離れて気づくこと | saki☆のブログ

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実家を出て生活するようになり、母の有り難みを感じる機会が増えました。

実家にいた頃は、「当たり前と思ってはいけない」と感じつつも、どこか母の存在が当たり前になっていたのでしょう。

帰ったら毎日美味しいごはんが出来ていて、あったかいお風呂が湧いていて、フカフカのお布団で眠る。高校三年間は毎日お弁当を作ってもらっていました。
何一つ不自由に感じることはありませんでした。小さい頃からそういった環境で育ったため、世の中の「お母さんの仕事」というのは、家族のために動くことだと思っていました。

実家を出て生活するようになると、同じ家事を一つするにしても、「ありがとう」「助かったよ」という言葉を貰えるだけでも気持ちが全く違うことに気がつきました。それを教えてくれたのは旦那さんです。
旦那さんは私が日常の家事の一つとして、生活する上で「しなければいけないこと」だからしているとしても、感謝の言葉を伝えてくれる人です。
私も言ってもらえるためにやっている訳ではないにしても、そういう言葉をかけてもらうとすごく言葉に救われるため、逆の立場でも自然と私も旦那さんに伝えるようになりました。
人と人が生活する上では、「言わなくても分かる」ということはなくて、いや、逆に言わなくても分かっていることだとしても敢えて口に出して伝えること、ほんの些細な労いの気持ちを言葉にするタイミングが多ければ多いほど、人間関係は深くなると思います。

あぁ〜、私お母さんに労いの言葉を全然かけていなかったなぁ…と思います。

お弁当美味しかった?と聞かれる前に、お弁当美味しかった!と言えば良かった。

いつも〇〇ありがとう。
そういう気持ちをちゃんと言葉にすれば良かった。

お母さんの仕事ってそもそもボランティアじゃないのだから、誰かから必要とされてる実感や、認められている実感があるのとないのとでは全く違うだろうなと思いました。

これからは母にも些細なことでも伝えることを、労いの気持ちを忘れないようにしようと思います。