ファッションにおけるコピー商品がもたらす問題点 3:まだファストファッション的存在の無い車の世界 | 伝統技術を現代のライフスタイルに合わせて発信するプロジェクト  ”ARLNATA” アルルナータ ディレクターの独り言

伝統技術を現代のライフスタイルに合わせて発信するプロジェクト  ”ARLNATA” アルルナータ ディレクターの独り言

約11年に渡るヨーロッパの様々なステージのラグジュアリーブランドを経て日本に帰国し、衰退産業とも言われている日本の伝統技術を今の形で発信するためのプロジェクト”ARLNATA”アルルナータを主催しているディレクターの独り言です。
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  前回に“最近のファッションはつまらなくなった“と思う人が多くなった理由の一つに、洋服(ファッション製品を代表して洋服と置き換えています)のことを知らない人が多くなったという事が理由として考えられるのでは?と書きました。


<参照:ファッションにおけるコピー商品がもたらす問題点 1:一着の価値が薄れていることの弊害

<参照:ファッションにおけるコピー商品がもたらす問題点 2:カバンだけでなく服も興味深い高級ブランド



 まだファストファッションの様なラインが存在しない”車”の世界でその意味について考えてファッションとの比較をしてみようと思います。例えば車の世界では100万円弱で買えるリーズナブル(今の世の中では)な新車から2000万、3000万、さらには一億以上するような超高級車もあります。しかし、一般的な視点からすれば今の世の中でたった1台の車が2000万円もする意味は普通に考えればなかなか理解できるものではありません。なんとなく、エンジンがすごいとか加速が凄いとかアシスト機能が最先端だとかそんな想像はできますが、その細部の理由までは知らないでしょうし、なんでそんなに高いの?って疑問を持つのが普通なはずです。そう言う様な人はそもそも車にそこまで興味がないでしょう。しかし、興味をもってしまった人はその理由を調べたり、理解しようとするわけです。そうやって知識を持っていくとなぜ高いのか、何に価値があるのかが解る様になり、2000万円などの一見法外と思える様な価値にさえも納得が出来る様になり、またそれと同時に同じ200万円の車であっても機能・性能や歴史などによる差異に気付く事が出来るようになります。また一方それらを販売している人、仲介している人、さらには製造している人達は自分たちの扱う製品の価値、意義、歴史等を知る義務があります。でなければ仕事は務まらないでしょうし、プロフェッショナルとは呼べません。むしろそう言った価値・意義・歴史などを共有し、それを維持し世に伝えて行こうという意思があるからこそそのようなモノを扱う仕事に就こうと思うはずです。そしてプロフェッショナルとは本来そう言う人なのだということを世の中で共通認識されているからこそ 一般の人はプロの言葉を信用し、プロの技術にお金を支払う訳です。


 ですがここで仮に車の世界でもファストカー(ファストファッションの車版として)が登場し、例えば1台50万円でドイツの有名ブランドの車と、車としてはほぼ同じの燃費や運動性能を持ち合わせているが、特殊な機能や高級感と耐久性だけがやや見劣りするような車が大量に出現したとします。薄目を開けて見てみればドイツ製のそれとそんなに大差の無い車です。当然お金のない若者や一般庶民はそちらに流れるでしょう(B◯◯Z、B◯W、◯UD◯、が50万で買える。実際、ファストファッションの出現とはそれくらいのインパクトがあることなのです)。そうすると本家本元のブランド車でもなく、ファストカーでもない100万~300万円を主力とするメーカーはどうなるでしょうか。当然ブランド力としても本家のドイツ製に劣り、かといって価格でもファスト製に負ける訳です。つまり存在を維持して行くことが非常に難しくなるのです。そうすると、クオリティというのは上げようと思うと資金以外にも様々なノウハウの蓄積が無ければ実現出来ないので、クオリティを下げる方向にどのメーカーもシフトする事が一般的になります。各メーカーがファストに対抗する様に、いかに安く良いものを作るか(そもそも無理がある事なのですが)という価格競争の中に取り込まれ、かといってファストと同じクオリティにするわけにもいかず、非常に中途半端な位置の車が世の中に溢れる様になるでしょう。そうすると、性能や機能や歴史などの深い知識を持っていなくとも車を販売したり製造したりする事の出来る職種がどんどんと成立し、ファストカーが世のスタンダードになり稼ぎ頭になることで、丹念に色々な事を勉強する必要がなくなり、大量に売れさえすれば後はどうでもいいという状況になってしまうのです。つまりプロの質の劣化がここで起こるわけです。そうすれば、車の事を大して知らないプロと称される半プロが世に溢れ、一般の消費者も、安いのだからまあ2~3年も乗れればいいだろうと思い、本来あったはずの車の価値を知ろうという人もどんどん少なくなります。こんな状況の中にあって、誰が”最近の車は楽しくなった“と言えるでしょうか。間違いなく”最近の車はつまらなくなった“に世論は移って行くでしょう。ファストカーでも不便は無いし、何よりも安いしそこそこ見た目も良いからありがたいですし、それと同時に歴史を誇り高性能を謳う高級ブランド車も相変わらず世の中には健在なのにも関わらずです。だけど何かが足りない。それは車の価値を正確に評価しそれを世の中に伝える事の出来る人(プロフェッショナル)に他ならず、そしてそのために本来あったはずの好奇心の源泉である多様性や様々なウンチクを共有できず、楽しめなくなった多くの一般消費者が自然とそう感じるようになるのです。モノはあふれる程あるのにもかかわらず、一つ一つの価値が薄っぺらく感じる様になって値段と実用性だけでしか判断できない状況。まさに今の日本のファッションはこう言った状況に直面しているのではないでしょうか。


 次回で完結します。



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