ファッションにおけるコピー商品がもたらす問題点 2:カバンだけでなく服も興味深い高級ブランド | 伝統技術を現代のライフスタイルに合わせて発信するプロジェクト  ”ARLNATA” アルルナータ ディレクターの独り言

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約11年に渡るヨーロッパの様々なステージのラグジュアリーブランドを経て日本に帰国し、衰退産業とも言われている日本の伝統技術を今の形で発信するためのプロジェクト”ARLNATA”アルルナータを主催しているディレクターの独り言です。
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 前回の続きですが、最近は商品や情報が多すぎて一品一品の価値がどんどん下がって来ています(実際洋服の値段的価値もどんどん下がって来ていて ファストファッションに見られる様に低価格で買う事があたりまえになる所にまで行き着きました)。


<参照:ファッションにおけるコピー商品がもたらす問題点 1:一着の価値が薄れていることの弊害


 低価格が当たり前になると、今まで高級品を売っていたセレクトショップ店は当然商売が難しくなるため高級品以外の道で何とか稼がないといけなくなります。かといって高級ブティックがいきなり低価格商品ばかりを扱うわけにも行きませんから、高級品のコピー・編集をしてセレクトショップオリジナル(記事中にセレオリとあるのはおそらくこれを意味していると思います。こういう一般の人が読んで解りにくいことを平気で書く様な記事も僕はどうかと思います)として売ればコピー元のオリジナルより安く提供できて利益率もいいし、こちらで稼ごうということに当然なってしまうのでしょう。こうなると、店として重要なのはコピー元のオリジナル製品では無くなってくるわけです。オリジナルはいわば客寄せの道具であり、もちろん経済的に余裕のある人はそちらを買うでしょうから、店の品格(?)は保ちつつも、本当に売りたいのは安価な利益率の良いコピー商品になってしまい、オリジナルに対する重要度もどんどん希薄になってくる訳です。そうなると、最終的に困るのは誰かといえば、必死でアイデアをひねり出して、幾度とない実験と試行錯誤を繰り返しながらオリジナルの商品を世に送り出しているモノ作りをしている人達なのです。


 僕はまだみんなが知っている様ないわゆるヨーロッパの超高級ブランドの会社の経験が無いので、あくまで周りからの情報や自分自身の体験も含め色々な角度から分析してみての意見ですが、やはりブランドの名前を背負っている人達は何か新しいものを、面白いものを、ワクワクするものを作ろうという姿勢を持っていると強く感じます(それは日本でも同じだと思います)。実際ヨーロッパの高級メゾンは(デザイン関係のアトリエは)人の入れ替わりも相当激しく、一度入れば定年までずっと安泰等ということはまず有り得ません。人生の一度や二度はそういった所で勝負をして自分のアイデアをぶつけてブランドのタグを付けて世に発表したい、と熱望する人間が常に火花を散らしながら戦い合っている環境ですから、当然の事ながら出来ない人はすぐに他の人間と交換されてしまいます。まあ実力以外にも上部の人との人間関係なども考慮されたりすることもあるので、一概に高級ブランドで働いている人が100%実力者とは言い切れない部分もありますが、それでも非常に狭き門なのは間違いありません。この点では日本のファッション業界とは比較にならないくらい厳しい現実が横たわっています。ヨーロッパの場合はEUの中では人と資本の移動が自由になっているため、パリのブランドでも外国人(EU圏内の国籍は当然+我々の様な外人も)がたくさんいます(イタリアはフランス程多国籍ではない様に感じます)。ですから、自然とそういった競争の中で生み出される作品は豊富な資金力も手伝って、やっぱり“イイ”ものになるわけで、実際に僕も面白いものはやっぱりこういった高級ブランドから発信される事が多いなと最近は強く感じています(小さいブランドはまた違った面での良さある所もありますが)。たまに高級ブランドなんてつまらない、コマーシャルなものを作っているだけで、面白さや新しさは小さいアトリエ系ブランドの方がよっぽど良いものを作っている、という人がいたりしますが、実際僕もその一員でした。確かにごくごく少数なアトリエ系ブランドでそういった小ささが故に出来る事を活かしたブランドも存在することは認めますが、概してそういう考えの持ち主はいわゆる高級ブランド系の作品に無関心だったりするもので、お互いに良いとこを認めるというよりは、自分のアイデンティティを主張したいがために根拠の無い誹謗中傷すら時に言いのけてしまったりすることも多い様に思います。僕も過去はそういった偏った考えをやや持っていた人間でしたが、今その世界から解放されて、色々なものを新たに見つめてみると、今もときめく高級ブランドの作っているものはカバンだけに限らず、服も非常に作り込まれているなとしみじみ感じる様になりました。特にシルエットのキレイさ(月並みな言い方で恐縮ですが)やテキスタイルや縫製のユニークさはそういった競争で勝ち抜いて来た人々のみが集まって作っているのですから、群を抜いて面白いと僕は言えると思うのです。ただただ、残念なのはせっかく面白いものが出来上がったとしてファッション界全体としての服の総量が多すぎるため、一品一品の価値が非常に希薄になっているという点なのです。この様に作られた服とファストファッションの服とは全くクオリティの面では大きな差があるのは間違いありませんが、見てくれは似ているのに値段が10倍も違う事実を理解する事は一般の人には非常に難しい状況になっているのです。そのため本当はプロがよりプロであり続けその差異を伝えていかないといけないのですが、、、実際は記事の様にどんどんプロじゃなくなって来ている様なことが現実のようです。

 
 さて前回に“今のファッションはつまらなくなった”とよく言われますが僕は“つまらないかの様な雰囲気になっただけ”の間違いだと言いました。それはなぜかと言うと、上記した様に僕個人的には全く今の服(みんなが注目している様な高級ブランドなどでさえも)がつまらないとは思わない、むしろ面白い服がたくさんあるな、こんな面白いキレイな服を作れる様にもっともっと努力しないといけないな、と思わせられるくらいだ、というのが正直な実感だからです。インターネット上で、最新コレクションの時期になると職業柄ほとんどのブランドの服は一応目を通す様にしますが(ちなみに今2015年秋冬プレフォールコレクションの新作がどんどん出て来ています、これらは来年2015年の夏のセールの時期前くらい、つまり秋冬が始まる前くらいに店頭に並ぶものです)、それらを惰性でクリックして流し見すればつまらないのかもしれませんが、やっぱり凄腕の連中が集まって作っているのだと思いながら、集中して詳しく見てみるとみんなやはり面白いものを作ろうと努力している跡が細部にありありと見えるし、写真だけだとどうなっているのかわからないから実物を見てみたい!と思わせる様なものが結構たくさんあるのです。僕にはつまらないとは一切感じない、むしろ現代の新しい技術も組み合わさって、こんな服が作れるのか!どうやって作ってるんだろう?と好奇心すら湧いて来るくらいです。


 こう書くと、それはあなたがパタンナーで一般の人とは洋服を見る目が違うからだよ、と言いたい人がいるかもしれません。ですが、実はそれは大正解であって、僕は洋服の作り方を少なからず知っているからこそ面白いかどうかを自分の経験を元に区別する事が出来るのです。であるならば、今の服は面白いモノがたくさんあるにもかかわらず(この点に関しては僕の主観ですが )、それでも“面白く無くなった”と言う人が多いということはどういう意味なのか?これは洋服のことを知らない人が多くなったと言い換える事が出来るのでは無いでしょうか?


 次回に続きます。





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