【youtube】ツイスト - 燃えろいい女 | ヴォーカル中山タツオのBLOG

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Hello!!!!!tatsuです。

20年以上の昔の映像が今観ると「ひと回りして斬新」に感じたりすることって結構というか、最近はもうかなりあるように感じます。

【youtube】ツイスト - 燃えろいい女

当時の世良公則のサラッサラになびく髪やキラキラした瞳はまるで少女漫画の美少年が現実に飛び出してきたかのよう。



これとは別で夜のヒットスタジオ出演時の「燃えろいい女」が私的にベストなんだけども今はネットの何処を探しても観ることはできず(誰かご存知ないです?)。

ステージングやらルックスやらもう全てが新しすぎると俺は思うんだが。

詳しくはこちら↓↓
wikipedia-世良公則
下のほうに一部抜粋しますね。お暇なときどーぞ。

ではまた。
-SAAVE-tatsu



wikipedia-世良公則より
1977年11月のレコードデビュー、翌1978年1月のテレビ初出演(夜のヒットスタジオ、フジテレビ、1月9日)後は、出す曲出す曲大ヒット、わずか1年足らずで頂点に立ち一世を風靡した
「あんたのバラード」(オリコン最高6位)、「宿無し」(最高3位)、「銃爪 (ひきがね)」(最高1位)、「性 (サガ)」(最高5位)、「燃えろいい女」(最高3位)など。
1978年7月に発売したデビューアルバム『世良公則&ツイスト』はオリコン初登場1位を記録、日本のロックバンドとして、デビューアルバムの初登場1位は史上初の快挙だった。
Char、原田真二と共にロック御三家と言われ、当時の売れっ子アイドル最大のステータスともいうべき「月刊明星」の表紙を日本のロックバンドで、初めて飾るなど(1978年8月号)「月刊明星」「月刊平凡」等のアイドル雑誌、「セブンティーン」「プチセブン」などのティーン雑誌やテレビに頻繁に登場・出演したロックミュージシャンであった。
彼らの成功は、1970年代後半の歌謡曲とニューミュージックの全盛時代に新たに「ロック」をオーバーグラウンドにのし上げる事となった。
当時の音楽誌は「いまようやく、日本のロックは世良公則&ツイストの手で、メジャーになろうとしている」と書いた。
それまで商売にならなかったはずのロックが商売になり始めた、現在の「商売としてのロック」は、世良公則&ツイストを筆頭とした「ロック御三家」と、「時間よ止まれ」を大ヒットさせた矢沢永吉、ロック御三家からは、遅れてデビューしたサザンオールスターズから始まったもので、現在の"J-POP"シーンの盛況、定着もここから始まったともいえる。
結果的にロックはアイドル化・歌謡曲化してゆくことでメジャー化し、巨大ビジネスとなっていったのである。
野生的なルックスや"演歌ロック"、"歌謡ロック"とも言われた野太い声を利かした唱法、"世良足"ともいわれたがに股など、空手風の派手なアクションで魅せる世良独自のステージングは物真似の格好のネタになる程で、後の音楽界にも多大な影響を与えた。ロックのメジャー化はもちろん、それまでのロックバンドにはなかった女性ファンを開拓した功績は大きく、新たな潮流を生み出すきっかけとなった。サラサラ髪のおかっぱ長髪の髪型も流行、女子中・高生のアイドルになった。1978年の雑誌の「男性タレント・セクシー度調査」でも西城秀樹、沢田研二を抜いてNo.1に選ばれた。
ロック系のヒットラッシュが続いた1970年代後半に於いて、商業的に最初に成功し、1980年代の「バンドブーム」を誘発した。
ロックと歌謡曲の境目をなくして、日本でヒット性を考えてロックを作るとこうなる、という手本のような音楽性は"J-ROCKの元祖"との評価もある。
またこの頃、歌番組のスタッフにはロックミュージシャンへの偏見が強く、演出法に対してもめる事が多かったが、これらの改善にも世良らが後世に残した功績は大きい。
ケンカする世良の抑え役だったという桑田佳祐は"ライバルに匹敵する存在って俺の場合はいないんだけど、あえて同世代で同じ職種の人間というなら、世良クンかなぁ。テレビ局で居合わせたときに浮いてる感じが似てたしね。やっぱり世良クンというライバルがいなかったら「テレビでロックだ!」みたいな感覚にならなかったと思う。いまでもたまに会うと、なんか兄弟と久しぶりに会うときのくすがったさを感じる"と話している。