辺の3つの国を訪問し、対話の場を設定することによって内戦を終結させました。その功績によって、アリアス大統領はノーベル平和賞を受賞しています。また、ニカラグアの難民100万人の受け入れも行なったそうです。

こうしたコスタリカの平和主義は国連にも評価され、国連平和大学の本部はコスタリカに設置されています。

世界は理想を現実にできる時代になりつつあります。

アメリカではオバマ大統領が誕生し、映画「シッコ」に象徴されるような何でも民営化を医療にまで及ぼす政策から転向し、国民皆保険制度を実施しました。核兵器廃絶についても、ロシアとの核軍縮条約を結ぶなど、公約実現のために努力しています。このように、アメリカも変化してきています。

国による変化だけでなく、個人の運動から世界を動かしたという例もあります。1997年には対人地雷禁止条約がつくられました。この条約は、ジョディ・ウィリアムズさんというエルサルバトルでボランティアをしていた方が、戦争が終わった後も被害を与え続ける地雷をなくしたいと考え、その考えをインターネットで発信したことがきっかけだったそうです。彼女自身はインターネットには詳しくなかったのですが、インターネットに強い友人の協力を得たことで世界に地雷禁止を広げることができたそうです。

ベネズエラでは、前述の女性のように、憲法に基づき格差のない社会を市民がつくりあげようとする動きが起こっているそうです。10年前のベネズエラは「王様と物もらいの国」と言われるほど貧富の差が激しかったそうですが、チャベス大統領が就任して石油による利益を社会に使うという改革を始め、スラムでは政府の補助によって4割安くものが買えるスーパーマーケットがつくられたそうです。また、スラムへの補助金をどのように使うかは市民が話し合って決め、最も大変なところからお金を使っていくようにしているそうです。医療費も無料です。


では日本には、憲法を市民のために実践した例はあるのでしょうか。

まず、伊藤さんは映画「いのちの山河」で紹介された岩手県沢内村を例に挙げました。沢内村では、命を大切にする村づくりが行なわれ、高齢者と乳児の医療費無料化を実現しました。その際、県から高齢者の医療費無料化は法律違反だと言われましたが、沢内村の村長は法律には違反しているかもしれないが憲法には違反していない、本来は国がやるべきことをやっていないから村がやるのであって、国は後からついてきますと言って、無料化を実現したのでした。

次に、九州の水俣市の例が挙げられました。水俣市は公害の水俣病で知られていますが、今はサンゴ礁があるほど海がきれいなのだそうです。これは、市職員の呼びかけがきっかけで、市民を挙げて海の浄化に取り組んだことによるそうです。その際の呼びかけは、「愚痴を自治に変えよう」「ないもの探しをあるもの探しに変えよう」だったそうです。

世界での「平和」とは、一人一人が安心して生きていけることであり、一人一人が平和であってはじめて国家が平和になると考えられています。しかし、日本では国家の平和の方が個人の平和より先にきていると伊藤さんは指摘しています。日本全体で沢内村や水俣市のようなことをやろうとすると、政府はお金がないと言います。しかし、米軍への「思いやり予算」をやめれば日本中の子供の医療費を無料にすることができるそうです。そもそも、「思いやり予算」とはアメリカの経済が不調で、日本の景気がよかったときに始められたものであり、日本の景気が悪くなっても続けるものではないというのが伊藤さんの考えです。また、無駄な軍事費は削ればいいのであって、他の国はあまり持っていないようなイージス艦を6隻も日本が持っているのは無駄だということもおっしゃっていました。

ソ連型社会主義も、アメリカ型資本主義も、”月にロケットは飛ばせるが国民にパンは配れない”体制でした。そのどちらも行き詰ったことからわかるように、月にロケットを飛ばせなくても国民が食べていけるように、病気のときに医者にかかれるようにするのが政府の役割であると伊藤さんは指摘しています。

日米安保条約も、フィリピンとアメリカの安保条約と同様、どちらかがやめると言えば1年後にやめられるのですから、日本もそうして必要のなくなった予算を福祉にまわすことは可能なのです。

伊藤さんは最後に金大中元韓国大統領の遺言「行動する良心たれ」「行動しない良心は悪の側にいる」という言葉を紹介し、現状を変えるために行動することを呼び掛けて講演を締めくくりました。



質問、感想の交流については割愛いたします。

このつどいには100名を超える参加者があったそうです。

最後に、自衛隊セクハラ訴訟の控訴を国が断念し、原告勝訴の判決が確定したということが報告され、それを喜び合って集会は終了しました。



2010年9月16日予定の判決日まで、こちらもご支援よろしくお願いします。


緊急報告「爪ケアを考える北九州の会」からのアピール

http://ameblo.jp/sai-mido/entry-10310539150.html


2009年12月18日、第2回公判が行なわれました。「ユニオン」と「労働ニュース」アーカイブ様から新聞記事をご紹介していただきました。



毎日新聞の記事

http://fukuokaunion.blog7.fc2.com/blog-entry-5054.html



朝日新聞の記事

http://fukuokaunion.blog7.fc2.com/blog-entry-5058.html



当ブログでは、2010年6月24日に結審した際のasahi.comの記事をご紹介しています。



福岡爪ケア事件控訴審、6月24日結審(asahi.comより)

http://ameblo.jp/sai-mido/entry-10572938282.html



事件の経過と裁判の意義についてまとめた下記エントリーも参考になさってください。


爪ケア事件を看護・介護労働者が考える意義

http://ameblo.jp/sai-mido/entry-10595936190.html